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長い梅雨があけると、格別に暑い夏がやってきました。とにかく暑いので、源氏は池に張り出した釣殿で憩い、夕霧と若い貴公子たちがお供をしています。桂川から取り寄せた鮎、鴨川の石伏(カジカ)をその場で調理させていると、頭の中将の息子たちがやってきました。
「おお、よく来たね。退屈していたところだよ」と、源氏は彼らを歓迎し、お酒と氷水、水飯(冷茶漬けの原型。当時は強飯を湯漬けや水漬けにして食べた)を出します。当時は希少な氷も、源氏ならふんだんに使えたはず。ケータリングの魚料理と合わせて、さながら、平安時代の夏の男メシといったところでしょうか。
釣殿は風が通るのですが、さすがに午後になると西日がギラギラ。セミの激しい声も暑苦しい限りです。
「水の上にいてもどうしようもない暑さだね。私はちょっと失礼して」と、源氏は横に。カッチリした格好の若者を横目に「お勤めの人は大変だねえ。こんな日でも帯紐が解けないなんて。まあ、うちではちょっとリラックスしていきなさい」。真夏でもスーツに革靴でないといけないお仕事と同じですね。暑い中、本当にお疲れ様です。
「さて、こう暑いと何をする気も起きないが……最近はあまり宮中にも行かないので、世間の話題にも疎くなってしまった。何か目がさめるような、面白い話はないかね」。
そう言われても、特にニュースとかないし……。若者たちが緊張していると「そういえば、誰から聞いたか忘れたが、内大臣(頭の中将)がよそで生まれたお嬢さんを引き取ったとか。本当かね?」
次男の紅梅が答えます。「いえ、そんな大したことでは。父は以前から、行方不明になった女の子がいるから探して欲しいと申しておりまして。名乗り出た者がいたので兄の柏木が調べて連れてきたんですが、その、なんといいますか……」。
頭の中将が引き取った女の子は、近江(滋賀)出身なので『近江(おうみ)の君』と呼ばれていました。紅梅がくわしく話せないのは、彼女がとんでもないお笑いキャラだったため。悪い意味ですっかり有名人になっていたのですが、源氏は知っていて水を向けたのです。性格悪いな~。
「お子さんが大勢いるのに、わざわざ探して連れてこられるとは欲張りだね。頭の中将は遊び人だったからなぁ。うちは子どもが少ないから、そんな子がいたら引き取りたいがねえ……」。頭の中将の息子たちはイタい話題をさんざんイジられ、いたたまれません。
「夕霧もそういうお姫様をもらったらどうかね。彼女(雲居雁)とは姉妹なんだから、上手く行かない恋にこだわっているよりは」。これも当てつけで言っているのですが、本命がいても他の恋愛を同時進行できた源氏と、できない夕霧とでは、本質的に理解できないところがあるのかも。
陽が傾いてきました。風が涼しく、若者たちはここを出たくない様子。「ゆっくり涼んでいくといいよ。オジサンはこれで失礼。長々すると若者に煙たがれる年になったからね」。夕霧たちは玉鬘の所へ行く源氏を見送りについてきます。
源氏は玉鬘の部屋から、彼女と夕日の中の貴公子たちを見物。庭は今が盛りの撫子が見事です。若者たちは花の中を歩いては、悩ましげな視線をこちらに向けてくるのでした。
「ほら、もう少し外が見えるところまでおいで。あれがあなたの実の兄弟だよ。本当はここへ飛んできたいだろうが、夕霧が真面目すぎて連れてこないのだ。気の利かないやつだね。
あの男の子たちは、実の姉とも知らずあなたに思いを寄せている。みんな優秀で将来が楽しみな若者ばかりだよ。
今日は長男の柏木がいないが、彼がまた素晴らしい。別格だ。確か手紙を送ってきていたよねえ。最近はどうですか。スルーしたりしないようになさいよ」。
玉鬘は話をそらし「やはり夕霧さまは素敵」。源氏はここで、夕霧と雲居雁の一件を説明します。自分の妹と夕霧の恋が、父親同士の不仲につながっていることを初めて知り、玉鬘は気落ち。(そういう事情があるのなら、本当のお父様にお会い出来るのはいつだろう)。
成り行き上、仕方なかったとは言え、複雑な貴族の事情に疎い玉鬘は丸め込まれたようなところもありますね。でも、すでに1年も経とうとしてるのです。もうちょっと早く教えてくれても良かったのでは?
