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薫が想い続ける大君は心身を病み、ついに声も出せないほどの重体になってしまいました。それもこれも全ては自分のせい。薫は激しい後悔にかられながら、僧侶たちに祈祷を始めさせ、自身も大君の枕元に屏風を立てて座り込みます。
姉の看病をしていた中の君は、急に薫が出張ってきたので「困ったな」と思いました。が、薫は「何日もご看病なさって大変でしょう、せめて今夜だけでもゆっくり休んで下さい。僕がお側についていますから」。
中の君は何やら不安ではあるものの、彼の並々ならぬ様子に「真相はわからないけど、やはり何でもない関係ではなさそう」と思い、そっと姿を隠します。数名を残し、女房たちも席を外しました。
薫はやせ細った彼女の手を取って「どうして、お声だけでも聞かせて下さらないのですか」。
大君はやっとのことで「心ではお話したいと思うのですが……物を言うのがとても苦しくて。もうずっと来てくださらなかったので、このままお目にかかることなく、お別れするのかと思うと……残念でたまりませんでした」。
初めて素直に「あなたを待っていた、会いたかった」と言ってくれた彼女。しかしもう息も絶え絶えで、薫はそれが悔しくて仕方ありません。「こんなにお待たせしていたとも知らず、長く来られなくて……」と、しゃくりあげて泣きます。
大君のおでこを触ると、少し熱がある様子。でも未だに病気の原因は不明です。いったい何の病気か、僕を受け入れてくれていればきっとこんなことにはならなかったと、薫が耳元でくどくどと言うと、大君は恥ずかしさで袖で顔を覆ってしまいます。
もとよりほっそりと繊細な感じの人でしたが、病のせいでより一層頼りなげに見える大君。この人を死なせてしまったら自分はどうなってしまうだろうと思うと、胸が押しつぶされるような思いです。
大君は、相変わらず立派な風采の薫を見て「こんな方に間近で弱った姿を見られるのは恥ずかしい。でも、これもまた前世からの宿縁だったのかもしれない」。何より、ぱったり来なくなった匂宮に比べ、この方はやはり誠実で優しいと、その事が改めてありがたく感じられました。
「このまま死んでしまっても……この方の心に残る私が、強情で冷淡なだけの女になってしまったら嫌だわ」。どうせ死ぬのでも、彼の心に残る自分の印象がネガティブであってほしくない。
何という女心でしょう、あれほどツンツンしていた大君の最後の気持ちは、「やはり薫が好きだ、だからこそ嫌な印象だけ遺して去りたくない」という点に尽きたのです。
というわけで、大君はもう薫を避けたりはしません。でも衰弱が激しく、一口の薬を飲むこともできない。「もう打つ手はないのか」と、薫は絶望するばかりでした。
絶え間なく続けられる読経。入れ替わる僧侶たちと共に、山寺のあの阿闍梨も老いしわがれた声で読み上げます。薫が様子を見に行くと、阿闍梨は「先程のうたた寝に八の宮さまのお姿が見えました」。
「どのような所にいらっしゃるのか、俗人のお姿で“俗世を疎んでいたので深い執着はないが、わずかに心残りなことがあり、そのために極楽浄土にたどり着けずにいるのが残念だ。追善供養をしてほしい”とおっしゃいました。できる範囲で弟子たちに念仏を唱えさせております」。
中の君の夢にも現れた八の宮がここでも登場。やはり遺言を失敗したと思っているのか、まだ成仏どころではないのでしょう。薫はいたわしい八の宮を思いやり、朝廷にも休暇を申請して、本腰を入れて宇治での祈祷と看病に精を出します。
読経だけでなくお祓いや祀りなど、ありとあらゆるまじないを行ってみますが、物の怪なども現れず何の甲斐もないまま。それもそのはず、当の大君に病気を治したいという意欲がないのです。
「お父様、ごめんなさい。まだこのあたりにいらっしゃるのなら、どうか私もご一緒させて。私はやはり、今この時に死にたいの。
万が一良くなったとしても、何から何まですっかり見られてしまったこの状態では、薫の君との結婚は免れないわ。
今はこんな風に心血を注いで下さっているけれど、この情熱だって永遠に続くものではないだろう。そんな日が来て、自分にも相手にも愛想が尽き、倦怠に苦しむ未来なんて嫌。
もし生き延びるような事があれば、病気を理由に出家しよう。それでこそ、私と彼との間の清らかな愛は永遠のものになるのだ」。
そしてこの決意を中の君にそれとなく打ち明けると、女房たちも含めて大反対。「薫があんなに真剣に看病してくれているのに」と止められてしまいます。薫に言ったところで彼も当然反対するでしょう。病床の紫の上が出家を願ったときとまったく同じ構図で、やはり叶わぬ願いのようでした。
