がんと戦い抜いた小倉智昭さん、師匠大橋巨泉さんに「あの世に行ったら、また拾ってもらう」
フリーアナウンサーの小倉智昭さんが9日、都内の自宅で亡くなった。77歳だった。1999年(平11)4月から21年3月まで22年間、フジテレビ「とくダネ!」のキャスターを務めた小倉さんは、16年5月ぼうこうがんであることを公表。その後に肺、腎臓に転移したが、病状を発表しながら治療を続けていた。
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小倉さんが亡くなった。最近までテレビ、ラジオの出演を続けていたが、最後に取材したのは一昨年の4月。BS松竹東急の「小倉智昭の昭和懐かしのヒット曲!!」の収録だった。前年10月にがんが腎臓に転移したことを発表して入院治療。半年ぶりの復活だった。
ふっくらとして血色のいい姿で、東京・砧スタジオに現れた小倉さんは「入院する前に無理して食べて5キロ増やしたら、そのまんま。こんなに元気そうだと面白くないよね」と笑って「化学療法をやりながらつき合っていく。これからも毒舌で行きます」と“小倉節”を披露。ぼうこうから、肺、腎臓と転移したがんと闘い抜いていく姿を見せてくれた。
いつも明るく、朗らかな小倉さんが悲しげな顔を見せたのが、16年7月に82歳亡くなった“師匠”大橋巨泉さんのお別れの会。同年9月に小倉さんは司会を務めたが、終了後に遺影を見上げて「いい写真だよね。晩年は細くなっちゃったから。いい笑顔だった」と振り返った。
71年(昭46)に東京12チャンネル(現テレビ東京)にアナウンサーとして入社した小倉さんは「競馬中継」の実況などで頭角を現して、76年に29歳で退社してフリーに。巨泉さんからニッポン放送「大橋巨泉の日曜競馬ニッポン」の実況アナに起用されたが、他の仕事が入らず苦境が続いた。その後、79年にフジテレビ系「アイ・アイゲーム」、83年に巨泉さん司会のTBS系「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションを担当して、軽快で大胆なしゃべり口調で大ブレーク。89年(平元)10月には日本テレビ系のワイドショー「キャッチ」のキャスターに起用されて、人気を不動のものにしていった。
小倉さんは「巨泉さんに拾われなかったら、今、何をやっていたか分からない。路頭に迷っていたでしょう」と感謝の言葉を口にしていた。その活躍ぶりから“ミニ巨泉”と呼ばれることもあったが「ミニにもなっていない、ミクロくらい。何をやっても超えることができない。あの世に行ったら、また拾ってもらいましょうかね」と話していた。
小倉さんは、巨泉さんが亡くなる2カ月前に初期のぼうこうがんを公表して、手術を受けていた。その年に69歳になった小倉さんにとっては、思うことが多かったのかも知れない。
今頃は、あの世で巨泉さんに「お前、何しに来た。まだ、早いだろ」と叱られているんだろうか。昭和、平成、令和と“テレビの時代”を生き抜いたスターが、また1人消えてしまった。
ご冥福を祈ります。