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様々な人の思い出を記録し、今となっては使えなくなった古く歴史的な家庭用ムービーカメラを揃え、手に取って操作できる私設博物館「大手町の絶滅メディア博物館」が2023年1月13日、東京は大手町に誕生しました。実際に訪問し、館長の川井拓也さんに話をうかがいました。
人間の歴史は記録の積み重ね。思い出を記録するカメラやメディアは数多く生まれ、そして歴史の中へ消えていきました。「大手町の絶滅メディア博物館」は、現在使えない規格のカメラやメディアを数多く揃えた私設博物館。このほか高円寺にも、携帯電話と音楽プレーヤーを集めた「高円寺の絶滅メディア博物館」があります。
場所は東京メトロ丸の内線の大手町駅A2出口から鎌倉橋と交差点を渡り、右に行ってすぐのビル1階。目印はレンタサイクルで、向かいには千代田区立スポーツセンターがあります。
中に入り、収集・運営費用となる1口1000円からの「保存協力費」を納めます。展示されているのは家庭用のムービーカメラを中心に、コンパクトカメラやタイプライター、アップル社を中心としたパソコン、記録メディア。
壁面いっぱいの棚に入った展示品に圧倒されます。古いものは1930年代、新しいものでは2000年代と、およそ70年分の歴史が詰まっていますが、館長の川井さんによるとコレクターズアイテムよりも、家庭で多く使われていたようなものを基準に集められているのだとか。
中は動画を含めて自由に撮影ができ、もちろんSNSにアップすることも可能。スタッフに申し出れば実際に手に取って操作することだってできます。ここが展示ケースのガラス越しにただ見るだけの博物館とは違うところ。
昔の8ミリシネカメラを手に取り、どのようにフィルムを装填して撮影するのか、構造を観察して当時の情景を思い浮かべるのもいいですね。それぞれの展示品は個人からの寄贈品が8割、あとの2割がリサイクルショップなどで収集保護したものだといいます。
エポックメイキングな製品については、簡単な解説もついています。1954年に発売されたELMO E-80は、戦後初めて作られた国産の8ミリ映画映写機。
家庭用ビデオカメラとして、初めてカセットデッキ一体型となった1983年のソニーBetamovie(BMC-100)もあります。今となっては大型ですが、この当時は小型のビデオデッキとカメラがケーブルで接続されている方式だったので、大幅に小型化されたものでした。
業務用と同じ、光の3原色をそれぞれ別の撮像素子で撮影する3板式を採用したデジタルビデオカメラ、ソニーDCR-VX1000は、テレビ番組と同等の画質を家庭用にもたらしました。北海道テレビ放送の人気バラエティ番組「水曜どうでしょう」で、本編ロケ撮影に使われたことでも知られています。
別の棚では、ムービーカメラの変遷を戦後の1950年代から年代別に展示しています。1950年代〜1970年代は様々な規格の「8mm映画」時代。1980年代からビデオとなり、2000年代はデジカメ動画へと移り変わる様子が見てとれます。
8mm映画には様々な規格がありました。最初は16mm幅のフィルムを半分ずつ往復撮影し、現像後に切り分ける方式の「ダブル8」。1965年には8mm幅のカセット式フィルムをセットするだけ、という簡便な「スーパー8(コダック)」や「シングル8(富士フイルム)」が登場しました。
これら8mmシネカメラの中で、川井さんが「別格」としているのが、1932年製のコダック「シネ・コダック8」と1952年製の「MOVIKON 8」。どちらもダブル8規格のカメラですが、ドイツのツァイス・イコン製「MOVIKON 8」は、通常の写真用カメラと同じように横型に構えて撮影できるというユニークなもの。
まだ数が少ないという16mmシネカメラでは、旧ソ連の「ゼニット・Krasnogorsk-3」やスイスの「BOLEX H-16 REX-4」が展示されていました。8mmに比べ、一回り大きなボディが印象的です。
