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今回は華村@中国さんの『note』からご寄稿いただきました。
「9/19: 今週の辺境の心境」2020年9月19日『note』
https://note.com/marginal_report/n/n6b65fe2f8d34
林毅さんのnoteで紹介されていた↓の記事が大変に興味深いものでした。僕なりにタイトルを訳すと「死によって淘汰される、テクノロジーに見捨てられた人々」という少々刺激の強いもので、IT化が進む社会でテクノロジーから置き去りにされ、世間に届く声を持たない老人や農村出身者について書かれたものです。
重たい内容ですが文章自体は平易に書かれているので、中国語が読める方には是非読んでいただきたいと思います。林毅さんも仰るように、この記事が消されることなく読めるということには一抹の安心感を覚えます。
「被骂底层猪、遭群众抛弃、坐公交遭拒:一群“被科技消灭”的人,在以死亡的方式被淘汰」2020年9月16日『微信,是一个生活方式』
https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzUxOTk0MTA4NA==&mid=2247487630&idx=1&sn=9c6e14e011146988e3dc657db217377f&chksm=f9f0ae3dce87272ba643fd6f559a1270ad8fe7a60d90f2c9edf41e32a0264e1bb55050cf9ef2&scene=178&cur_album_id=1370196034701623297#rd
さて、この記事の中には、フードデリバリーに来た配達員を「底辺の豚」「自分でみじめだと思わないのか?」などと罵ったという大学生のエピソードが登場します。
なんとも胸糞の悪くなる話ですが、この大学生のように苛烈かつ直接的な表現を使うかどうかはともかく、中国において「低層」の人々に向けられる視線の冷酷さのようなものに驚かされたことは、これまでの生活で幾度となくありました。
ある観光地のバス停で、バスを待っていた時のことです。清掃員のおばあさんが、ゴミ箱を持ってゴミの回収作業をしていました。
するとバス停に並んでいた男性の一人が、丸めたティッシュを正面からおばあさんの方に投げつけました。男性はおばあさんの持つゴミ箱に入れるように投げたつもりだったのかもしれませんが、結果としてティッシュはゴミ箱を外れ、おばあさんの胸のところに当たって、地面へと転がっていきました。
おばあさんは怒りと悲しみが入り混じったような表情でしばらく男性を睨みつけていましたが、やがて黙々と清掃作業に戻り、ほどなくして去っていきました。
おばあさんの表情も忘れ難いものですが、同じくらい男性の態度が印象に残っています。最後まで一言もおばあさんに謝罪することはなく、むしろおばあさんが去った後に、連れ合いの人と一緒におばあさんを貶していたような記憶があります(当時の語学力はまだ微妙だったので、きちんと聞き取れているかどうかは怪しいのですが)。
中国に住み始めて間もないころの、最初に違和感を感じた出来事です。
中国で仕事をしていて、こんな経験もあります。
当時勤めていた日系メーカーの工場では、ワーカー(その多くは農村からの出稼ぎ労働者)の作業ミスによる品質問題が頻発していました。問題が発見されるたびに、日本人の管理職が現場の管理不足をなじり、「徹底した教育と仕組みづくりを!」と求める日々が毎日のように続いていました。
そんな中で生産現場の監督を任されていた李さん(仮名)が、ポツリとこう漏らしたことがあります。
「あんな「素质」(sùzhì)のない奴らに、何を教えても無駄だよ。教えたってまともに聞くわけないんだから」
当時僕はこの「素质」という言葉にあまりピンと来ておらず、日本語の「素質」(そしつ)と同じように単に能力的なことを指しているのだと思い、まあまあそれを言っちゃあおしまいだし、諦めずに頑張ろうよ、などと声をかけました。李さんはあまり納得していない様子でした。
後になって、中国語の「素质」には、その人の持つ素養や修養、もっと言えば受けてきた教育の程度などの、日本語のそれよりもずっと広い意味が含まれていることを知りました。言葉を選ばずに言ってしまえば、「生まれ育ち」に対する蔑みのようなものが、李さんの言葉には含まれていたのです。
誤解のないように付け加えておくと、李さんは粗野な人というわけではなく、むしろ聡明で優しい、人格者といってよい人でした。家族を愛し、二人の子供を大学に入れた苦労人でもあります。僕も李さんに仕事上で何度も助けてもらいました。
逆にそんな李さんの言葉だからこそ、今でも喉の奥に引っかかるような何かを感じてしまうのかもしれません。
中国にいると、この手のエピソードに出会う場面はたくさんあります。
(小声)一定層以上の中国人がナチュラルに持つ、老人や農民などの「素质不好」の人間に対する差別意識にギョッとした経験、少なからずある。
—華村(はなむら)@中国 (@stwtcpld) September 19, 2020
(小声)一定層以上の中国人がナチュラルに持つ、老人や農民などの「素质不好」の人間に対する差別意識にギョッとした経験、少なからずある。
先日つぶやいたこのツイートにそこそこの量のFavが付いていることなどを見るにつけ、僕のフォロワーさんに多いであろう中国に関わってきた邦人の方々には、同じようなことに心当たりがあるのでしょう。実際、リプライや引用RTでご自分の経験や感想を述べてくれた人がいました。
中国でそれなりの期間を過ごし、いろいろな場面に遭遇してきてある程度確信を持って言えるのは、中国には「階層」を分かつハッキリとした「線」があり、その線引きを人々は内面化し、受け入れて生活しているということです。
日本も格差社会化や階層化が叫ばれるようになって久しいですが、日本でいう「階層」とは根本的に違う何かを感じます。表現が難しいのですが、日本の「階層」がグラデーションでできているとしたら、中国のそれは「線」の形をして、それぞれの世界を分かつものであるような気がします。
先のツイートの中では一方的に断罪するようなことを書いてしまったのですが、これを純粋に「差別意識」などといっていいものかどうかは再考の余地があるかもしれません。普通の中国人にとってこうした構造は「そうなっている」ものであり、気に留めるものでもないのでしょう。その価値観に対して良い/悪いや正しい/正しくないを論じることにはあまり意味はありません。
また、自分を高みに置いて「それは差別だ! 是正されるべきだ!」などと声高に叫ぶつもりも資格もありません。僕だって、汗だくの腹をボリボリ掻きながらご飯を運ぶ配達員を見たり、ちっとも話が通じない工場のワーカーと話したり、高鉄の駅で切符の列に並ばずに好き勝手なことを騒ぎてたてるような「素质のない」人々を見たりすると、やはり差別的な感情が湧いてきてしまうこともあるからです。
個人的な予想ですが、この「階層」が今後溶けてなくなっていくようなことはなく、むしろその「線」はより濃く、より太くなっていくと思っています。どうしてそう思うかを述べるとどこからか火の矢が飛んできそうなので控えますが、ともかくこの「階層」は保存され、受け継がれていくと考えます。
僕はその中を暮らす外国人として、その姿を見つめていくことになります。今は「線」の外側寄りにいるつもりですが、そのうち「線」の内側に巻き込まれるようなこともあるのかもしれません。
そうなったときに、どんな自分を保てているのか。自戒しながら、柔軟に考えながら、やっていこうと思っています。
執筆: この記事は華村@中国さんの『note』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2021年7月19日時点のものです。