私たちの生活に身近な「味の素」「ほんだし」「Cook Do」「Blendy」など、数多くの商品を展開する味の素グループ。長年にわたって親しまれるブランドは、どのように作られ、支えられているのか。


その舞台裏を、知的財産をはじめとする“縁の下”の仕事からひも解いたのが、『「味の素」の最強ブランディング ファンの心をつかんで離さない知財戦略』(朝日新聞出版)だ。


著者は、味の素株式会社で知的財産部長などを務めた勝沼依久さん。ところが、勝沼さんはもともとブランディングを専門としてきたわけではない。そもそも出版を志したきっかけも、ブランディングとはまったく異なるところにあったという。


なぜ『「味の素」の最強ブランディング』が生まれたのか。そして、知財や購買、お客様相談センターなど、消費者からは見えにくい仕事がどのようにブランドを支えているのか。退職後だからこそ気付いた味の素の企業文化や、勝沼さんが本書に込めた「ブランディングは全員の仕事」という思いまで、じっくりと話を聞いた。


「その本を読みたい人はいません」から始まった出版への道


――まず、『「味の素」の最強ブランディング』を出版することになった経緯から教えてください。


もともと、ブランディングの本を書こうと思っていたわけではないんです。私は味の素で、長年にわたって知的財産に関わる仕事をしていました。知的財産には技術を事業に結びつける役割もあるのですが、その仕事をするなかで課題に感じていたのが、大学には素晴らしい技術がたくさんあるのに、それがなかなか事業へ結びついていないことでした。


――技術はあっても、それを事業へと育てていく部分に課題を感じていたと。


大学側にいれば大学の利益のために主張しますし、企業側にいれば企業のために主張します。その間に立って「事業を育てる」という役割が、日本ではまだ弱いのではないかと感じていたんです。そこで、定年退職したら、その真ん中を強くする役割を担いたいと考えていました。


――そして味の素を退職後、実際に動き始めたわけですね。


はい。大学を回ってお話をさせていただいたのですが、そもそも今までにない仕事なので、「ちょうどそういう人を探していました」とはなかなかならないんですよね。それまでは味の素という看板を背負っていましたから、「味の素さんが言うなら」と話を聞いていただけることもありました。でも退職すれば、ただの定年退職した人です(笑)。


――そこで、ご自身から発信する必要性を感じたのでしょうか?


そうです。自分からきちんと発信していかなければいけないと思ったんです。「私はこんなことができます」と言うだけではなく、「世の中をこう変えていきませんか」と提案できる人になろうと。その手段の一つとして出版を志しました。


――最初から現在の本の形が見えていたのでしょうか?


それが、まったく違いました。最初は産学連携や知的財産について本を書きたいと考えて、出版スクールに入ったんです。そこで企画を話したら、「この本を読みたい人はいません」と言われました(笑)。それまで考えてきたことを一度ゼロにされたくらいの衝撃でしたね。


――かなり厳しい言葉ですね。


でも、たしかにそのとおりですよね。それなら一度、自分が知的財産部門の責任者だったという経験から離れて、味の素全体について書こうと方針を変えました。


――テーマは変わっても、その先に目指しているもの自体は変わらなかったんですね。


はい。私は、目指しているものを「北極星」と呼んでいます。自分が最終的に目指したい方向は決まっているんです。今回の本は産学連携そのものではないので、北極星に向かって真っすぐ進んでいるわけではありません。でも、目指す場所を見失わず、そのときにできることをやっていけば、目的地にたどり着けると思ったんです。


――その“北極星”は変えずに進むなかで、朝日新聞出版との出会いがあったと。


出版企画のオーディションで、朝日新聞出版さんに手を挙げていただきました。ただ、そのときにプレゼンしたのは、味の素という企業全体についての本だったんです。すると、「企業の話だけでは宣伝になってしまう。読者の学びになる方向に変えてほしい」と言われて、提案されたテーマが「ブランディング」でした。


――「ブランディング」は、勝沼さんから提案したテーマではなかったんですね。


そうなんです。私は、ブランディング部門にいたことはほとんどありません。社内にはブランディングをずっと専門にしてきた人たちがいるわけです。「そういう人たちを差し置いて、私が語るのは違うだろう」と思って、一度は断ろうとしました。


――そこから、なぜ引き受けることに?


出版スクールにもお金を払ってここまで来たのに、いまやめるのはもったいないなと思ったんです(笑)。それに、オーディションのときに「何でもできます」と言ってしまっていたんですよ。それならやってみようと、翌日に「やります」と連絡しました。


ブランディングの専門家ではなかったから見えたもの



――ブランディングは専門外ともいえるテーマなわけですよね。どこから書き始めたのでしょうか?