写真用のカメラは、現存しないメーカーや、家庭用に広く使われたコンパクトカメラのうち、廃れてしまった規格のカメラを中心に展示されています。その代表例ともいえるのが、35mmハーフサイズカメラやコダックのインスタマチック、ポケットインスタマチックカメラ。
35mmハーフサイズは、通常の35mmフルサイズ(24mm×36mm)を2分割した24mm×18mmのサイズを採用したもの。フィルムが高価だった時代、倍の枚数が撮れるということで人気となりました。
インスタマチック(126フィルム)とポケットインスタマチック(110フィルム)は、どちらもコダックが作った規格。カートリッジ方式を採用し、フィルム装填の失敗を防止したもので、1960年代〜1970年代にかけて一眼レフやコンパクトカメラなど多くの製品が登場しました。
じつは筆者が初めて手にしたカメラがこのインスタマチック。色々なものを撮影したのを覚えています。現在では、どちらの方式もフィルムが一部を除いて製造終了となってしまったため、撮影することはできません。
コダックはこの種のカートリッジ式フィルム規格を何度か作っており、1982年にはディスク状のフィルムを1コマずつ回転させて撮影するディスクフィルムが登場。フィルムはコダックのほか富士とコニカ(現:コニカミノルタ)、カメラはコダックとミノルタ(現:コニカミノルタ)から発売されました。
が、画面サイズが小さく画質が悪いこと、ディスク状なので撮影枚数を増やせないことといった欠点があり、数年でカメラは製造が終了し、フィルムの現像サービスも2001年1月末で終了しました。現代に残る遺産としては、当時ミノルタが発売した「自撮り棒」があります。
現存しないメーカーのカメラとして展示されているのが、東京精機の「ドリスIA(1955年発売)」、アイレス写真機製作所の「アイレスフレックスIV(1954年発売)」、太陽堂光機の「ビューティーフレックスD(1955年ごろ発売)」。
宇宙に関連したカメラでは、マーキュリー「フレンドシップ7」でジョン・グレン宇宙飛行士が使用したミノルタ・ハイマチック(宇宙船に持ち込まれた実物はOEM先ブランドの「アンスコ・オートセット」)が。
一緒に展示されている白いミノルタα8700iは、1990年に日本人初、そしてただ1人旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」に滞在した秋山豊寛さん(当時TBS記者)が使用したことを記念して限定発売されたものです。
1980年代後半から1990年代初頭に発売された「電子スチルビデオカメラ」も興味深い展示品。ソニーの「マビカ」など、撮像素子が撮影した画像データを2インチサイズのフロッピーディスクにアナログ記録したカメラで、すでにメディアドライブが最新のパソコンに対応しておらず、撮影データを読み取ることができません。
パソコンはアップルに関係する製品がいくつか展示されています。1989年に発売されたMacintosh Portableは、Mac初のポータブル製品。キーボードとトラックボールはモジュール交換式で、トラックボールの代わりにテンキーを入れたり、トラックボールの位置を左側に変えたりすることができます。バッテリーは6Vの鉛蓄電池を採用していました。
棚の最上段にある黒い箱状のものは、アップルコンピュータ(当時)を追われたスティーブ・ジョブズが設立したNeXTが、1988年に発表したパーソナルワークステーション「NeXTcube」。商業的には失敗に終わりましたが、世界初のWebサーバとWebブラウザを開発した歴史的マシンであり、OSのNeXTSTEPは現在使われているmacOSの直系の祖先です。
絶滅メディア博物館は、対談形式に最適化した動画撮影スタジオ「ヒマナイヌ スタジオ」に併設されています。そのスタジオ部分には、ムービーカメラの撮像管や撮像素子、パソコンなどの記録メディアが展示されています。
記録メディアは、1960年代に開発された磁気バブルメモリからフロッピーディスク、そして各種のリムーバブルディスクなどが並びます。容量128KBの磁気バブルメモリ「FBM54DB」は、メーカーの富士通に保存されているものが2016年の「第八回情報処理技術遺産」に認定されています。
