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お正月を迎える準備として、年の瀬になるとお店などには門松が立ち、一般の家庭では松飾を玄関に飾ります。日本の伝統といってはそれまでですが、これは一体どんな意味があるのでしょう?実はお正月に関わる、とても大事な役割を果たしているんです。
1年の始まりであるお正月の異称として「初春」という言葉がありますが、これは農耕をしていた人々にとって、耕作を始める芽吹きの春を1年の始まりとしていることから。日本の天照大神は、春をもたらす太陽を神格化したものと考えられています。
春、南九州地方では田植えの前に、田んぼの守り神(農耕神)である「田の神さぁ」を田んぼに迎える行事が行われます。これと同じように、1年の始まりであるお正月にも、その年が実りある年であるように「歳神」を家にお迎えします。
歳神の正体については様々な説がありますが、農耕神であるとする説が現在のところ有力。「古事記」には、スサノオノミコトがオオヤマツミノカミ(山の神)の娘、カムオオイチヒメとの間にもうけたのが歳神(オオトシノカミ)で、弟にウカノミタマノカミ(伏見稲荷神社など稲荷神社の祭神)がいると書かれています。
この時、歳神様が迷わず我が家へと来てもらえるように、家の前(門口)に立てる目印が「門松」で、それを簡略化したものが「松飾」。夏のお盆の際、先祖の霊が迷わず帰って来られるように「迎え火」を焚きますが、それと同じ役割を担っているのです。
門松は、立てられた3本の青竹に目が行きがちですが、本来の役割を果たしているのは下に巻かれている松葉の方。神道では、榊など冬でも緑を絶やさない常緑樹を「常盤木」として、神様の宿る木と考えますが、松は特に「まつる(祀る)」に通じるとして、神を祀る依代となっているのです。
では、竹は何を表しているのでしょう?民俗学者の折口信夫は、随筆「門松のはなし」で、三河(愛知県東部)・遠江・(静岡県)・信濃(長野県)の国境に近い山村で見た「門神柱(ハザ)」が竹に姿を変えたもの、という考察を示しています。また、この行事は盆と同じく祖先の霊を迎えるものであるとも。
現在、門松は束ねた3本の青竹(これもまた冬でも緑を絶やさない植物)に松が添えられている形になっていますが、折口の随筆を参考にすると、松を供えるための柱が竹ということに。みつ豆の主役はフルーツや寒天ではなく、目立たない豆(赤えんどう豆)の方だというのと少し似ていますね。
松飾には、しめ縄を使ったものもあります。これは門口に立てた「門神柱」の間にしめ縄を張り、そこに神様が宿る松を配したことから。両側の門神柱が略され、真ん中の部分が残った形で、歳神様の宿る松が重要であることを示しています。
ところが、門松に松を使わない地方も存在します。箱根神社(箱根権現)の氏子は、箱根権現が山を歩いている時、松の葉が目に入って痛い思いをしたので、それに配慮する形で門松に松を使わないのだとか。
また、東京都府中市にある大國魂神社と、その氏子も門松に松を使いません。これは大國魂神社の祭神、オオクニヌシノカミと八幡神が一緒に出かけた際、途中で日が暮れてしまい、八幡神が宿を探してくるといって別れたきりなかなか帰って来ず、待ちぼうけとなったことから「待つ(松)は嫌だ」と松を嫌うようになったという伝説が残されています。
門松や松飾を作るため山から松を切る際は、山の神を分けてもらうという意味で「おろす」という言葉を使い、古くは「はやす」という言葉を使いました。酒蔵で新酒ができた際に掲げる杉玉を「さかばやし」ともいいますが、これも分けてもらう「はやす」の使用例です。
お正月で使った門松や松飾は、1月15日に神社や集落の広場で焚き上げます。地域によって「どんど焼き」や「左義長」、「鳥追い」などと呼ばれますが、これも山から分けてもらった松を天に返す、という意味があり、お盆の「送り火」と同種のものと考えていいでしょう。
※見出し画像および本文2枚目に掲載した門松の写真は、田間棟梁作のものです
<参考>
折口信夫「門松のはなし」(青空文庫)
「古事記」武田祐吉訳(青空文庫)
大國魂神社公式サイト「大國魂神社の七不思議について」
(咲村珠樹:宮崎県民俗学会員)