「何を書けばいいんだろう……」というところからスタートしました。一般的なブランディングの本であれば、消費者調査をして、結果を分析して、だれをターゲットに、どうPRしていくか。そういった華やかな仕事を書くのだと思います。でも、私はそれを書けません。


――そこで、一般的なブランディング本とは違う切り口を探した。


「ブランディング部門は華やかに見えるけれど、実はその裏にいる“縁の下の力持ち”であっても、ブランドを支えているのではないか」と考え始めました。


――そこで、ご自身が携わってきた知的財産をはじめ、さまざまな部署に目を向けたんですね。


はい。例えば知的財産部門なら、商標を他社にまねされないように守ったり、ブランド名が普通名称にならないように管理したりします。お客様相談センターにも取材しました。そこも単なるクレーム処理の部署ではありません。お客様が直接伝えてくださる声を受け止めて、それを商品やブランドにつなげていく役割があります。


――消費者からは見えにくいところでも、ブランドを支える仕事が行われているわけですね。


そうですね。さらに印象的だったのが購買部門です。円高やコロナ禍など厳しい状況があっても、取引先を簡単には切らずに関係を築いてきた。その結果、取引先へのアンケートでも非常に高い評価をいただいていました。


――購買部門の仕事となると、消費者が普段意識する機会はほとんどありませんよね。


消費者が「いい原料を供給してくれる取引先がいるから、この商品を買おう」と考えることは、ほとんどないですよね。でも、その土台があるからこそ、事業部門は自信を持って商品を届けられる。「これは書かなければいけない」と思いました。


――確かに「ブランディング」と聞くと、マーケティングや広告、PRなどを思い浮かべがちです。


そうなんです。でも、ブランドを作っているのはそこだけではありません。知財や法務のような全社を見る部門にいたからこそ、気付けた部分もあったと思います。私はペルーで働いた経験もありますし、ベトナムで何泊も営業に同行したこともあります。社内にいたから見られたものがたくさんありました。そうした“縁の下”を描いていった結果、これまでのブランディングの本とは違うものになったのではないかと思っています。


グルタミン酸ナトリウムを買っているわけではない



――世の中には似たような商品やサービスが数多くあります。そのなかで、価格だけではなく「このブランドだから選びたい」と思ってもらうためには、何が必要なのでしょうか?


ブランドを使っていること自体が、その人にとってうれしいものになることが大切だと思います。たとえば、自動車メーカーのSUBARU。ほかの企業を追いかけるのではなく、独自の技術を開発しています。「アイサイト」という運転支援システムもそのひとつです。そうした技術を自社の車に搭載し、独自性を築いている。私はそういう独自の技術へのこだわりに高い信頼を置いていて、ずっとSUBARUに乗っています。


――商品そのものだけでなく、「それを選んでいる自分」にも意味が生まれる。


そうですね。「一番売れているから選ぶ」だけではなく、そのブランドを選ぶことをアイデンティティにする人もいるんです。本の中では、コカ・コーラではなくペプシを飲むことを自分のアイデンティティにする人の話にも少し触れています。SUBARUにも、「トヨタや日産ではなく、自分はSUBARUを選ぶ」という人がいると思うんです。


――味の素の商品についても、海外でそれを実感した経験があったのでしょうか?


ペルー市場で強く感じました。「味の素」の主成分はグルタミン酸ナトリウムです。現地では、海外メーカーが作ったグルタミン酸ナトリウムを小分けして、「味の素」より安く販売している商品もありました。それでも「味の素」を買ってくださる方が殆どなんです。料理をする人は、単にグルタミン酸ナトリウムを買っているわけではないということですよね。家族や大切な人に「おいしい」と喜んでもらいたい。その場を作るために「味の素」を選んでくださっているんです。


――そこには、機能や価格だけでは説明できない価値があるわけですね。


そう思います。自分が好きなブランドの服を着たときは、出かけること自体が少しうれしくなりますよね。とにかく安ければいいと選んだ服とは、気持ちが全然違うと思います。そのブランドを使っている自分自身が幸せになれるかどうか。それもブランドが持つ大きな力だと思います。


味の素グループが海外で大切にしている考え方の根っこにも、「これを使って料理することが、食べてくれる人への愛につながる」という思いがあります。料理する人が家族を思って、「おいしくなれ」と調味料を入れる。その気持ちに寄り添うことが、ブランドにとって大切なのだと思います。


「フライパンチャレンジ」から見えた企業姿勢


――本を書き進めるなかで、改めて見えてきたこともありましたか?


