プリンセス天功、アイドルたちと“女子トーク”で持ち味引き出す 埋蔵金の隠し場所もついでに
プリンセス天功が、TOKYO MX「プリンセス天功のアイドル☆KING」(第3月曜深夜2時5分)でMCに初挑戦している。ミステリアスな雰囲気で、米国、欧州、アジア、日本で数々の奇跡を実現させてきたイリュージョニストが、アイドルたちと“女子トーク”をして、持ち味を引き出す。いったい何があったのか? そして日本中に隠したという埋蔵金の隠し場所について聞いてみた。【小谷野俊哉】
★世界へ売り出したい
謎のほほ笑みをたたえながら、華麗なる脱出劇を成功させるイリュージョニスト。「プリンセス天功のアイドル☆KING」ではイメージをガラリと変えて、シンガー・ソングライターのyucat(ユキャット)とともにアイドルたちとトークを繰り広げる。
「アイドル歌手の子たちに歌ってもらって、話を聞いていろいろとピックアップします。才能のある子たちが、一生懸命やっているのが素晴らしい。今の子はアイドルと言っても、昔と違って自分たちでこういう風になりたいと意志を持っている。いいところを引き出して、世界へと売り出していけたら素晴らしいですね」
自身も1978年(昭53)にマジックをしながら歌うアイドル歌手朝風まりとして、「ザ・マジック」でデビューした。
「私たちの時代のアイドルって『おはようございます』と『お疲れさまでした』『ありがとうございました』くらいしか言っちゃいけないとか、すごく厳しかったんです。今の子たちはどうかなと思ったら、やっぱり自主的で伸び伸びとしています。皆さん、しっかりしてるので、びっくりしました」
アイドルたちの中身を引き出すだけでなく、自身の新しい一面にも気が付いた。
「収録は、大変だけど楽しいですね。インタビューというか、アイドルの子たちとしゃべってみたら、なんか女子会みたいになっちゃって。ダイエットの話で盛り上がったり、もう、笑って笑ってという感じです。私自身も自分を出せていい感じです」
昨年3月にはアイドル音楽ユニット「KinG00(キング)」を結成して「Magical Jungle」でデビューした。メンバーはyucatとホワイトライオンのKING、そしてプリンセス天功。
「ホワイトライオンを、ずっと欲しくて待っていたんです。ワシントン条約があって海外から簡単に持ってこられなくて、日本国内で生まれるのを30年近く待って、一昨年9月にやっと私のところに来てくれました。今、1歳とちょっと。この子のために記念するものを作ろうと思って、3人のユニットを作りました。2人と1匹じゃなくて、3人のユニットです。どんどん大きくなって、今は3メートルくらい。希少動物なので、海外には連れていけないんです。だからプロフェッショナルなスタッフを付けて、日本で大切に大切に育てています。私の言うことをよく聞いてくれて、スケートボードも教えたらできるし、音楽もフルートを吹いたら頑張って踊ってくれる」
レイボータウンFM「キングのマジカルミュージック」(第3木曜午後1時30分)ではパーソナリティーを務める。
「yucatとDJキノポップと3人で、楽しみながらやっている音楽番組。私が全世界に行ってるので、世界中の音楽を紹介しています。うちに地球儀があって行ったところに針を刺していますが、海以外はほとんど刺さっていますね」
★必死でマジック勉強
3歳からキッズモデルとして活動を始めた。日本を代表するマジシャンだった初代引田天功の事務所に所属して、舞台女優を目指した。
「私の母と初代引田天功の事務所の社長がいとこ同士だったんです。子供の頃は体が弱くて、18歳くらいまでしか生きられないみたいな感じで、母から好きなことをしなさいと。そこで舞台女優になりたいと思いました。森繁久弥さんの『森繁劇団』に入るという話があって、ご紹介していただいて森繁先生に『よろしくお願いします』ってごあいさつしたこともありました」
1977年(昭52)に初代引田天功が心筋梗塞で倒れて、日本テレビで放送される「大脱出」の代役に起用された。「光子の窓」「ゲバゲバ90分」「11PM」「スター誕生!」「うわさのチャンネル!!」「24時間テレビ」などテレビ史に輝く番組を作り上げてきた大プロデューサー井原高忠氏による大抜てきだった。
「代役として、いろいろな俳優さんとかタレントさんの名前が挙がっていたそうなんです。だけど、若い女の子の方が視聴率が取れるからと、私に声をかけていただきました」
78年6月にアイドル歌手デビュー。同期にサザンオールスターズがいた。
「当時はアイドル歌手でも、歌番組に出るにはテレビ局のオーディションに受からないと出られないんです。NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビと各局のオーディションを受ける中で、サザンと一緒になって、桑田佳祐さんから『一緒に頑張りましょう』って声をかけていただいたのも、懐かしく、いい思い出です」
79年に初代引田天功が亡くなり、後援会の要望で80年12月に2代目引田天功を襲名した。
「最初は全部、こういう風にしなさいって言われる通りにやっていました。マジックの世界のことも知らなかったんです。朝風まりでデビューしていたので、最初は生意気ですけど、他人の名前でなんかできるかと思いました。でも、2代目を継ぐ事が決まってから必死で勉強しました。死ぬような事態に遭遇することもあるわけですし、『引田天功』の名前を継ぐわけですから、マジックについて知らないことがあってはいけない。ハトを出したりするのも、初代引田天功が20羽を出すんだから、私は1羽からっていうところから積み上げて来ました。若い女の子でもできるんだということを見せようと、マジック、イリュージョンの世界に本格的に取り組みました」
★モチーフ人形も発売
2代目引田天功として、イリュージョン公演を日本中で行うようになった。
「その公演を見たアメリカの制作会社から声をかけていただきました。95年(平7)に全米で『テンコー&ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・マジック』というアニメが放送されて、私をモチーフにしたバービー人形のシリーズ『テンコー人形』も発売されました。アメリカに移住して『プリンセス・テンコー』として、契約によって『髪の毛は染めずに黒くなくちゃいけない』『長さは規定通り』『年齢は24歳』『コンビニに行ってはいけない』『化粧の仕方』『話し方』とか100以上の取り決めによって活動していくことになりました」
命懸けのイリュージョンなだけに、大きな事故になったこともある。
「一番大変だったのは水槽脱出でした。ステージ上の巨大な水槽の水の中に入ってアッという間に客席の後方から出て来るんですけど、入った途端にせき込んで水を飲んでしまって記憶がないまま緊急搬送されました。けがをすると痛いので、そのたびに辞めようと思いました」
身近な手品も、壮大なイリュージョンも仕掛けは分からないものだった。それがネット、SNSの発達で、ネタや仕掛けが明かされてしまう時代になった。
「今はTikTokでも、皆さん一瞬で消えたりとかをやっています。動物をマジックで驚かせて、それをアップしたりね。マジックが身近になったとも言えますが、プロのマジシャンは、やっぱりそこのところはすごく大変だと思います。だけど私の場合は、私自体がイリュージョンであるということでやってますので。ステージ上では、外国の方であろうと、どんな方たちに見ていただいても面白いという風にもって行っているので大丈夫です」
アメリカのエージェントとの契約は、ライフ契約。死ぬまで有効だ。
「世界中、どこに行っても子供たちのアイドルだから、明るくしゃべって笑うキャラクターなんです。子供たちの間に入って、お人形さんと一緒に並んだりとかね。ただ、アメリカから日本に逆上陸させていただいた時に、あまり自分を出さないでくれと言われたんです。ミステリアスな感じで、あんまりしゃべらないでくれと。だから、それぞれの国に合わせ、新しくなっていく時代に合わせて、次々と私自身をリニューアルしていかないといけない。未来はAIプリンセス・テンコーが、私の跡を継いでくれていると思います」
1998年(平10)には北朝鮮の平壌で脱出イリュージョンを披露した。
「あの頃の北朝鮮は、昭和初期の日本、そんな感じでした。外国から500人くらいの方が招待されていて、その方たちも見る中でイリュージョンをやりました。市民の方もいたんですけど、みんな制服みたいなものを着ていました」
長年、世界中でイリュージョンを行ってきた。稼いだ金額も桁違いだ。
「アメリカの会社と世界中、いや宇宙までの公演について契約すると、その金額も大きくなるんです。そのお金を使うのに、最初は土地を買ったりもしていました。でも、その土地に行って遊ぶ時間がない。そんな風に思っていたら、山梨の方が『埋蔵金探しに行ったけど見つからない』っていう話をしていたんです。それでいいなと思って、ダイヤモンド、ルビーとかいろいろな宝石と一緒に埋蔵金を、日本中6カ所に埋めました。なかなか見つからないでしょうから、バスツアー組んで埋めた地方に行って『あのあたりです』とかいうプロジェクトも楽しそうかなと思っています」
迷い込んだイリュージョン、時を超え、空間を超えて魅了する。それがプリンセス天功だ。
▼KinGOOのyucat
プリンセス天功さんと過ごす時間は刺激とワクワクに満ちていて「あ、私、今宇宙に触れた」と感じるような体験をさせていただいています。かばんからオランウータンが出てきた時はびっくりして、「かばんからオランウータン」という曲を作ろうかと思ったくらい衝撃的でした。私のためにヘリコプターでイチゴ狩りしてきてくださったり…大好きです!! 目の前のお客さまがどうしたら楽しんでいただけるのか常にアイデアをくださり、楽しい世界へ連れて行ってくれます。これからも天功さんが脳内で描くものを音楽という形で具現化していきたいです。
◆プリンセス天功(てんこう)
3歳からモデルとして活動。1976年(昭51)に初代引田天功に師事。78年にアイドル歌手朝風まりとして「ザ・マジック」でデビュー。80年12月に2代目引田天功を襲名。90年に米マジックアカデミー賞のマジシャン・オブ・ザ・イヤー。95~96年に全米でアニメ「テンコー&ザ・ガーディアンズ・オブ・ザ・マジック」が放送。98年4月に北朝鮮・平壌で金正日総書記(当時)の前でマジックショー。女子プロレス「アクトレスガールズ」スペシャルオブザーバー。伊フィレンツェ在住。
◆TOKYO MX「プリンセス天功のアイドル☆KING」
プリンセス天功がyucatとMCを務める音楽トーク番組。アイドルグループ4、5組を招いて楽曲を紹介。音楽、化粧、ダイエット、趣味などについて、ざっくばらんなトークを繰り広げる。