ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所に2回ほど行ったことがあるのですが、今回はそのときのようすを写真でお伝えしていきたいと思います。単なる報告的なものなので、データとか問題提議とかしていないです。

1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の影響で行けないエリアもありますが、外国人が行ける最深部まで行ってきました。

前日から近くの宿に泊まったのですが、居心地よかったです。

翌日、ご飯を食べて、チェルノブイリ原発へと向かいました。ごはん、おいしかったです。

チェルノブイリ原発に到着。見た感じ、発電所っぽい。発電所なので当然ですが。

でも実際に入ってみると、入口や1階フロアは雑居ビルのようにも見えます。

チェルノブイリ原発は入る場合、事前に許可を得ている必要がありますが、ここでも入る人全員が名前を記入します。

案内されて奥へと向かうと、そこは白衣を着用するフロアでした。

白衣だけでなく靴も履き替えます。

コントロール室へと向かいます。

意外と、かなり、けっこう、すごく歩きます。

床の模様が好きです。

まだ歩きます。

コントロール室は広々としていました。

どこかSF感が漂いますが、SF作品がこのようなリアルコントロール室をもとに作ったのだと思います。

SF感とともに、レトロ感もありました。

どのボタンが何を意味しているのか分かりませんが、押してはならないということだけは理解して押しませんでした。

カバーがしてあるボタンもありました。

レバーもありました。

レトロモダン。

時計です。

室外の壁に電話がありました。

チェルノブイリ原発内は扉がたくさんあるのですが、ほとんどが施錠されていました。

扉にも電話がくっついていました。

職員が業務をこなしている部屋もありました。

ここはちょっと現代的。スキャナのようなものもありました。

電力の流れを管理、確認する機器のようです。

レトロ感が漂っています。

触ってはいけない機器です。

デスクワークで体力が衰えないようにトレーニング!?

窓から外を見てみると、鉄道がありました。

さらにチェルノブイリ原発の奥へと進んでいきます。

扉の向こうに、何かがありました。

あまりにも放射線量が強いため、事故発生後も行くことができない4号炉。その4号炉でワレリー・ホデムチュク氏が眠っているそうです。

この壁の向こうに4号炉があります。

チェルノブイリ原発を出て、チェルノブイリの立ち入り禁止エリア内に勝手に住んじゃってる、エフゲーニーじいさんに会いに行きました。

そして、いまの生活についていろいろと話をしました。

ここから離れるつもりはないそうです。

「みんなワシのことを、ジジイですぐしんじゃうからからチェルノブイリに戻ったと思っている。違うよ。ワシは27年以上前(取材時)からここに住んでるし、ココに戻ってきた時は40代で若かった。ワシはこの家で生まれたから、ココが戻る場所だし、戻ってきたんだ。ただそれだけだ」

お菓子や地産地消の生卵をいただきました。

生卵はそのまま飲みました。

誰にとっても、日々が楽しい未来になることを願います。

(執筆者: クドウ@食べ歩き)

情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 ウクライナ・チェルノブイリ原発に入ってみた