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今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。
2025年の国際博覧会の開催都市がもうすぐ決まる。
大阪の他に、アゼルバイジャンのバクー、ロシアのエカテリンブルクが立候補しており、聞くところでは、三都市の競争は「横一線」だそうである。
大阪府知事、大阪市長は世界に向けてのPR活動に熱心だが、国内では招致機運が盛り上がらない。
間近に迫った2020年の東京五輪に対してさえ市民の間に熱い待望の気持は感じられないのだから、そのさらに5年後では気合が入らないのも当然だろう。五輪にしても万博にしても、半世紀前の1964年の東京五輪、1970年の大阪万博の時の国民的な高揚感とそれにドライブされた劇的な社会改造を記憶している世代から見ると、今の日本の冷え方はまるで別の国のようである。
今回の万博に国民的関心が高まらない最大の理由は、にべもない言い方をすれば、大阪で万博を開く必然性がないからである。
公式サイトにはこんなことが書いてある。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで、1970年に日本で最初に開催された大阪万博(EXPO’70)は日本の高度経済成長をシンボライズする一大イベントとなりました。『万博』では新しい技術や商品が生まれ生活が便利になる『きっかけ』となります。エレベーター(1853年、ニューヨーク万博)/電話(1876年、フィラデルフィア万博)、ファミリーレストラン、ワイヤレステレフォン、電気自動車、動く歩道(1970年大阪万博)ICチップ入り入場券、AED、ドライミスト(2005年愛知万博)。
2025年大阪・関西万博が実現したら…最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信 国内外から投資拡大 交流活性化によるイノベーション創出 地域経済の活性化や中小企業の活性化 豊かな日本文化の発信のチャンス。」
コピーだから仕方がないが、日本語として文の体をなしていない。単語を羅列しただけだ。万博のメインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」、サブテーマは「多様で心身ともに健康な生き方持続可能な社会・経済システム」だそうであるが、これも単語の羅列であることに変わりはない。
公式サイトのこの文章を読んで「わくわくした」という人はたぶん推進派の中にもいないだろう。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで」という書き出しの一文だけで私は脱力して、先を読む意欲を殺がれた。中学生の作文じゃないんだから、他に書きようはないのか。大阪で昔万博がありました、これまでいろいろな新技術が紹介されてきました。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。そう聞かされても、こちらとしては「ああ、そうですか」以外に感想がない。
「ああ、そうですか」しか出てこないのは、これらの言葉の中の一つにも、この文章を書いた人間の生き生きした身体実感の裏付けがないからである。書いている人間がわくわくしていないのに、読む方がわくわくするわけがない。申し訳ないが、ここに書かれていることは「空語」である。「こんな感じのキーワードを適当に散らばしておけば、それらしい文言になるだろう」という書き手自身の病的なやる気のなさが行間からにじみ出てくるような文章である。
そもそも、過去の万博でのエポックメーキングな事例を列挙する中に、ロンドン万博の水晶宮も、パリ万博のエッフェル塔も、〈アール・ヌーヴォー〉も、リュミエール兄弟のシネマトグラフも、シカゴ万博の大観覧車も言及されないとはどういうわけだろう。「万博」と言ったら、まず「それ」だろう。たぶん、そういう華やかな先例と比べられると大阪万博の企画の貧しささが際立つから、「それ」には触れるなという指示があったのだろう(コピーライターが忖度して自粛したのかも知れないが)。どちらにしても哀しいほど安っぽいコピーである。挙げるに事欠いて、日本開催の万博で出したファミレスやドライミストを万博史上に残る新技術だと言い募るところに、計画主体の自信のなさが漏出している。
大阪万博の招致の最大にしてほぼ唯一の目的は地域への経済波及効果である。国の試算で1兆9000億円、大阪府の試算は2兆3000億円。万博に合わせたイベント開催や観光客の増大などの間接的な誘発効果は大阪府の試算で4兆1000億円。まとめて6兆4000億円の経済効果がもたらされると言われている。
しかし、こんな「取らぬ狸の皮算用」にぬか喜びしてよろしいのであろうか。思い出して欲しい。万博計画が最初に持ち上がったのは2014年のことである。言い出したのは、大阪府・市特別顧問であった堺屋太一氏である。これを受けて橋下徹大阪市長(当時)が万博の大阪招致に前向きな意向を示した。松井一郎・大阪府知事も「東京五輪も2度目。大阪万博も2度目といきたい」とこれを支持した。
堺屋・橋下・松井という面々は大型プロジェクトで経済波及効果がざくざくという話がお好きである。しかし、同じような話を何度もされて大阪の府市民は「またかよ」とは思わないのだろうか。「道頓堀プール」のことをお忘れなのだろうか。
2015年の道頓堀完成400周年に合わせて、長さ2キロのプールを整備し、「世界遠泳大会」を開催すると大阪市特別顧問の堺屋氏が言い出したのは2012年のことである。これは彼の発案になる「大阪10大名物」の一つであった。「10大名物」、他に大阪城公園と天満を結ぶ大歩道橋、御堂筋のデザインストリート化、面積1万平方メートルの「ヘクタール・ヴィジョン」、驚愕展望台、空中カフェ、空中緑地など盛りだくさんだったけれど、いくつご記憶だろうか。
