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前回は「うちの御ねこ」、つまり猫デレ日記の萌芽と見られる寛平御記が、源氏物語の注釈書『河海抄』に引用されたところまで調べました。みなさまお察しの通り、この次に気になるのは「『河海抄』の註釈は、源氏物語のどこに対する註釈か」であります。答えは前回参照した史料にあるとおり「若菜下」でしたので、さっそくその該当箇所を見ていきましょう。
ちなみに、Web上で見つかる源氏の資料としては、猫が登場する古今東西の書物の書評をまとめたこちらのサイトや、原文・現代語訳を対照表示できる「源氏物語の世界 再編集版」などがあります。後者は、高千穂大学名誉教授の渋谷栄一氏が制作された「源氏物語の世界」をWebでの閲覧便宜を図るために再編集したものです。引用・加工の制限なく公開されている源氏物語のテキストでしたので、こちらを使用して源氏物語に描かれた猫の姿を追うことにしました。
若菜下の「猫」の記述は、巻の冒頭にあります。
「かのありし猫をだに、得てしがな。思ふこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにも、なつけむ」と思ふに、もの狂ほしく、「いかでかは盗み出でむ」と、それさへぞ難きことなりける。
(訳)「あの先日の猫でも、せめて手に入れたい。思い悩んでいる気持ちを打ち明ける相手にはできないが、独り寝の寂しい慰めを紛らすよすがにも、手なづけてみよう」と思うと、気違いじみて、「どうしたら盗み出せようか」と思うが、それさえ難しいことだったのである。
(「源氏物語の世界 再編集版」若菜下【第一章 第一段】より)
内裏の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、「六条の院の姫宮の御方にはべる猫こそ、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」と啓したまへば、わざとらうたくせさせたまふ御心にて、詳しく問はせたまふ。
「唐猫の、ここのに違へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」など、ゆかしく思さるばかり、聞こえなしたまふ。聞こし召しおきて、桐壺の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、参らせたまへり。「げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と、人びと興ずるを、衛門督は、「尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて、日ごろ経て参りたまへり。
童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせたまひしかば、御山住みに後れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。御琴など教へきこえたまふとて、「御猫どもあまた集ひはべりにけり。いづら、この見し人は」と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき撫でてゐたり。宮も、「げに、をかしきさましたりけり。心なむ、まだなつきがたきは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」とのたまへば、「これは、さるわきまへ心も、をさをさはべらぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂はべらむかし」など聞こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜はり預からむ」と申したまふ。心のうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。
明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥したまへるに、来て、「ねう、ねう」と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、「うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ これも昔の契りにや」
と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、「あやしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひたまふ。
(訳)内裏の御猫が、たくさん引き連れていた仔猫たちの兄弟が、あちこちに貰われて行って、こちらの宮にも来ているのが、とてもかわいらしく動き回るのを見ると、何よりも思い出されるので、「六条院の姫宮の御方におります猫は、たいそう見たこともないような顔をしていて、かわいらしうございました。ほんのちょっと拝見しました」と申し上げなさると、猫を特におかわいがりあそばすご性分なので、詳しくお尋ねあそばす。
「唐猫で、こちらのとは違った恰好をしてございました。同じようなものですが、性質がかわいらしく人なつっこいのは、妙にかわいいものでございます」などと、興味をお持ちになるように、特にお話し申し上げなさる。お耳にお止めあそばして、桐壷の御方を介してご所望なさったので、差し上げなさった。「なるほど、たいそうかわいらしげな猫だ」と、人々が面白がるので、衛門督は、「手に入れようとお思いであった」と、お顔色で察していたので、数日して参上なさった。
子供であったころから、朱雀院が特別におかわいがりになってお召し使いあそばしていたので、御入山されて後は、やはりこの東宮にも親しく参上し、お心寄せ申し上げていた。お琴などをお教え申し上げなさるついでに、「御猫たちがたくさん集まっていますね。どうしたかな、わたしが見た人は」と探してお見つけになった。とてもかわいらしく思われて、撫でていた。東宮も、「なるほど、かわいい恰好をしているね。性質が、まだなつかないのは、人見知りをするのだろうか。ここにいる猫たちも、大して負けないがね」とおっしゃるので、「猫というものは、そのような人見知りは、普通しないものでございますが、その中でも賢い猫は、自然と性根がございますのでしょう」などとお答え申し上げて、「これより勝れている猫が何匹もございますようですから、これは暫くお預かり申しましょう」と申し上げなさる。心の中では、何とも馬鹿げた事だと、一方ではお考えになるが、この猫を手に入れて、夜もお側近くにお置きなさる。
夜が明ければ、猫の世話をして、撫でて食事をさせなさる。人になつかなかった性質も、とてもよく馴れて、ともすれば、衣服の裾にまつわりついて、側に寝そべって甘えるのを、心からかわいいと思う。とてもひどく物思いに耽って、端近くに寄り臥していらっしゃると、やって来て、「ねよう、ねよう」と、とてもかわいらしげに鳴くので、撫でて、「いやに、積極的だな」と、思わず苦笑される。
「恋いわびている人のよすがと思ってかわいがっていると どういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか これも前世からの縁であろうか」
と、顔を見ながらおっしゃると、ますますかわいらしく鳴くので、懐に入れて物思いに耽っていらっしゃる。御達などは、「奇妙に、急に猫を寵愛なさるようになったこと。このようなものはお好きでなかったご性分なのに」と、不審がるのだった。宮から返すようにとご催促があってもお返し申さず、独り占めして、この猫を話相手にしていらっしゃる。
(「源氏物語の世界 再編集版」若菜下【第一章 第二段】)