大谷翔平選手の様に投手でも打者でもずば抜けた才能があれば二刀流という稀な起用のされ方をしますが、だいたいの選手はそのどちらか。

中には投手として入団しながら、ケガや適性能力で野手へ転向なんていうケースは多くあります。一方で野手から投手の転向の話はあまり聞きません。しかしそのコンバートは日本球界でも少なからずあり、チーム支える活躍をした選手も。

そこで今回はその稀なケース、「野手から投手への転向」した選手について書いていこうと思います。

成功例多数、投手から野手への転向

月刊メジャーリーグ 6月号 (2008年05月10日発売)
Fujisan.co.jpより

まず投手から野手への転向例を見てみると、首位打者、盗塁王を獲得している阪神の糸井嘉男選手。投手として入団し二軍では登板していたものの一軍では登板無し。外野手に転向すると才能を開花させました。

ヤクルトの雄平選手は入団後、先発や中継ぎとして起用されていましたが打者に転向すると中軸を担い三割超えを二度記録しています。

両者とも制球難が転向の主な要因だったようです。

日本では稀だが、メジャーではまあまある転向

日本では稀な転向ですがメジャーではまあまああるケースで球史に名を残すほどの記録を上げる大投手も生まれています。野手としてくすぶっている選手が強肩を買われ転向を勧められることが多いそう。

たとえば……

1990年~2000年代にパドレスでクローザーとして活躍したトレバー・ホフマン選手。メジャー史上初の600セーブを達成した大投手。

同年代、エンゼルスなどでクローザーとして活躍したトロイ・パーシバル選手は、捕手として入団したものの投手に転向。358セーブを上げる名クローザーに。

また2009年、横浜で24本塁打を放った長距離砲、ダン・ジョンソン選手は36歳の時投手に転向。レイズとマイナー契約を結びました。

極め付きはパイレーツやレッドソックスで活躍したティム・ウェイクフィールド選手。野手としてプロ入りしますが周囲との実力の差に愕然としたそう。首脳陣にも期待されないまま、キャッチボールの練習中、たまたま遊びで投げていたナックルボールがコーチの目に止まり投手に転向。その後、ナックルボーラーとして主に先発投手に。通算200勝を上げる活躍をしました。

名作野球漫画「ストッパー毒島」に登場するウェイク国吉のモデルはおそらくこの投手。

日本の野手から投手への転向

オリックス 嘉勢敏弘選手

94年、外野手としてドラフト1位で入団。入団3年目、春季キャンプの紅白戦で登板したところイチロー選手らを打ち取り評価を獲得。以後、外野選手登録のまま登板したりしますが、2001年投手登録されるとリーグ最多の70試合に登板。左の中継ぎとしてチームに貢献しました。

オリックス 萩原淳選手

91年、野手として入団しますが9年で1安打とくすぶっていたところ強肩を買われ投手に転向。ここから快進撃が始まり150キロを超えるストレートを武器に中継ぎ投手として活躍しました。

嘉勢選手、萩原選手、両者とも名将・仰木彬監督のもと、いわゆる仰木マジックで見出され転向した選手でした。

阪神 遠山奬志

遠山選手は中でも変わり種。そもそもドラフト1位で投手として入団。ルーキーイヤーに先発ローテーションの一角を担うなど先発、中継ぎとして活躍しました。ロッテに移籍しますが故障などで思うような成績が残せず野手に転向。野手としての一軍登録は無かったものの、自由契約後に投手として阪神にテスト入団。

中継ぎ投手として大活躍しますが、チームの投手事情により野手経験もあるということから試合中、ワンポイント登板→一塁守備→ワンポイント再登板というような起用もありました。

日本の場合はまだまだレアケースで名球会クラスの選手は輩出していません。しかしメジャーの成功例をみていると日本でも生まれて欲しいという期待をもってしまいますね。

情報提供元: マガジンサミット
記事名:「 【野球美】日本では稀なコンバート…… 野手から投手への転向