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「○○離れ」という言葉が登場して久しいが、その中でも「日本酒離れ」は深刻だ。国税庁の調査※によると、日本酒(清酒)の消費量は1975年にピークを迎えたが、2021年には約4分の1に落ち込んだ。こうした飲み手の減少を背景に、廃業する酒蔵も少なくない。
しかし、一度廃業した酒蔵を約20年越しに復活させ、さらに地元地区の振興にも取り組んでいる会社がある。愛知県半田市にある、伊東株式会社だ。四苦八苦しながらも酒蔵を復活させ、独自の視点での地域振興を目指す代表取締役社長・伊東優氏に、話を聞いた。
※国税庁「令和5年6月 酒のしおり 12 酒類販売(消費)数量の推移」https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2023/index.htm
当社は愛知県の知多半島で、日本酒「敷嶋」を製造しています。創業は1788年。かつては日本酒造り以外に味噌・醤油業や銀行なども行い、地域のために事業をしていました。しかし清酒消費量の減少もあり、酒蔵は2000年に廃業。日本酒の製造免許も返納して、不動産の売却益や駐車場経営の収入で負債を返却しながら生きてきました。
転機となったのは、2014年。亡くなった祖父の葬儀で「敷嶋」を飲んだときに、「このお酒を無くしてはいけない」と思い、酒蔵復活に向けて動き始めました。最初は両親も反対していましたが、僕自身も日本酒が好きで、「自分が死ぬときに、やって良かったと思いたい」という一心で突き進んで来ました。
ただ実際に酒蔵復興に着手すると、不測の事態が続きました。まず、日本酒の製造免許の新規発行が認可されていませんでした。様々なご縁があってなんとか酒が造れるようにはなりましたが、お酒1本が出来上がるまでに数カ月かかり、完成させても利益はわずか。酒蔵復活の目標は達成しましたが、正直なところ、経営にはまだまだ課題が多い状態です。
ただ、色んなことを手掛けようとしても「酒造りが事業の中心であり、そこから様々なコンテンツを作る」ことは忘れないようにしています。当社にある古い蔵のようなハードをアピールすれば、一時的に注目は集められるが、そのハードがなくなった後は何も残らない。
そうではなく、酒という幹を中心に事業を展開すれば、枝葉がなくなってもストーリーは成り立ちます。ですから経営が厳しくても目先の利益に気を取られず、堅実に酒造りを続けていくつもりです。
まず知ってもらうため、現在はイベントにも注力しています。2023年4月には「亀崎酒蔵祭」、同年7月には「蔵シカルmarché」を開催しました。亀崎酒蔵祭は、有料での日本酒の試飲や米農家さんなどとのトークショーなどを実施し、全国から3,000人ほどの方々が来場してくれました。
蔵シカルmarchéはファミリー層向けで、飲食店やクリエイターさんに加えて、地元の大工さんを呼んで漆喰を使ったワークショップを実施したところ、地元の方を中心に1,000人ほど集まってくれました。
イベントを実施するのは、「地域と酒蔵の距離を縮めたい」という思いがあるからです。かつて酒蔵は地元の中心だったのに、今は一つの企業として捉えられ、地域と切り離されています。そのため、まずは酒蔵に来る機会を提供したいと考えています。そして、もう1つ「職人さんと子どもたちを近づけたい」という思いがあります。
今は物が出来上がる工程を見る機会が減っていますよね。昔は建物を作るときは大工さん、瓦職人さん、左官屋さんが来て、その仕事を間近で見ることができました。でも最近は、職人という存在そのものを知らない子どもが増えています。
この場所ができたのも、当社の酒蔵復興を実現できたのも職人さんたちがいたからこそ。ですからイベントに職人さんを呼んで、そういう仕事があることを次世代に知ってもらいたいと思っています当社がイベントに取り組むのは地域の将来のため。酒が造れるのも、イベントができるのも、地域があるからこそです。