今はフラッシュメモリのほか、すでに持ち歩かずクラウドに保存するようになったので、これらの規格が乱立していた1990年代が懐かしく思えますね。
館長の川井さんは、開館に至った動機について「メディアのはかなさ」が根底にある、といいます。使われなくなった形式の記録データを後世に残していく際、特に動画はデジタル化すると記録時間以上の時間がかかってしまうため、重要なものはともかく、家庭で撮りためたものは失われやすい状況にあります。
メディアですら失われやすいのですから、それを撮影するカメラ機材に至っては、使えなくなれば捨てられてしまいます。そこで、コレクターの多いスチルカメラではなく、捨てられがちなムービーカメラを重点的に収集し、展示していこうと考えたのだとか。
「ちょうど今、持っていた人が亡くなるなどして遺品整理でリサイクルショップなどに売られているので、収集できるタイミングとしてはギリギリなんです」
そしてユニークなのは、手にとって動かすことができること。これも川井さんなりのこだわりがあります。
「内部がどのような構造になっているか、展示されているだけでは見えないじゃないですか。古いゼンマイ式のカメラだと、実際に動かして動作音を聞くこともできる。もとがジャンクとして売られていたものですから、故意に壊さない限りは自由に触って、製品に込められたデザインや技術を楽しんでもらいたいんです」
展示品は単体で見るだけでなく、並べることで見えてくる「歴史」があります。様々な規格が作られ、衰退してはまた新しい規格に取って代わられていくという流れを振り返る、というのもテーマのひとつだといいます。
「試行錯誤の歴史というか、メーカーも当時全力をあげて作っていったわけで。特に日本の産業が元気だった時代を振り返って、なぜこれが生き残ったのか、なぜ淘汰されたのかといったところも感じてもらえたらな、って思います」
展示品のうち、約8割は一般の方から寄贈されたもの。新型コロナウイルス禍で断捨離が進む中、思い出の品を飾ってもらえるなら、という善意で贈られてきているそうです。
「捨てられずに何十年もとってあった、っていう愛情がオーラとなっているんです。普通の博物館のように学芸員がコレクションしたものではなく、元の持ち主が感じていた愛着も一緒に展示しているのがウチの自慢です」
展示の中で、印象的に置かれている1枚の写真があります。これは1980年の映画「ある日どこかで(Somewhere in Time)」でストーリーの中心となるアイテムをコピーしたもの。「人はなぜ撮影するのか」という写真の本質を象徴する品です。
「ウチの展示品も、我が子の運動会だとか、何かを撮影したいから購入された品なわけで、色々な思い出が詰まっているんです。将来的にはオフ会というか、まだ寄贈はしないけど見てもらいたい品を持ち寄って語り合うイベントもできたらな、って思っています」
寄贈する際には「寄贈品の思い出フォーム」もあり、その品にまつわる思い出が書き込めるようになっています。それも、思い出と品物が不可分であるという考えから。
「将来もし図録を作るとしたら、学術的なものはほかの博物館にお任せして、寄贈者の思い出を書き添えたものにしたいですね。または倒産したメーカーの技術者を訪ね歩くとか。表の歴史には残らない、個人的なストーリーを残して伝えていければ面白いと思っています」
館内ではオリジナルグッズも販売されています。個人による私設博物館なので、来館者の保存協力費やグッズ売り上げは大きな助けとなります。将来的には財団法人や社団法人化し、基盤を安定させたいとも川井さんは語ってくれました。
東京「大手町の絶滅メディア博物館」は、原則として平日の11時〜19時で開館中。携帯電話や音楽プレーヤーを展示した「高円寺の絶滅メディア博物館」は毎週木曜日の19時〜23時にオープンしています。収蔵品など詳しくは公式サイト、開館スケジュールは公式Twitter(@extinct_media)にて発信されています。
【大手町の絶滅メディア博物館】
東京都千代田区内神田2-3-6 楓ビル1階【高円寺の絶滅メディア博物館(高円寺三角地帯)】
東京都杉並区高円寺北2-1-24 村田ビル1階
<取材協力>
川井拓也さん(@takuyakawai)
(取材・撮影:咲村珠樹)