話題のきっかけは、11月1日に投稿されたこちらのポストです。




投稿では、アメリカが舞台の日常漫画を話題にしつつ、日本で生まれ育った作家が日常を描けば、舞台は自然と日本になるという見方が示されています。描き手にとっての「日常」は、まず自分が暮らしてきた場所の生活。舞台の選び方は好みの問題というより、描き手の経験と深く結びついていると言えそうです。


ただ、反応を見ていくと、「アメリカが舞台の漫画」と「大きな事件よりも日々の暮らしを中心にした漫画」は、重なる部分はあっても同じ条件ではないことが分かります。どちらを思い浮かべるかで、挙がる作品や意見も少しずつ変わってきます。


身近な生活を描くこと


まず目立ったのは、元投稿の見方にうなずく声です。アメリカの日常を描けるのは、アメリカで生まれ育った人なのでは、という反応が寄せられています。




また、各国のクリエイターが日本の漫画の手法を使って、それぞれの日常を描くことを止める人はいない、むしろ見てみたいという声も。ここでは「日本の漫画の手法」と「描かれる暮らし」を分けて捉えているのがポイントです。表現の形式と、描き手が育った土地の空気は、別々に組み合わせられるものだという視点ですね。




読んでみたい海外の暮らし


共感と同時に多かったのが、そうした漫画があるなら読んでみたいという声です。アメリカで暮らす人たち自身に描いてほしいとしつつ、映画やドラマには日常を描いた作品がある、と媒体による違いに触れる人もいました。




さらに、アメリカで生まれ育った人によるリアルな学園漫画を読みたい、日本の雑誌で描いてもらえたら、と期待する声も寄せられています。




ここで求められているのは、旅先や事件の舞台としてのアメリカではなく、通学や友人関係といった、そこで暮らす人にとっての当たり前の風景。海外の暮らしを内側からのぞいてみたいという気持ちは、漫画好きなら覚えがあるのではないでしょうか。


少女漫画の読書体験


一方で、過去の漫画作品を思い出す人もたくさんいました。ひと言で『カリフォルニア物語』を挙げる声や、『エイリアン通り』、イギリスが舞台の作品として『はみだしっ子』を挙げながら、最近はあまり見かけないかもと振り返る声が寄せられています。






1990年代ごろの少女漫画ならあるとして、『CIPHER』『ALEXANDRITE』を挙げる人も。日常系とは違うとしたうえで『BANANA FISH』にも触れ、当時のアメリカのドラマから受けた影響に言及しています。




名前が挙がった『CIPHER』は成田美名子さんの作品で、ニューヨークの美術学校に通う少女アニスたちを描いた青春ストーリーです。作品の内容は白泉社の『愛蔵版 CIPHER 1』紹介ページで読むことができます。


日常とドラマの境界


作品が挙がるにつれて話題になったのが、どこまでを「日常漫画」と呼ぶかという線引きです。三原順さんの作品について、『Sons』をはじめアメリカの生活感がよく出ていた一方で、ドラマ性が強いため日常漫画とは言えない、と整理する声がありました。




『BANANA FISH』をアメリカの日常と呼んでよいのか、と首をかしげる反応も。




その一方で、ニューヨークの私立探偵が登場するドタバタ劇として『狼には気をつけて』を挙げ、日常系の作品として推す声も寄せられました。少女漫画のよさが詰まった作風で、海外の読者にも響くのでは、という推薦です。




こうして並べてみると、「アメリカが舞台か」「アメリカの生活感があるか」「大事件より日々の暮らしが中心か」は、それぞれ別の物差しだと分かります。活劇や大きなドラマの中にも生活の手ざわりは描かれますし、何を「日常」と感じるかは読み手によっても変わるもの。同じ作品が、ある人には日常系、別の人にはドラマとして受け止められるのも自然なことかもしれません。


描き手の数だけ日常がある


描き手が自分の暮らしを描けば、その土地の風景が自然と作品に映る。そんな見方への共感に加えて、海外の普段の暮らしを漫画で読んでみたいという期待や、少女漫画を通して異国の街に親しんだ思い出まで、さまざまな声が集まった今回の話題。あなたが思い浮かべる海外が舞台の漫画はどんな作品ですか? そして、それは日常漫画だと思いますか?


情報提供元: にじめん
記事名:「 アメリカが舞台の日常漫画をめぐる投稿に、共感と読んでみたい声、少女漫画の思い出が集まる 」