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今回はうづきさんのブログ『これからも君と話をしよう』からご寄稿いただきました。
※写真は載せていない記事です。虫が苦手な方も、よかったらぜひお読みくださいませ。
これまでに何回食べたかなぁ、と数えてみたら。2016年は3回、2017年は4回、そして2018年は1回だけ食べていたようです。
え、何をかって?
虫です。
ミルワームやコオロギ、食用ゴキブリなども食べましたが、意外とおいしいのはセミ。
さて、そんなセミですが、先月、こんな記事が話題になりました。
「「食用」でセミの幼虫捕らないで 公園に出現の看板話題」2018年8月20日『朝日新聞デジタル』
https://www.asahi.com/articles/ASL8N3T15L8NUEHF004.html
「「食用目的のセミの幼虫捕獲やめて」 埼玉の公園担当課が注意促したワケ」2018年8月20日『J-CASTニュース』
https://www.j-cast.com/2018/08/20336567.html
虫食界隈をはじめ、この看板には抵抗を示す意見も多かったように思います。
この件について、けっこういろんなことを考えさせられたので思ったコトをまとめていきます。
まず気になったのは、
「虫食は気持ち悪いから、という理由で禁止しているようにしか思えない」「異文化の否定だ」という意見がいくつも見受けられたこと。
少なくとも、「気持ち悪い」や、それに類する文言の記載は記事にも看板にも見受けられなかったので、私はそのようには全く思いませんでした。なので、そういう読みをする人がいることに、むしろ驚きました。虫だけに
たとえば、みかんやりんごの木の近くに「食べないでください」という看板があった場合、「果実を食べる文化を否定している!」と憤る人にはお目にかかったことはありませんし……。
また、果物とは違い、セミはその場で生で食べるひともまずいないと思うので、「虫食文化が気持ち悪いから」というのは、あまり大きな要因ではないと思っています。
なので私は「異文化の否定だ。そうとしか思えない」という主張は少々極端では。(そんなこと書かれていないし……)というのがまず思った感想です。
「書かれていないことを読み取る」ことについては、芸術批評のほか、フェミニズム・ジェンダー絡みの話でもたびたび論争になっていますね。
「そんなことどこにも書かれていないのに、これは性的にまなざしている/差別/搾取だと勝手に読み取って騒いでいる輩がうるさい」「こんなの今どき普通なのに、性的だと怒るほうこそが性的に見ている証なのでは」という意見、よく見かけます。
芸術作品はともかく、社会制度や公共のあり方に関しては、私は原則として「明文化されているものベースで考えるべき」だと思ってはいますが、だからといって「書かれていないことを勝手に読み取って騒いでいるみなさんww 想像力が豊かなことでww」と煽る気にはなりません。
これまでその文化や属性がどのような扱いを受けた背景があったのかを鑑みて、明文化されていない部分を想像することもまた必要な作業だとは思います。なので、被害妄想だと一蹴する姿勢もまた好きではなかったり。
(ただ、それを踏まえても、虫食は「気持ち悪い」と個人ベースで思うひとはいても、それゆえに文化圏単位で差別・迫害されたという話は聞いたことがないので、差別ではないと判断しました)
「わざわざ三ヶ国語で書くなんて、外国人差別のように思える」という意見も見受けられました。
うーん。そもそもここ3、4年で東京近郊では外国語表記がすごく増えた印象ありますし、この看板がある川口市、蕨市は外国人も多い地域。看板に外国語も表記されているのは、おかしなことではないと思いました。
(しかし、これはちょっと面白い現象ですね。日本語onlyの看板に対して「外国人への配慮が足りない」と言うのはわかるのですが、外国語の記載があっても怒る人がいるとは)
日本語の記載はなく外国語だけだったり、「こういう違反行為をするのは外国人」のような書き方をしていたら「差別的」と言われるのも理解できますが、「食用目的でのセミ採集を禁じる内容を、三ヶ国語で書くこと」自体は、外国人差別には当たらない気がします。
誰かの権利が侵害されていたら、「差別」にあたる可能性は高いと思います。
