お別れ会冒頭であいさつした次女関口まい(撮影・村上久美子)

6月12日にぜんそくのため、76歳で亡くなった桂ざこばさんのお別れ会が21日、大阪・サンケイホールブリーゼでスタート。午後1時から一般ファンの参加を受け付け、落語ファンらが集まった。冒頭、次女でタレントの関口まい(41)があいさつ。ざこばさんの師匠の故桂米朝さんへの強固な愛、絆を明かした。

会場は、前身サンケイホール時代から一門会や独演会などで、何度も高座にあがった“本拠地”。まいは「サンケイホール時代から、独演会が決まりますと、いつもお客の入りを気にしていました」と、豪快に見えて、実は繊細なざこばさんらしい思い出を伝えた。

亡くなる数年前、脳梗塞を患い、ざこばさんは、思うように落語ができなくなった時期もあった。

まいは「70歳になって、落語が消えてしまった。でも『もう1回頑張ろう』と言って、自分のお弟子さんに稽古をつけてもらう日々でした」とし、その頃から「不安だったと思います」と、異変を感じていた。

「夜になると『お父さん、しんどいねん』と電話がかかってくるようになりました。落語会にも『着いてきてほしい』と言うようになり、送り迎えをするようになりました」

車中で、ざこばさんが思いを吐露した。

「落語が消えてしまったことよりも、大好きなちゃーちゃんに教えてもろた落語が消えてしまった。それがしんどいねん」

父を早くに亡くし、実父のように師匠の米朝さんを慕ったざこばさん。米朝さんの実子で、後に弟弟子になる桂米団治でさえ“嫉妬”するほど、米朝さんもかわいがった。

ざこばさんにとって、落語を忘れることは、父との思い出が消えるに等しいことだった。

それだけに、まいは「でも、今、大好きな米朝師匠にお父さん、会えてると思います」と言い、「亡くなる数カ月前、父が『まい、めちゃくちゃうれしいことあるねん』と連絡がありました。弟子のひろば、ちょうば、そうばの襲名でした。最後の仕事が襲名発表になりました。その場へ向かう車の中でも『何言うたらええんや』などと言っていました」と続けた。

まいは、ざこばさんに「心残りがあるとすれば、襲名です」と言い、会場のファンにも「ぜひとも皆さまのお力添えをよろしくお願いいたします」と呼びかけていた。

情報提供元: 日刊スポーツ_芸能
記事名:「 桂ざこばさん「ちゃーちゃんに教えてもろた落語が消えた」次女まいお別れ会挨拶、父の苦悩明かす