薫が公務も休んで宇治で看病をしているというので、山荘にはわざわざ京から慰問に来る人も現れるようになりました。薫が大君を真実愛しているのを知った彼らは深い感銘を受け、「そこまで想う方ならば」と、それぞれに協力し、祈祷などして快復を祈ります。
宇治はすでに雪の季節になりました。京では豊明節会(大嘗祭・新嘗祭の最後に行われた儀式)が賑々しく行われているだろうと、薫は遠く京を思います。宮中には美しい五節の舞姫が舞い、みなお祭り気分で華やかに過ごす日。本来なら自分が居たはずの場所が、今は遥かな別世界のように思われます。
自ら招いたこととは言え、大君がこのまま逝ってしまうのかと思うと辛く、とは言え彼女を恨むこともできない。今となっては、ただほんのちょっとでもいい、以前のように思ったことを話し合える時間が持てたら、それだけでいいのに……。
しかし吹雪に閉ざされた宇治の山荘は、日中も明るくならないままに日暮れを迎えます。「かき曇り日かげも見えぬ奥山に 心をくらすころにもあるかな」。曇って日の差さぬ山奥で、心まで暗くしている自分の今日このごろ。大君はすでに意識が混濁し始めていました。
「どんな具合ですか。毎日、全身全霊でお祈りをしている甲斐もなく、あなたは声すら出なくなってしまった。私を遺して逝ってしまうのですか、ひどい人だ」。
大君はぼうっとした意識の中でも薫の気配を察し、顔を隠しながら言いました。「ちょっとでも気分がいいときがあれば……お話したいこともあったのですが……もう苦しくてこのままになりそうなのが……誠に心残りです……」。
今にも消えてしまいそうな大君を前に、近くに隠れて控えている女房や中の君には聞かれたくないと思いつつ、薫は泣き声を抑えることができません。
自分はどうして、この人を愛しながらも最後まで結ばれない、悲しい運命だったのだろう。せめてどこか幻滅するような所があれば、多少は冷静になれるのでは。そう思ってまじまじと横たわる大君を見つめますが、ただただ美しく可憐な様子ばかりが目に付きます。
布団を押しのけ、白い柔らかな衣だけを身に着けて横たわる大君はまるでお人形のよう。腕はやせ細り影のように薄くなっていますが、肌艶は不思議と衰えず美しいまま。髪は多すぎず、無造作に枕からこぼれ落ちて、つやつやと輝いています。どんな状況にあっても、ヒロインの美しさは失せません。
病床でろくに身繕いもしない人が、きちんと正装した人よりも遥かに美しいとは。本当にこの人はどうなってしまうのだろうと思うと魂も抜けそうで、薫はなんとか会話を続けるべく、中の君の話題を振ります。
「あなたが逝ってしまうようなことがあれば、僕も死ぬ。もし命があっても山に分け入って世を捨てます。でも、そうなると残された中の君がお気の毒でしょうね」。
大君は顔を隠していた袖を少し放して言います。「私は、どうしても自分が長生きできるとは思えませんでした……。とは言え、あなたを拒むだけの女になりたくないからこそ、私と同じ心を持つ妹と一緒になっていただきたいと思っておりましたのに。
あなたと中の君が結ばれていたらどんなに安心して死ねただろうと思うと、そのことだけが悔やまれます」。
「どうしても思いつめる性格なのか、僕はあなた以外の人へ心を向けることがどうしてもできなかった。結果的にご意向に添えず、申し訳なく思います。でもそのことであまり悩まないで」。
そのうちに大君はひどく苦しみだし、容態が急変します。薫も僧侶たちを近くへ呼び寄せ、自身もありったけの力で念じます。……しかし、大君は薫の眼の前で息絶えました。本文では「もの隠れゆくやうにて」とありますが、日が陰るように、花が枯れるように、彼女は息を引き取ったのです。
臨終と聞いて姉に駆け寄り、取りすがって泣き叫ぶ中の君。それを不吉だと言って引き離し、隣室に連れて行く女房たち。薫と大君の不器用な者同士の恋はこうして終わります。
「これは長年、俗世を離れたいと願っていた僕に仏が下された試練なのか。愛した人の死を契機に、いよいよ出家せよと御仏は仰っているのか」。薫は呆然とした姿を晒しながら「そんな事も、もうどうでもいいと思いながら」、まだ大君の死が信じられませんでした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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