吉永小百合、結婚式で新郎の岡田太郎氏と(1973年8月撮影)

吉永小百合(79)の夫で、元共同テレビ会長の岡田太郎(おかだ・たろう)さんが3日午前1時15分、胆のうがんのため、都内の病院で亡くなったことが13日、分かった。94歳だった。葬儀は故人の遺志で8日に家族葬として執り行った。

吉永にとって、岡田さんは小学6年で子役として活動し、スターへの道を駆け上がる中で次第に悩み、苦悩が重なった自らを救ってくれた、かけがえのない存在だった。59年「朝を呼ぶ口笛」(松竹)で映画デビューし、翌60年に日活に入社。そして62年「キューポラのある街」で大ブレークし、62年には歌手にも挑戦するなどし、一躍スターダムにのし上がった。

その裏で、小6から出演を重ねた子役から青春スターへ順調に成長し、清純派の代名詞となった一方で、大人の女優への脱皮ができずに苦しんでいた。さらに、24歳で大失恋を経験し、パリに失恋旅行に向かったが、26歳の時に多忙によるストレスが原因で声が出なくなった。孤独を感じていたという。

その中で、73年に28歳で、当時フジテレビのプロデューサーだった岡田さんと結婚した。15歳上の岡田さんとは、19歳の頃に仕事で出会い、相談などをする関係だったが、失恋を機に大切な存在だと感じるようになった。離婚経験のある岡田さんは結婚にこだわらなかったが、吉永は周囲の反対を押し切り家出同然で結婚した。

そこまでして、結婚に踏み切った裏には、人間らしい生活を取り戻したいという、強い思い、願いがあった。

「名前を変えることで1回、背負ってきたものを捨ててしまわないと、『私はこのままダメになる』という思いが、とても強かったんです。親に対して、『すまない』という思いはあったけれど、自分はそれで再生できました」

吉永は結婚後、医師から生活を変えるよう勧められ、1年間の充電も経験している。

14年にプロデューサーに初挑戦した主演映画「ふしぎな岬の物語」公開時に日刊スポーツの取材に応じた中で、吉永は岡田さんとの夫婦生活について、率直な思いを明かしていた。

「私たち(夫婦)は子供がいなかったから本当に平穏に暮らせました。いろいろなところに旅もできた。子供のことを気にしないで仕事もできた。もし子供が熱を出したりしたら、仕事を休めるだろうか。どっちを取るんだろうって、すごく大変な選択だと思うんですよね」

吉永は、23年9月1日、にテレビ朝日系で放送された「徹子の部屋」(月~金曜午後1時)の中で、近年の岡田さんとの結婚生活について語っていた。岡田さんが83年~90年まで日本テレビ系で放送された「おとこの台所」を見て手料理に目覚めたと明かし「朝ご飯は毎日作ってもらってます。大体、洋風なんですけど、スクランブルエッグと、そのほかあるものを出す感じ。あと、コーヒーは淹れてくれます。朝の時間が、忙しい時も作ってもらうととてもありがたいです」と感謝していた。

訃報に併せて発表したコメントの中で、吉永は「夫 岡田太郎は、昨年12月に胆のうがんと診断され、化学療法の治療を受けていましたが、転移もあり、症状が進んで、他界致しました」とコメントしている。「徹子の部屋」で夫婦生活を語って、日が浅い段階で岡田さんは体調を崩したとみられる。

また「私は地方での仕事を終え、病院に駆けつけ、傍に寄り添って看取ることが出来ました」ともコメントした。8月18日には、女性として初めて世界最高峰のエベレスト登頂に成功した登山家・田部井淳子さんの生涯を元に描く、自身124本目の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督、25年公開)がクランクインしていた。吉永は、田部井さんを元にした多部純子を演じため、都内の専門施設での高所順応テスト、低酸素トレーニングなどに励み、肉体改造に取り組んできたという。岡田さんの体調を気遣い、不安を感じながらも、愛する映画のため、役作り、作品作りに気丈に身をささげていたことが伺える。

【村上幸将】

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 吉永小百合15歳差乗り越え、家出同然で結婚した岡田太郎さんはかけがえのない存在「再生できた」