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御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひつづきて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎてそよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしがましき心地す。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこじろふほどに、御簾のそばいとあらはに引き上げられたるをとみに引きなほす人もなし。
<中略>
鞠に身をなぐる若公達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたくなけば、見返りたまへる面もちもてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やとふと見えたり。
大将、いとかたはらいたけれど、這ひ寄らんもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させてうちしはぶきたまへるにぞ、やをら引き入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば心にもあらずうち嘆かる。
<中略>
わりなき心地の慰めに、猫を抱き寄せてかき抱きたれば、いとかうばしくてらうたげにうちなくもなつかしく思ひよそへらるるぞ、すきずきしきや。
【現代語訳】
いくつもの御几帳(みきちよう)をしまりなく部屋の隅に片寄せてあって、すぐ間近に控えている人の気配が奥ゆかしさもなく世なれた感じであるが、そこへ、唐猫のほんとに小さくかわいらしいのを少し大きな猫が追いかけてきて、いきなり御簾の端から走り出るので、女房たちがびっくりして、ざわざわと身じろぎして動きまわる気配や、衣ずれの音が耳やかましい有様である。猫はまだよく人になついていないのだろうか、綱がとても長くつけてあったのを、物にひっかけたのに巻きついてしまったので、逃げようとして引っぱっているうちに、御簾の端が、内部(なか)のまる見えになるくらいに引き開けられたのを、気づいてすぐに直そうとする人もいない。
<中略>
蹴鞠(けまり)に熱中する若君達(わかきんだち)の、花の散るのを惜しんでなどいられぬ有様を見ようとして、女房たちは、こちらからまる見えになっているのもすぐには気がつかないのであろう。猫がひどく鳴くので、振り返られた面持(おももち)や身のこなしなどが、まことにおおどかで、若くかわいらしい人よ、と直感されるのである。
大将は、まったくはた目にもはらはらするけれども、御簾(みす)を直しにそっと近づくのも、かえってひどく軽率なことなので、ただ気づかせようと咳払いをなさると、その人は静かに奥へお入りになる。じつは大将ご自身の心にも、まことに心残りでいらっしゃるけれども、猫の綱を解いてしまったので、思わずついため息をもらさずにはいられない。
<中略>
衛門督はやるせない心の慰めに、猫を招き寄せて抱きしめるが、移り香もまことに芳(かんば)しく、かわいらしい声で鳴くにつけても、これが慕わしいお方に思いなぞらえずにはいられないとは、なんとも好きがましいことではある。
(『若菜 上(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 140〜143ページ)
衛門督を、さも気色ばまばと思すべかめれど、猫には思ひおとしたてまつるにや、かけても思ひよらぬぞ口惜しかりける。
【現代語訳】
衛門督(えもんのかみ)を、もしそうした意向があるのだったら、と期待していらっしゃるようだが、猫以下にお見下げ申しておられるのか、まるで心にとめていないのは、不本意なことであった。
(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 160ページ)
ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを…
<中略>
かのおぼえなかりし、御簾のつまを猫の綱ひきたしり夕のことも、聞こえ出でたり。
【現代語訳】
衛門督(えもんのかみ)は、ほんの少しの間、うとうとしたともいえぬほどの夢の中に、あの手なずけていた猫がいかにもかわいい姿をして鳴きながら近寄ってきたのを…
<中略>
あの、宮にしてみればお気づきでなかった、御簾(みす)の端を猫が綱で引き開けた夕べのことをも、申しあげたのである。
(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 226ページ)
見つる夢のさだかにあはむことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひ出でらる。
【現代語訳】
先刻見た夢が正夢となるのかどうか、それもむずかしい、とそこまで考えると、あの夢の中の猫の姿を、まことに恋しく思い出さないではいられない。
(『若菜 下(源氏物語)』新編日本古典文学全集23巻 229ページ)