「あの件、ちょっと見てもらえますか」


「これ、どうすればいいか分かります?」


DX(デジタルトランスフォーメーション)担当や情報システム担当をしていると、パソコンの不調から新しいツールの使い方、社内システムの小さな不具合まで、専門でも何でもない相談が気づけば自分のところへ集まってきます。


頼られること自体は、悪いことではありません。ただ、便利屋のように使われ続けて、忙しいのに自分の専門性は積み上がっていかない。そんな引っかかりを感じて、この記事を開いた方もいるのではないでしょうか。


本記事では、私自身が「WEBライター、しかも50代」というごく狭い層に向けて発信を続けてきた経験をもとに、社内で「何でも屋」でいることと、「これならこの人」と選ばれる「専門店」になることの違いを考えます。読み終えるころには、自分がいま社内で消費されているのか、それとも選ばれているのかを見分ける視点が持てるはずです。



【本記事の要点】



  • 社内で「何でも屋」として頼られる状態は、短期の評価にはなるが、専門性が積み上がらず本人の成長を止めやすい。組織にとっては属人化のリスクにもなる

  • 発信でも仕事でも、対象を狭く絞るほど、相手の思い入れは強くなり、信頼は深くなる

  • 通り一遍の対応はAIで足りるようになりつつあり、個人の「尖り」の相対的な価値はむしろ上がっている



気づけば「あの人に聞けば何とかなる」枠にいる





まず、多くの担当者が置かれている状況を整理します。


社内で少しITに強いと見られると、相談の窓口は自然に広がっていきます。




  • プリンターの設定

  • 表計算ソフトの関数

  • うまく送れないメール

  • 聞いたことのないカタカナ用語の意味



どれも本来の担当業務ではないのに、「あの人に聞けば何とかなる」という認識が定着すると、断りにくくなります。


頼られること自体は、職場での信頼の表れです。困っている同僚を助けるのは気持ちのいいことでもあるでしょう。しかし問題は、その状態が固定されたときに起こります。




  • 次から次へと細かい相談をさばいているうちに1日が終わる

  • 腰を据えて1つのテーマを深める時間が取れない

  • 半年経っても1年経っても、「便利な人」ではあっても「この分野の専門家」にはなっていない



これでは、評価もどこかで頭打ちになってしまうかもしれません。何でも屋の仕事は、どれも小さく、成果として語りにくいからです。「今月は何をしましたか」と聞かれて、「いろいろな相談に対応しました」としか言えない。その状態を、本人の努力不足のように感じてしまう方もいますが、これは個人の能力の問題ではなく、役割が広がりすぎたことの帰結です。


「50代のWEBライター」という絞ったブランディング





ここで、私自身の話を少しします。


私は個人の発信活動として、以前から「WEBライター、しかも50代」という、かなり狭い層に向けて発信を続けてきました。想定している読者は、これからライターになりたい人や、始めたばかりの人。しかも年齢は50代前後です。人口としては決して多くありません。


この「50代のWEBライター」という看板は、意識して絞ってつけたものです。以前はYouTube、今は電子書籍という形での発信を続けていますが、媒体は変えても、「誰に向けて書くか」だけは一貫して狭いままにしてきました。


狭く絞ると、届く人数は減ります。それでも続けてきたのは、狭く絞ったからこそ得られるものがあると実感してきたからです。対象が絞られていると、読んでくれる人は「これはまさに自分のための話だ」と受け取ってくれます。届いたコメントや感想には熱量があり、こちらの言葉を自分ごととして真剣に受け止めてくれているのが伝わってきます。


もし私が「働くすべての人へ」「文章術のすべて」といった広いテーマで発信していたら、同じ熱量の反応は返ってこなかったはずです。広く浅く役に立つ情報は、他にいくらでもあります。読み手にとって、それは「あってもなくてもいい」情報です。狭く深い情報だけが、その人にとって代わりのきかないものになります。ブランディングを絞ることに意味があるのは、まさにこの「代わりがきかない」という状態を生み出せるからです。


スーパーと専門店、人はどちらを深く信頼するか





私がこの違いを説明するときによく使うのが、「何でも売っているスーパーや百円ショップ」と「専門のブランドショップ」という対比です。


スーパーや百円ショップは、便利です。食品も日用品も文具も、ひととおりそろっています。急に何かが必要になったとき、まず足が向くのはこうした店かもしれません。この便利さには、確かな価値があります。


一方で、こだわって選びたいものがあるとき、私たちは専門店へ行きます。コーヒー豆なら焙煎の専門店、包丁なら刃物の専門店。品数は限られていても、その分野の需要に深く応える良質なものが置いてあり、店主に相談すれば的確な答えが返ってきます。帯に短し襷に長し、にはなりません。


もちろんこの例は、どちらが上、という話ではありません。役割が違うだけです。ただ、人が「この人に任せたい」「ここで買いたい」と深く信頼するのは、多くの場合、専門店のほうではないでしょうか。


社内の役割に置き換えれば、何でも屋は便利なスーパーであり、便利であるがゆえに、深い信頼や高い評価とは結びつきにくい。この構造は、意識しておく価値があるはずです。


AIができることは、AIに任せればいい





もう1つ、いまの時代ならではの事情があります。それは、通り一遍の対応は、AIでかなりの部分が足りるようになってきたことです。




  • 一般的なツールの使い方

  • よくあるエラーの対処

  • 用語の意味



こうした「調べれば分かること」への対応は、これまで何でも屋の仕事の中心でした。しかし、その多くは生成AIに聞けば数秒で答えが返ってきます。裏を返せば、AIで代替できる仕事だけを抱えている状態は、これから相対的に価値が下がっていくでしょう。


逆に、価値が上がるのは個人の「尖り」です。




  • 自社の業務を深く理解したうえでの判断

  • 現場の事情を踏まえた落としどころの設計

  • 過去の経緯を知っているからこそできる調整



こうした、その人にしか出せない部分は、AIには代わりができません。だからこそ、AIに任せられることは任せてしまい、空いた時間を自分の尖りを磨くことに使う。それが、AI時代の現実的な戦略だと私は考えます。


まとめ:狭く絞ることは、キャリアを痩せさせない


「何でも屋」でいることは、短期的には周囲から重宝され、評価にもつながるでしょう。しかし、その状態が続くと、専門性が積み上がらず、成長が止まりやすくなります。組織から見れば、これは1人に相談が集中する属人化そのものです。


むしろ「この分野ならこの人」と言える尖りを磨くほうが、周囲からの信頼は深くなり、AIに代替されにくい強みにもなります。狭く絞ることは、キャリアを痩せさせるどころか、太くしていく選択なのです。


1つだけ試すとすれば、自分がいま「これならこの人」と社内で言われている分野を、紙に書き出してみてください。すぐに思い浮かぶなら、それがあなたの「専門店」の看板です。何も浮かばなくても、焦ることはありません。どの相談なら深掘りしたいか、そこから考え始めれば十分です。


何でも屋として便利に消費されるのか、「この人でなければ」と選ばれる存在になるのか。分かれ道は、特別な才能の有無ではなく、どこを自分の場所と決めるかにあります。


私自身、狭く絞ったからこそ発信を続けてこられました。AIに任せられる仕事が増えるこれからは、なおさら、狭くて深い場所を持つ人が強い。何でも屋より、専門店。そう決めて動き出した人から、AIには代われない自分をつくっていけるのではないでしょうか。

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情報提供元: DXportal
記事名:「 AIに代われない人になる|「何でも屋」より「専門店」というキャリア