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源氏物語もここから話はガラッと変わり、源氏の(表向きの)長男・夕霧にスポットがあたります。生後すぐに母・葵の上を亡くした夕霧は、母方の祖母の大宮のもと、左大臣家で大きくなりました。
左大臣家には孫がもう一人預けられていました。頭の中将の次女の雲居雁(くもいのかり)です。母は皇族出身の高貴な女性でしたが、頭の中将とは離婚。その後、お母さんは再婚し、新しいお父さんとの間に子どももできたので、そっちで暮らすのは可哀想だろうとこちらに引き取られたのでした。なかなか家庭事情が複雑です。
源氏は須磨と明石をさすらい、復帰してからは多忙だし、頭の中将は滅多に大宮のところへ来ない。親に縁の薄い不憫な孫達を大宮は一層いとおしく思い、大切に育てあげます。ちなみに、雲居雁のほうが2歳ほど年上ですが、年より幼く能天気。年下の夕霧のほうが利発でしっかり者でした。
最初は姉弟同然の遊び相手として仲良くしていた2人でしたが、次第に夕霧のほうが悶々とし始め、いつの間にやら大人顔負けの深い仲に。今時は小学生で初体験も珍しくないそうですが、この2人も負けていませんね!イチャイチャしているうちにそんなこともしてしまったのでしょう。
頭の中将は「いくら仲が良くても、10歳を過ぎた男の子と女の子が一緒に寝るのはいかん」としつけていましたが、めったに来ない父親の言いつけなんてないも同然。さらに乳母や女房たちは(小さい頃から一緒なんだから、そんなこと言ってもねえ)と見て見ぬふりをしていたのも裏目に出た格好です。
幼い2人はうまく隠しきれず、関係は周りにバレバレ。でも女房たちは自分たちが叱られるのを面倒がって、大宮にも頭の中将にも報告をしませんでした。
そのうちに夕霧は12歳になり、元服することになりました。元服すれば一人前、官位も与えられて結婚もできます。思えば源氏も同じ年齢で元服、同時に葵の上と結婚しました。
京中が目をみはるような盛大な元服式を、おばあちゃんの大宮はじめ晴れの儀式を多くの人が見守る中、突然のどよめきが。それもそのはず、成人した夕霧が着ていたのは、六位の浅葱色(明るい青緑色)の袍だったからです。
平安時代の位階は実に30階級(皇族は4階級)。係長→課長→部長と偉くなるように、四位→三位→二位と出世し、大臣などの要職も位にリンクします。位にはそれぞれ指定のカラーがあり、特別な時以外はこの色を着るように決められていました。
帝のおわす清涼殿に許可なく昇ることができた、いわゆる『殿上人』たちは、位階でいうと五位以上です(一部例外あり)。六位は地方長官である受領などが相応で、父の源氏は三位、いとこである頭の中将の息子たち(雲居雁の異母兄弟)は四位で元服していたことから見ても、夕霧の六位は大貴族の子息にしては異常に低いといえます。
更に、”浅葱色=六位”というのはこの時代の常識。浅葱色を着ているとひと目で「あいつは六位で下っ端だ」とわかるのが辛いところ。爽やかな衣の色とは裏腹に、夕霧は真っ暗になってしまいました。
大宮もこれを大変不服に思い、源氏に直談判。「どうして六位スタートなのですか。夕霧もいとこたちより下になってしまった、浅葱色を着るのが嫌だと言ってますよ、かわいそうです。うちの息子(頭の中将)も不思議がっていました」。
源氏はちょっと笑って「なるほど、それで私を恨んでるんですね。実は、あの子は大学寮で勉強させようと思っています。夕霧はまだ12歳、ともかくあと数年はみっちり学ばせたいのです。
貴族の子はなんでも思い通りになります。それに甘んじてバカな大人になっても、権力があるうちは誰もが媚びへつらってくれるでしょう。しかし、世間というのは怖ろしい。旗色が悪いとわかった途端、手のひらを返して去っていき、後ろ指を指すようになる。その辛さは私が身をもって経験しました。
私は宮中で甘やかされて育ちましたので、勉強も芸術も大した努力をしませんでした。その反省からも、息子にはしっかり勉強をさせたい。やはり勉強第一です。人は裏切っても、学問は裏切りません。今は不足な位でも、若いうちにしっかり下積みをすることが、のちのち本人を助けてくれると思っています」。とても立派な理由なのですが、お父さんというよりは進学塾の講師みたいな言い方。「よく学び、よく遊べ」くらい言ってくれるかと思ったのに。
