タマ伸也「僕のアカウントは忌野清志郎さんが名付た『tamamidnight』」/連載3
ワハハ本舗のお笑い音楽ユニット、ポカスカジャンのタマ伸也(56)がソロで新曲「つがるのうらら」を発売した。今年4、5月に開催された「弘前さくら祭り」で満開の桜の下で歌うためのテーマ曲として作った。津軽弁に津軽三味線も交えて、注目を浴びたことからCD化つながった。桜の香りのするオリジナルのシードル「つがるのうらら」も発売された。【小谷野俊哉】
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ポカスカジャン、ソロ歌手としての活動。そして故郷・青森での活動で、いろいろな人と出会う。
「弘前にサクラオーバルズっていう女子ラグビーチームがあるんですけど、そこのクラブソング『Da Enjoy!』を歌っています。そこのオーナー企業である弘前のリサイクル会社『青南商事』が、男子トップリーグの東京サントリーサンゴリアスのスポンサーだったりする縁もあるんです。僕の曲が今、ラグビーのスタジアムで流れてるんですよ。僕の『We call,次サイクル』という曲が、青南商事のCM曲になって東北6県で流れています。元サントリーの選手で日本代表でも活躍した真壁伸弥さんとかが来て、一緒にラグビー試合やったりね。僕はインターバルショーで、試合の合間に歌ったりしています」
青森で1人で、ラグビー、ラジオ、テレビの活動。それが、大久保ノブオ(57)とのポカスカジャンでも生きている。
「ポカスカジャンで寄席に立ったり、他にも互いにいろいろやっている。そういうものが、ポカスカジャンっていう箱の中にバーンと入ったら楽しいな、夢があるなって話してます。僕らの世代では、武道館ですよね」
自身は中学、高校まで野球をやっていた。
「ポジションはショートをやってました。サードやったり、ショートやったり。最初はピッチャーをやったけど、球が弱くてね。中学までは野球部でやっていて、高校の時はたまに借り出されたりとかそういう感じですね」
高校に入ってからは、バンド活動に熱を入れた。
「バンドではドラムやったり、ボーカルやったりギターやったりでした。ただ一緒にやってた中学校の幼なじみはずっとギタリストでリッチブラックモアが好きで、そいつがいるから俺もやってる感じでした。俺がやってたバンドは、上京した後にポカスカジャンに入るんで辞めたら、デビューできたっていうね。俺が邪魔だったのかな(笑い)」
ロックスターになる夢は、ポカスカジャン加入で途切れたが、ミュージシャンとしての幅は広がった。
「なんか今、不思議なもんでコミックバンドやってるから、いろいろなミュージシャンと出会うっていうかね。不思議なことにフジロックも出させてもらったし、大体ほとんどのフェスに出させてもらいました。全部それ、コミックバンドのおかげっていうね。まともなミュージシャンでは無理だった(笑い)」
ポカスカジャンとして世に出たおかげで、スーパースターとの共演も実現した。2009年(平21)に58歳で亡くなったRCサクセションの忌野清志郎さんと一緒のステージに立っている。
「僕が唯一自慢できるのは、僕の名前のタマ伸也っていうのを清志郎さんが面白がってくれて、新宿にあった日清パワーステーションでやった、カウントダウンに呼んでもらったこと。僕も、大久保も大ファンだったんですよ。そこで、僕がミーハー心で清志郎さんに『すいません、ファンなんでサイン書いてください』ってお願いしたんです。それで清志郎さんが書いてくれたんですけども、僕の『伸也』を清志郎さんがシャレで『深夜』って書いてくれたんですよ。『タマ深夜』。それ以来、僕のアカウントは全部『tamamidnight』です。清志郎さんに名付けていただいたんでね」
(続く)
◆タマ伸也(しんや)1968年(昭43)9月18日、青森市生まれ。96年(平8)にワハハ本舗に入団して、大久保ノブオ(57)、中山省吾(53)とポカスカジャン結成。19年に中山が脱退。担当はギター&ボーカル。