風吹ジュン(2008年11月2日撮影)

歌手、女優の風吹ジュン(72)が4日放送のNHK「ファミリーヒストリー」に出演。自身のルーツに迫った。

12歳の時に両親は離婚する。父章さんは富山出身の京大生。母ミサさんは和歌山出身で京都で父章さんと出会う。長男が生まれたタイミングで鹿児島に移住するが、章さんの母から富山に呼び戻されてしまう。

章さんとミサさんとの間に風吹が生まれて順風満帆な生活が始まるも、のちに離婚してしまう。そこから母と兄と風吹の3人による生活が始まる。

その後、母ミサは小さなスナックを開店。兄はバーテンダーをやっていたが、「繁盛してなかった」と当時を回想。開店半年後、火事で閉店し、追い詰められていく。そして母ミサから「一緒に暮らせない」と告げられてしまう。風吹はVTRで「明日から京都行って、みたいな。明日から?」と振り返った。兄は京都にあるミサさんの弟の会社で働き、風吹は同居して家事をこなしていた。風吹は「兄と2人だけの暮らしで。兄の給料でしたから、本当に苦しくて。私が家計をやりくりして、夕食をつくっている」と語った。

ミサさんとの別居後1年、高校受験の会場で試験開始を待っていた。開放された窓を見ると、そこにはミサさんが立っていたという。「また一緒に暮らす?」と言われ、共同生活が再び始まるも母娘関係はぎくしゃくしたままだった。その後ミサは滋賀・大津の料亭で仲居として働くことになった。

そして風吹は18歳の時に上京。その後、飲食店で働くうちにスカウトされ、CMデビュー。風に吹いたように出てきたことから芸名は「風吹ジュン」と名付けられた。

風吹はスタジオトークで、のちに81歳で亡くなった母について「謎でした。私は理解できなくて…孤立してたんでしょうね。母をもっと理解できてよかった。もっと寄り添えればよかった」と語った。

その後、風吹の兄から、ミサさんが大事にしていたものという触れ込みで番組に段ボールが送られてきた。中には風吹の活躍を報じる記事のスクラップブックがあった。風吹は「知らなかったですね…」。

ミサさんは晩年、いとこの娘に本音を打ち明けていた。ミサさんは「私のことも面倒も見てくれてありがたい。自分が気ままな性格なんで、迷惑をかけたっていうことを素直な気持ちで言えなかった」と語っていたといい、それを聞いた風吹は「素直な気持ちが最後に聞けてよかったです。本当に救われます」。そう語る風吹の目には涙がたまっていた。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 風吹ジュンの目に涙、葛藤あった母の晩年の言葉を聞き「素直な気持ちが最後に聞けてよかった」