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四谷区、牛込区、淀橋区が合併して生まれ新宿区から多くの地名が消えたのは昭和40年。「○番○号」という「住居表示」のためでしたが、住民の反対などもあり、今も多くの旧町名が残っています。(荒木町、愛住町、鷹匠町、須賀町、矢来町、弁天町、若宮町、箪笥町、横寺町、山吹町、市谷船河原町、水道町、改代町…等々)
振り出しは駅の目の前、外国人観光客で大賑わいの「思い出横丁」。現在の西新宿一丁目ですが、旧町名は「角筈」でした。浅田次郎さんの短編小説「角筈にて」のタイトルにもなった由緒ある地名で、歌舞伎町あたりも含まれました。かつて角筈の先は郊外(というか農村)だったそうですが、その角筈が東洋一の歓楽街に発展するなんて、ちょっと不思議な気持ちになります。
思い出横丁を背中に交差点を渡り、少し歩くと「柏木公園(西新宿7-14)」。そう、次なる旧町名は公園名や区立小学校の行名にも残されている「柏木」です。柏木は西新宿と北新宿にまたがるエリアで、青梅街道沿いは早くから栄えたそうです。
そんな歴史もあってか、界隈には「柏木」の名を冠したビルやマンションがいくつも点在。中には<柏木MURA>と書かれたコンクリート打ちっぱなしの物件もありました。住民の方たちの「柏木ブランド」への誇りを感じることができます。
ほんの数年前までは新宿駅から徒歩圏内とは思えないほど、高層ビルと古びたアパートのコントラストが素晴らしかった所も…残念ながらコインパーキングに姿を変えていました。
界隈には成子町もありました。
シンボルは青梅街道沿いの参道奥に鎮座する成子天神社。平安時代前期の延喜3年創建とされる古社ですが、よく見ると新しいことに気づきます。
実は、2011年から始まった「成子天神社再整備プロジェクト」で神社施設は建て替えられ、高層マンションと一体開発されたそうです。それでも、参道脇には昭和の面影を残すお店や建物が残っていて、新旧の時代を同じ空間で感じ取れる貴重な空間です。
ちなみに「成子天神社」は学問の神様として有名ですが、境内には新宿区内最大規模の富士塚「成子富士」や成子七福神(なんと七福神が全員いらっしゃいます)など見所も多くあります。
続いては、青梅街道を渡りバブルの嵐が吹き荒れた新宿中央公園沿いへ。
実は新宿中央公園の西側、西新宿の一部に粋な旧町名がありました。その名も「十二社(じゅうにそう)」。紀州熊野の12の社の神々を熊野神社に一緒にまつったことが起源だそうです。
かつて境内に大きな滝、近くには十二社池という池もあり、江戸時代は人気の景勝地。歌川広重の「名所江戸百景・角筈熊野十二社」には、現在の西新宿四丁目付近にあった十二社池が描かれています。
物見遊山の客で賑わったという十二社の傾斜地には、花街時代の宿や料亭の名残りがあって、往時をしのぶことができます。
そろそろ夕暮れ時となり、旧町名を楽しむ町歩きの終着点へ。そこは十二社の路地に佇む『品川亭(西新宿4の13の13)』。
小雨の降る中、店の前に立っていたら、やさしい女将さんが開店前に入れてくれました。聞けば、この店、かつては芸者さんの「置屋」だったそうです。
あまりの偶然にさらにお話を伺うと、十二社で育ったという店主さんから面白いエピソードをたくさん聞くことができたので、その詳細は<都会に残る旧町名を楽しむ町歩き>の「店主のお宝エピソード編」としてご紹介します。