当時の貴族は最初から高位でスタートする以外にも、『蔭位(おんい/いんい)』というチート制度がありました。文字通り、”父祖のお蔭で賜る位”という意味で、お父さんやおじいさんの身分と位に応じて、その子どもが21歳以上になると相応の位に自動的に繰り上がるシステムです。つまり、どう転んでもそれなりの貴族の子なら努力なんかしなくても全然いいというわけ。
そんな当時の習慣的なこともあり、頭の中将や大宮は源氏の思惑がよくわかりません。が、源氏は甘やかさないことこそが親心だと信じています。「今は悔しいかもしれないが、勉強をして物事がわかるようになれば、きっとこの親心に感謝するだろう」と。獅子のように、我が子を千尋の谷に突き落とした源氏。自分はあんなに遊んでたくせに……。
源氏は夕霧を二条院に連れ帰り、特別に作った勉強部屋に先生を招いて、マンツーマンでガッチリ勉強させます。加えて、「大宮に会いに行くのは月に3回くらいまで」とルールを作ります。これも、いつまでもおばあちゃんに甘えていては成長しない、という理由から。
でも、おばあちゃんの家に行けないと雲居雁にも逢えません。デートできるのは月にたったの3回だけ。この事は彼をさらに落ち込ませました。
夕霧は不満でいっぱいです。(どうして僕だけこんなに勉強しなくちゃいけないんだよ。大した苦労もせずに偉くなってる人だって、世の中にはいっぱいいるじゃないか!同じ年頃のいとこたちは皆、遊んだり恋愛したり、青春を謳歌してるのに!)ガリ勉を強いられ、不満や葛藤を抱きながらも、今はとにかく部屋でカンヅメして勉強する他ない。受験生なら誰もが通る道を、千年前の物語の少年も経験していると思うと胸アツですね。
大学寮では、どんどん試験に合格していくことで出世できます。一人前になりさえすれば、お父さんも文句は言わない。真面目な夕霧は(早く一人前になろう。そのためには必修課題をしっかりやらなきゃ)と、数カ月間勉強を頑張り、模試でも難問をスラスラ解いて人々を驚かせます。
伯父の頭の中将は感動のあまり「うちの父(左大臣)が生きていたらなぁ」と言って泣き、源氏も喜びを隠そうとしません。甥の成長に泣く頭の中将には、いつも源氏のことを我が事のように喜んでくれた、左大臣の面影を見る気がします。
本試験当日は大学寮の前に官僚達(ほぼ全員)がずらりと居並び、これまた大騒ぎ。「大臣のお坊ちゃまがセンター試験を受けに来た」みたいなものでしょうか。大学寮は基本的に中流以下の貴族の子が来る所。12歳の小さな少年が偉いおじさんたちにうやうやしくかしずかれてやってくるのは、なんとも場違いでした。
夕霧自身も大きな同級生たちの末席に座るのがすごく嫌なのですが、試験にはしっかりと解答。その次の試験も難なくパスした夕霧は自身がついてやる気が出、勉強に一層取り組むようになりました。
息子が勉学に勤しんでいる頃、父の源氏は大きな転機を迎えました。ついに冷泉帝の中宮(皇后)が、斎宮女御に決まったのです。源氏の質問に「秋が好き」と答えたことから、彼女は秋好(あきこのむ)中宮と呼ばれます。
この決定に至るまでには「皇族出身の中宮が続くのはよろしくない」という批判や(冷泉帝の母・藤壺の宮も皇族、秋好中宮も皇族)「誰よりも早く後宮入りし、寵愛されている弘徽殿女御(頭の中将の長女)がなるべき」という意見もあり、揉めに揉めました。が、結局は「年上のしっかりした人が私の代わりに」と、生前に藤壺の宮が言い残したことが尊重されました。もちろんこれには、以前の絵合わせの結果や、出生の秘密を知った冷泉帝の意向も働いたわけですが。
これにより源氏は太政大臣、頭の中将は内大臣に就任、関白となります。出世したにもかかわらず、頭の中将は可愛い長女が源氏の養女に負けたことが悔しくてたまりません。次を狙うなら皇太子妃ということになりますが、あいにく子どもは男の子ばかりです。
息子たちは順調に出世しているものの、娘が皇后になれないのではしょうがない。悩むうち、頭の中将はやっと、もう一人の娘の存在を思い出します。「そうだ、次女の雲居の雁がいるじゃないか!」。
正妻との間にもうけた弘徽殿女御に比べるとほったらかしの雲居の雁ですが、素直で可愛い女の子には違いない。離婚したとは言え、母親も高貴な出自で問題なし。頭の中将は期待を込めて、久々に大宮のもとを訪ねます。息子同然に可愛い甥・夕霧と、雲居雁がどうなっているかも知らずに…。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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