その「10大名物」中の目玉だった道頓堀プールは最初から技術的な難問に悩まされ、当てにしていた地元企業からの経済的な支援もなく、当初の2キロが800メートルに、最後には80メートルにまで縮減されたが、結局2015年に計画放棄された。道頓堀プールの経済効果について、堺屋氏は2013年には「2020年までには東京オリンピックより大きな経済効果が確実に出る」と自信たっぷりに語っていたのであった。
五輪以上の経済波及効果をもたらすはずの事業が80メートルプールを作るだけの事業資金が集められずに破綻したことについては当事者たちにはいろいろと言い訳はあると思う。おそらくさまざまな想定外のファクターのせいで、計画そのものには瑕疵がなかったのだが、うまくゆかなかったのだろう。いや、そうだろうと思う。よくあることだ、私は自分にそれを責める資格があるとは思わない。けれども、このプロジェクトにかかわった人たちが「技術的な難点や管理上の難点や資金調達上の難点などをほぼ組織的に勘定に入れ忘れる人々」だったという事実だけは私は記憶にとどめておくし、みなさんもそうされた方がよいと思う。経験的に言って、そのような人々が真摯な反省や自己批判を行うことなく「次の大型プロジェクト」を提案してきた場合には、「眉に唾をつけて話を聞く」のが世の常識である。
口には出さないけれど、大阪の人たちの多くもそう考えているのだと思う。万博招致計画発表のすぐ後、2015年7月に大阪府が実施した府内企業に対するアンケートによると、「将来、大阪で国際博覧会が開催された場合、参加したいですか」との質問に対する回答は、「わからない」が46%で最も多く、「どちらかといえば関心がない」が9% 、「参加しない」は25%だった。一方、「参加したい」は12%、「どちらかといえば参加したい」は6%にとどまった。それから3年経って、NHKがこの3月に行ったアンケートでは、誘致に「賛成」が45.7%、反対が10.6%、「どちらともいえない」が39.1%だった。
アンケートの対象が一方は企業、一方は住民だから、そのまま単純に比較することはできないが、いずれにせよこの数値から「市民たちは万博招致で盛り上がっている」という解釈が成り立たないことは確かである。
NHKのアンケートによると、誘致に賛成した人の賛成理由の49.5%は「地域経済の活性化につながるから」、32.5%が「地域が盛り上がるから」である。つまり、誘致賛成者の82%はあくまで「盛り上がり」に期待しているわけであって、自分で主体的に万博を「盛り上げたい」と言っているわけではない。「自分のところに余沢が及ぶかも知れないから万博招致に賛成」なのである。3年前にも、「年間100万人の来場者があって、五輪以上の経済効果がある」というので「道頓堀プール」の計画に賛成した人はたくさんいた。でも、そのために自分の財布から事業資金を提供した人はきわめて少なかった。「トリクルダウン」を期待する人は事業のために身銭を切ってくれる人ではない。「余沢に浴したいので事業に賛成」という人がどれほどいても、それだけでは事業はスタートアップしないし、事業の成功も保証されない。
現に、2016年に松井知事と吉村洋文大阪市長が、関西経済3団体のトップとの意見交換会を実施した時にも、万博構想について、大阪商工会議所の尾崎会頭のコメントは「反対はしていない」「本当に大阪や関西の経済活性化につながるなら、経済界としては協力していきたい」というずいぶん冷ややかなものにとどまった。はっきり言えば、元が取れるなら出資してもいいが、投資効果が見込めないならできればコミットしたくないということである。当然の発言だと思う。大阪万博誘致の目標は最初から「経済効果」なのだから、ビジネスマンがわれわれは経済効果にしか興味がない、国際社会に向けて特に発信したいメッセージもないし、「いのち輝く未来社会のデザイン」についても特にご提案したいこともないと言ってきても、文句を言える筋合いではない。
国際博覧会は会場面積や会期にばらつきはあるが、ほぼ隔年で開催されている。21世紀に入ってからの開催都市は、ハールレマミーア(オランダ)、ロストック(ドイツ)、チェンマイ(タイ)、サラゴサ(スペイン)、上海、麗水(韓国)、フェンロー(オランダ)、ミラノ、アスタナ(カザフスタン)である。そのうちメディアが詳細に報道したのは、参加国が万博史上最多、敷地面積最大だった上海万博(2010年)くらいで、あとは記憶にないという方が多いだろうと思う(私もほとんど知らない)。去年の万博の開催地を訊かれて「カザフスタン」と正解できる日本人はきわめて少ないはずである。だが、カザフスタンのアスタナは「一帯一路」プロジェクトの要路にあり、今世界中の投資家が注目している都市である。今回の誘致合戦で大阪と競合しているバクーは「第二のドバイ」として世界最高のタワーや人工島の建設で賑わっている。参考までに言えば、再来年の万博開催地は中東の金融センター、ドバイである。
そのような勢いのある都市が万博に手を挙げてくる。それはそれらの都市の人々が自分たちの街から今「何か新しいもの」が生まれつつあるという手応えを感じているからである。だから、それを世界に向けてアピールしたいのである。「私たちの街を見に来てくれ。きっと肝をつぶすぞ」と思って、気分が前のめりになっているのである。たしかに1970年の大阪にはそのような勢いがあった。21世紀の上海やアスタナやドバイに匹敵するような野生的な生命力が当時の大阪には漲っていた。それはリアルタイムでその時代を生きた人間にはよくわかる。そういう街でかつて万博が開かれたことを私はなつかしく回想する。けれども、同じことが同じ場所でもう一度起こるだろうという予測には与することができない。
執筆: この記事は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2018年12月02日時点のものです。