たとえば、本書でも触れた「フライパンチャレンジ」。冷凍餃子がうまく焼けないというお客様の声をきっかけに、実際に家庭で使われているフライパンを送っていただいて調査した取り組みです。私はその当時まだ社内にいたのですが、実はそれほど大したことだと思っていなかったんですよ。「味の素ならこれくらい普通にやるでしょう」という感覚でした(笑)。


――当時SNSで「フライパンチャレンジ」を見ていて、「ここまでする企業があるのか」と驚いた記憶があります。


退職して外から見るようになって、本を書くために改めて情報を集めたときに、「この会社、すごいんだな」と思いました(笑)。フライパンを集めて一つひとつ焼いて調査し、製品を改良するには当然コストがかかります。それを回収するために、餃子をどれだけ売らなければいけないのかと考えたら、よく決断したなと思いますよね。でも、社内にいたとき「お客様を大事にするなら当然」という感覚だった。そういう文化が浸透していたのだと思います。


――そもそも、「餃子がうまく焼けない」という声に対して、フライパンを送ってもらおうという発想に至ったのはなぜなのでしょうか?


その背景には、お客様から寄せられる声を単なる「クレーム」として捉えないという、強い気持ちがあります。もしクレームと捉えていたら、代わりの商品を送ったり、返金したりして終わっていたかもしれません。むしろ「簡単に焼ける」と約束したのに、当社は約束を守れていない、という感情を抱きました。お客様相談センターでも、製品開発部門でも共通する思いとして、「これはクレームではなく、当社が製品を変えなければいけない情報だ」と捉えます。そうすると、前例にはないけれど、この状況に応じた対応をしよう、という発想が浮かびます。


――SNSによって、そうした企業の姿勢が消費者から見えるようになった部分もありそうですね。


味の素は、もともとSNSがものすごく得意なタイプの会社ではないと思います。でも、結果的にはSNSに助けられている部分もありますね。お客様相談センターの対応が紹介されて、大きな反響をいただいたこともありました。担当者たちは特別なことをしたつもりではなく、普段通りに仕事をしていただけなんです。


――目立つためにやったことではないのに、結果として評価され、それがブランドにもつながっていく。


お客様相談センターは、普段は褒められることよりも、厳しい声を受け止めることの多い部署ですからね。評価されるのは、とてもうれしかったと思います。そうやって日々積み重ねてきたものが、結果としてブランドを支えているのだと思います。


ブランディングは全員の仕事



――本書を通じて、特にどんな人へメッセージを届けたいですか?


ひとつは、これから社会に出る大学生に読んでもらいたいと思っています。就職活動をしていると、どうしても企業の華やかな部分が目に入りやすいですよね。でも、実際の仕事は、必ずしもそういうものばかりではありません。


――表からは見えない仕事にも目を向けてほしいということですね。


そうですね。むしろ、ほとんどの仕事には“縁の下の力持ち”としての側面があると思います。だからこそ、華やかな部分だけではなく、その会社を裏側から支えている仕事を見て、「こういう仕事も素敵だ」と思ってくれる人に読んでもらえたらうれしいですね。


――すでに働いている人にも届けたいという気持ちも?


もちろんです。SNSで発信を聞いていると、「仕事へのエンゲージメントが下がった」「仕事でつらいことがあった」といった声を耳にすることがあります。今回の本で私がとても伝えたかったのは、「ブランディングは全員の仕事だ」ということなんです。


――ブランディングを直接担当していなくても、無関係ではない。


そうです。各企業には、広告としてテレビCMを作ったり、商品の違いを打ち出したりする華やかな仕事があります。でも、それだけでブランドができているわけではありません。知財も、お客様相談センターも、購買も、研究開発も、表からは見えないさまざまな仕事も、すべてがブランドを支えています。事業を担っている人たちと、縁の下で支えている人との間で、「自分たちの商品やブランドは、一緒に作ってているんだ」という連帯感を感じてもらえたらと思っています。


――「自分の仕事は目立たない」と感じている人にも、響く本になりそうですね。


そうなってくれたらうれしいです。個人で仕事をしている方も、大きな会社で働いている方も同じです。自分の仕事は目立たない、意味があるのか分からないと思うことがあるかもしれません。でも、表からは見えない仕事も誰かを支えていて、その一人ひとりの頑張りが成果につながっています。「自分がやっていることには意味がない」と思って、元気をなくさないでほしい。そんなことを伝えたいと思って、この本を書きました。


(※)本のタイトル以外の場所で味の素㈱や味の素グループを表示する際、単に“味の素”と表記しています。

情報提供元: マガジンサミット
記事名:「 「これくらい普通にやるでしょう」が、普通じゃなかった。退職後に気付いた味の素グループの「全員力」 –『「味の素」の最強ブランディング』勝沼依久に聞く 」