中居正広引退、努力で勝ち取った「地位」「発言力」の残念すぎる方向性/活動34年振り返り
タレント中居正広(52)が23日、芸能界からの引退を発表した。
SMAPのリーダーとして、アイドルの定義も、昭和以来の芸能界勢力図をも大きく塗り替えてきたトップスターの引退に、芸能界も騒然としている。91年のデビューイベントから、最後の公の場とみられる昨年10月のTBS系「THE MC3」取材会まで、時々に目にしてきた「中居正広」をメモしておきたいと思う。
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取材を通して知る限り、人を元気にするエンタメの力を知り尽くし、芸事に関してはとことんまじめな人。それだけに、主に女性ファンに支えられてきたアイドルとしてあるまじきプライベート事案らよって自らのキャリアに傷をつけ、活動を終えたことは残念でならない。
リーダーとしての才覚は、デビュー当時からあったと思う。
91年9月8日に埼玉・西武園ゆうえんちで行われたデビューイベントを取材している。台風の直撃で観客も取材陣もずぶぬれ。機材が壊れ、正午から始まったイベントが終わったのはかなりの夕刻だった。手書き原稿をファクスで送り、フィルムを本社に持ち帰って現像するにはギリギリで、イベント後のデビュー会見は記者たちが黙々と原稿を書いている状態。森且行も含めて6人が一人ずつ元気よく自己紹介したが、事務所も事情は分かっており、会見は質問なしでそのまま終了した。
一生に1度のデビュー会見がそんな感じで、6人ともどれだけ心細かったかと思うが、中居が「きょうはありがとうございました。よろしくお願いします!」と明るくメンバーを鼓舞していたのが印象に残る。
93年2月、急性肺炎でダウンし入院。退院時、取材者が本紙を含めて4社だけだったのも今では考えられないことだが、病み上がりの身で寒空に立ち、「寒い中すみません」と取材陣を気遣っていた。SMAPの人気がいまひとつ伸び悩んでいた時期で、心労があったとも聞く。96年にフジテレビ系「SMAP×SMAP」がスタートし、グループとして大きなチャンスを得た。後日、番組関係者に聞いたところ「当時の中居くんは本番前に緊張でよくトイレに駆け込んでましたよ」。陽気なようでメンタルに出やすい、意外な一面を垣間見た気がした。
バラエティー番組でのスキルはよく知られたところだが、俳優としての評価も高かった。
TBS系日曜劇場「砂の器」(04年)の和賀英良役が高い評価を得ていたのでインタビューしたが、「役者一本でやっているわけでもない自分が演技力だなんて。自分の演技を見て、まったく自分に伝わってこない。俳優に向いていない」。監督がOKなら自分もOK。撮ったものはチェックしないし、口も出さない監督絶対型。連ドラが終わると髪形を変える。そうしないと役が抜けない気がするというのも、仕事人間のこの人らしいと思った。
特筆しておきたいのは、「スマスマ」でグループとして5年間続けてきた東日本大震災への義援金告知を最終回まで続け、その陣頭指揮に立ったことだ。SMAP解散と「スマスマ」の終了が決まった後も、歌収録で集まるたびに最新の告知を撮り直し、その意思を5人で最後まで貫いた。
5年間、当たり前のようにやっていたけれど、さまざまな人の損得勘定が交錯するテレビ業界ではまず実現しないことだ。発言力のないタレントには通せない話で、タレントが本気でなければ続かない。すべてSMAPだからできたことで、リーダー中居の果たした役割は大きい。
デビューから34年。努力で身につけてきたはずの発言力や、勝ち取ってきたはずのポジションの威力が、いつの間にかあってはならない方向に発揮されるようになっていたのだとしたら、あまりにも残念で、言葉もない。
10月に行われたTBS系「MC3」の取材会にも足を運んだが、まさかあれがエンタメの現場で最後に見る姿になるとは思わなかった。唐突にきょうを迎えたファンのショックはいかほどのものか、胸が痛い。今後は本人がコメントした通り、女性側への謝罪を、心を尽くして実行してほしい。【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)