今回、虫を食べるひとの権利が侵害されている、という主張もあるかも知れませんが、公園は公共の財産でもありますよね。個人が自分の私有地で飼育して食べている場合はともかく、公共の場所での採集に関しては制限はあるのは当然かと。
セミに限らず、そもそも魚釣りを禁止している池や、果実を捕るのを禁止している庭園はいくらでもあるでしょうし、食用目的での採集が禁じられるのはおかしなことではないと思います。
わざわざ「食用」と書いていることが気になった人もいるようですね。
魚や果実を採る人は食用がメインのケースが大半だと思われますが、セミは飼育・観察目的の人が多いので、それらと区別をするために書いたのだと思います。
「食用」のみ禁じているのは、その用途そのものというより、採集する量の多寡が問題なんだと思います。
SNSを見てみても、子どもが飼育・観察目的で捕まえる場合はせいぜい数匹ですが、虫食をする人たちは一度に数十匹捕まえているケースが散見されます。
はてなブックマークコメントでも指摘がありましたが、公共財と近代法の相性の悪さも、この問題をややこしくしているのではないかと思いました。
本当は採集の目的ではなく、採集の総量が問題であったとしても、「昨日Aさんが100匹獲ったので、きょう来たBさんは採集禁止」となっては不公平ですし。それなら一律禁止も致し方ないと思います。
セミは成長に5~6年かかることを考えると、大量に獲られてしまうと生態系が崩れることへの懸念が出るのも当然でしょう。
「もともとクマゼミは埼玉にいなかったのに、今さら生態系と言われても」という意見もあるかもしれませんが、ここでの「生態系」は、そんなに厳密な意味では使われていないと思います。
「クマゼミはいいけどほかのセミは禁止」などと線引きを始めるとキリがありませんし、問い合わせに対応する職員のことを考えても、「セミなどの食用目的の採集は禁止」は妥当な判断なのではないかと思いました。
また、食用ということはある種の「資源」であり、「資源」を巡ってトラブルや争いが起きかねないことへの懸念も考えられそうです。
セミの羽化は夜なので、夜に「資源」を目的に公園を徘徊するひとがいると、騒音問題の発生も考えられますね。
食文化の否定に繋がりかねない書き方ではなく、「草木を傷つけないで」とか「大量に獲らないで」などの表現でいいのでは……という意見もありましたが、「傷つける」「大量に」などの曖昧な表現を使わないのは、むしろ適切なのではと思いました。外国人など、異なる文化圏から来たひとが多い地域なら尚更。
ここまで、この看板について擁護する意見を書きましたが、ただ確かに、「セミを大量に捕まえている人がいる」という理由で通報されるのは、ちょっとよくわからないですね……。
その通報を受けての看板設置、ということだと、たしかに、虫食をするひとへの偏見を強化してしまいかねない気はします。
「通報を受け、どのような点が問題だと判断して、看板設置に至ったのか」の記述があったらなお良かったのでは、と思いました。
外国の食文化を否定しない・尊重することと、公共の公園での食用目的の生物採集を禁じることは背反ではないと思うので、そのあたりもうまく折り合いがつけられたらいいですよね。せっかくここは外国人が多く、異文化にも触れやすい環境なわけですし。
今回の件は、虫食界隈の友人が強く反応していましたが、私のまわりには空間デザイン、公共政策などについて考えている友人もいます。
友人が以前、まったく別件での投稿で「公共空間としての公園は、単なる行政の持ち物としての施設ではない」と言っていましたが、この言葉のことも今回、ずっと考えていました。
今回、看板設置からこの記事を書くまで時間があったにも関わらず、当該の公園には行けていないので、時間を見つけて足を運んでみたいとも思いました。
虫といえば、最近読んだこの漫画すごく面白かったです!
百合要素も虫要素も多め。絵も綺麗!(虫の絵もリアルなので苦手な人は注意)
「麻衣の虫ぐらし 1 (バンブーコミックス)」2017年10月27日『amazon.co.jp』
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4801960901/ginsetsu-22/
執筆: この記事はうづきさんのブログ『これからも君と話をしよう』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2018年10月18日時点のものです。