夜になり、月も出ないので灯籠に火が入ります。「灯籠だと火が近くて暑い。庭に篝火を炊きなさい」。まだ暑い夏の夜、庭の篝火で室内がぼんやりと浮かび上がります。
部屋には上等な和琴が一つ置いてありました。源氏は手にとって軽く引きます。「音楽には興味が無いのかと思っていたけど、和琴が好きなんだね。秋の夜に虫の音と合わせて引くのがいい楽器だよ。
和琴はシンプルだけれど奥が深い。マスターするのは難しいが、今一番の名手は頭の中将だろうね。さり気なくかき鳴らしだけなのに、あらゆる音が美しく響き渡るのだ」。
玉鬘は父の名前が出たのでハッとします。「和琴は九州にいた頃、ほんの少し習っただけなのです。父の演奏を……こちらでの合奏の折にでも聞く機会があるでしょうか」。
和琴は日本特有の弦楽器。古くから祭祀の場に欠かせない神聖な楽器とされた一方で、各地に普及した馴染み深い楽器でもあったらしく、東琴(あずまごと=田舎の琴)という呼び名もあります。玉鬘は九州で、皇族の末裔という老婆に手ほどきを受けていました。
「達人が妙技を尽くして演奏する事はめったにない。でもあなたはきっと聞けると思うよ」と源氏。でも玉鬘からすれば、源氏の和琴は華麗で、ものすごく上手いのです。(これ以上に素晴らしい、実の父上の演奏ってどんなもの?)と、全く想像もつきません。
玉鬘はいつの間にか自分から側に寄り、熱心に源氏の手付きを見ています。「弾かなきゃ上達しないよ」と勧めても、恥ずかしがって手を出しません。ひたすら「どうしたらこんな綺麗な音が出るのかしら」と、小首をかしげ、一生懸命に覚えようと真剣です。
向学心溢れる玉鬘ちゃんはとっても可愛い。あんまり可愛いので「あなたは呼んでも来ないのに、琴の音には引き寄せられるんだね」と、源氏は演奏を止めて琴をのけてしまいます。が、女房たちもすぐ近くにいるので今回は控えめ。(また始まった。もっと演奏を聞きたかった)と落胆する玉鬘に、源氏は言います。
「若者たちは気もそぞろで行ってしまったね。早いうちに内大臣にも本当のことを打ち明けたい。あなたの話を彼から聞いた日も、まるで昨日のことのようだ。でもそうなると、お母さん(夕顔)のことも話さなくてはいけないからね……」。光陰矢のごとし、とはわかっていても、夕顔との経緯を考えると多少ためらう気持ちがある様子。
玉鬘はしみじみと悲しくなり「素性の卑しい母のことなど、誰が尋ねてくれるでしょう」と泣きます。可憐な様子に、源氏はますます切なくなり、自制が効かなくなりそうでした。
玉鬘に和琴を教えるという新しい名目ができたものの、あまり通いつめてもおかしいと、源氏は適当に間をおくように努力します。その代わりマメに手紙をだし、寝ても覚めても玉鬘のことばかり。
(どうしてこう厄介な恋をするのだろう。関係を持てば世間の非難は免れない。自分はともかく彼女がかわいそうだ。それに、どれほど玉鬘が好きでも、紫の上以上には愛せない。
私の愛人のひとりになるくらいなら、平凡でも誠実な男の正妻として大切にされるのがいいに決まっている。やはり蛍宮か髭黒と結婚させて、この家からいなくなれば諦めもつくだろうか……)。そう思いつつ、実際に玉鬘の顔を見て、手取り足取り琴を教えていると気持ちが揺らぎます。
玉鬘も最近では態度が軟化。最初の頃のように怯えたり、無視したり、体をこわばらせたりしなくなっています。賢い彼女は、自分がOKしないかぎり、源氏は絶対に無理をしてこないと知ったのです。受け入れる風ではないものの、ちょっとデレてきた玉鬘はまた可愛い。そこで、源氏は悪いことを思いつきます。
「彼女が無垢の乙女なのがマズいのだ。この家に居させたまま婿を取って、夫が来ない時にこっそり言い寄ろう。人妻になった後ならこちらも気が楽だ。なに、夫がいてもこの様子なら、私が真剣に口説けばなんとかなるだろう。むしろ、男女の情愛に目覚めたあとならその方が……」。
通婚システムの盲点を突いた(?)世にもゲスい発想。たしかにそれならやりやすいし、処女を奪った責任も取らなくていい。恋愛オンチの玉鬘も、夫を持てばそっちの方も多少はわかってくるだろう……って、どれだけ自分に都合の良い発想なんだ。
表向きは良い父親を演じながら、胸の内では恐るべき策略を企てている源氏。しかしそうなれば、煩悩苦悩はますます深くなることもわかっています。篝火の中で燃える暗い欲望に、源氏は人知れず葛藤します。贅沢で勝手な悩みではありますが……。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか