たった3行の数式が多くの宇宙で「タイムトラベル」を否定した
「過去の自分に会いに行く」タイムトラベルは、物理学では「時間の輪」の問題として研究されています。
光より遅く進んだはずなのに、出発した瞬間の同じ場所へ戻ってきてしまう道筋のことです。
専門的には「閉じた時間的曲線」と呼ばれます。
実は、重力の理論が許す宇宙のモデルの中には、この輪を含むものがいくつも見つかっています。
一方で、「どんな宇宙なら輪が生まれないのか」を見分けるのは、簡単ではありませんでした。
これまでの研究は、宇宙のモデルを1つずつ調べるやり方で進んできたからです。
そうした中、ある物理学者が、輪が生まれない宇宙を見分ける新しい定理を示しました。
しかもその証明は、わずか3行で済むといいます。
たった3行の数式で、いったい何が言えるのでしょうか?
研究の詳細は、2026年10月24日付で『arXiv』に公開されました。
時間の輪はどこに現れ、どう見分けられてきたのか
時間の輪が広く注目されるきっかけになったのは、ゲーデルが示した「回転する宇宙」でした。
この宇宙は全体が回転していて、ちりのような物質で満たされています。
理論が破綻する点(特異点)を持たない宇宙なのに、時間の輪が現れるのです。
ほかにも、時間の輪が現れる場所として、回転するブラックホール(カー・ブラックホール)の中心にある、輪の形をした特異点のそばが知られています。
特殊な物質で支えられた、通り抜けられるワームホール(時空の離れた場所をつなぐ抜け道)なども、輪を生む例です。
さらに、なめらかな時空の「光の進む向き」をぐるりとつないで作る、ミスナー空間という例もあります。
例が集まる一方で、輪の有無を見分ける判定法も、大きく3つの系統が作られてきました。
時計の目盛りのような関数を使うもの、エネルギーの条件を使うもの、空間のつながり方を使うものです。
このうち、時計の目盛りを使う系統の決定版とされるのが、ホーキングによる定理です。
宇宙全体に、どこでも時間の向きに増えていく目盛り(時間関数)を置けるかを調べるものです。
目盛りを置けることと、因果がしっかり守られること(安定因果性)が、ぴったり同じだと示されました。
ただし目盛りを置けるか確かめるには、宇宙全体の因果のつながりを見渡す必要があります。
完全な判定法である一方で、使うためのハードルは高かったのです。
ホーキングの定理が黙る宇宙でも、輪が無いと言える?
今回の研究が使ったのは、時計の目盛りではなく、光の目盛りでした。
宇宙全体に、ある1つの数(関数)を割り振ることを考えます。
その数が増える向きは、どの場所でも光の進む向きにそろえておきます。
イメージとしては、宇宙を進む光の波面に、順番に番号を振っていく感じです。
同じ番号の面は、光がそのまま乗って進む面になります。
論文の定理は、この番号を宇宙全体で1通りに振れるなら、時間の輪は存在しないというものです。
番号が振れるかどうかは、光の波面が満たす1本の式(ヌル・アイコナール方程式)を、宇宙全体で解けるかで決まります。
では、なぜ番号が振れると、輪が消えるのでしょうか?
証明の中心にあるのは、たった1つの代数の事実です。
光の向きを表す量は、光より遅く進む物体の向きと、決して「直交」しないのです。
直交しないということは、物体が少しでも進めば、番号が必ず変わるということです。
しかも未来へ向かう向きはひとかたまりなので、番号は増えるか減るかの一方に決まります。
その結果、光より遅く進む物体の道筋に沿って、番号はひたすら増え続けます。
波面のたとえで言えば、光より遅い旅人は、次々と来る波面に追い越されていくだけです。
一度追い越された波面の手前へ、戻ることはできません。
出発点に戻るには番号も元に戻る必要があるため、輪は閉じられないのです。
上り続けているのに一周すると元の場所に戻る、だまし絵の階段が現実には作れないのと同じ理屈です。
論文によれば、この証明は3行で済みます。
しかも証明に使うのは時空の基本的な性質と光の番号だけなので、4次元より高い次元の時空にもそのまま当てはまるといいます。
注目すべきは、この条件がホーキングの条件の「弱い版」ではないことです。
2つの条件は論理的に独立していて、片方だけを満たす宇宙があります。
論文は、光の番号は振れるのに時間関数は置けない例として、「ヌル円筒」という時空を挙げています。
逆に、閉じた形のフリードマン宇宙(宇宙全体の標準的なモデルの一種)は、時間関数は置けるのに光の番号は振れない、反対の例です。
つまり新しい定理は、ホーキングの定理が何も言えない場面でも、輪が無いことを教えてくれるのです。
しかも必要なのは、宇宙全体の因果を見渡すことではなく、1本の式を解くことだけです。
定理が破れる「2つの抜け道」が示すもの
この定理のもう1つの強みは、破れる場合がはっきりしていることです。
論文が扱う種類の時空では、定理が成り立たない理由はちょうど2つしかありません。
1つ目は、光の束がねじれている場合です。
ねじれた光の束では、光が乗って進む面がそもそも作れず、番号を振れません。
論文は、カー・ブラックホールの特別な光の束を、その例に挙げています。
2つ目は、番号が1通りに決まらず、面がぐるりと閉じてしまう場合です。
時計の文字盤のように、増え続けたはずの番号が、一周すると最初に戻ってしまうのです。
この例が、先ほどのミスナー空間です。
どちらの抜け道も、計算で確かめられる幾何学の性質です。
そのため定理は、輪があるかどうかだけでなく、どこを探せば輪が見つかるかも教えてくれます。
論文はこの見方で、時間の輪を含む既知の解を整理し直しました。
ミスナー空間、オリのタイムマシン、アーメドが作った一連の4次元の解は、どれも同じ作り方に基づいています。
なめらかで問題のない時空の光の向きを、ぐるりとつなげて輪にする方法です。
論文によると、これらはすべて「輪になった光の向きが、時間の向きに変わった」ことに帰着します。
解ごとに異なる、光の束の広がりやゆがみといった性質は、どの解でも、輪ができる仕組みの中では脇役にすぎませんでした。
論文によると、通り抜けられるワームホールを使ったタイムマシンも、新しい3つ目の抜け道ではなく、番号が一周してしまう2つ目の抜け道の一例です。
論文はさらに、クント時空とロビンソン・トラウトマン時空という、2つの大きな解の仲間に定理を当てはめました。
その結果、光の番号が1通りに決まる領域では、どちらの仲間にも時間の輪は無いことが初めて示されました。
宇宙定数がどんな値でも、回転を表す量がどうであっても、この結論は変わりません。
これにより、回転の勢い(角運動量)を帯びた「ジャイラトン波」と呼ばれる波について残されていた問いにも、決着がついたといいます。
ただし、この定理は「どんな宇宙でもタイムトラベルは不可能」と言っているわけではありません。
言えるのは、光の波面に宇宙全体で1通りに番号を振れる宇宙では、時間の輪は生まれないということです。
論文が扱う範囲では、輪を作るには光の束をねじるか、光の番号を一周させるしかないことになります。
光より遅い私たちは、宇宙を流れる光の波面に追い越され続ける旅人のようなものです。
その波面にきちんと番号が振れて、番号が一周して戻ってこない限り、昨日の自分に会いに行く道は開かないのです。
参考文献
A no-go theorem for closed timelike curves in globally null-foliated spacetimes (arXiv (Cornell University))
https://doi.org/10.48550/arxiv.2610.33706
元論文
A no-go theorem for closed timelike curves in globally null-foliated spacetimes
https://doi.org/10.48550/arxiv.2610.33706
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部