動かないはずの原子核の磁石を、針から送る電波でひっくり返せた
鉄やニッケルのような金属では、原子の一つ一つがわずかに磁石の性質を持っています。
その原子の内側では、さらに小さな「方位磁針」がいくつも働いており、物理学ではこれをスピンと呼びます。
いちばん強い磁石は電子ですが、原子によっては芯にあたる原子核もスピンを持っています。
原子核のスピンは電子よりずっと弱い代わりに、外の世界からしっかり守られています。
そのため向きが長く保たれ、量子情報を扱う技術で情報を蓄える候補として期待されてきました。
ただしその守りの固さのせいで、外から操ることも読み取ることも難しくなっていました。
とくに顕微鏡の針から送る電気信号では、原子核のスピンを直接は動かせないと考えられてきたのです。
原子1個の芯にひそむ磁石は、本当に外から動かせないのでしょうか?
研究の詳細は、オランダのデルフト工科大学らにより、2026年10月24日付で学術誌『Nature Communications』に掲載されました。
原子核の磁石は、電子越しにしか見えなかった
オランダ・デルフト工科大学のサンダー・オッテ氏のグループは、原子1個のスピンを調べてきました。
使うのは、走査トンネル顕微鏡(とがった針で表面をなぞり、流れる電流で原子を見る顕微鏡)を改造した装置で、針の先から原子1個をねらって電気信号を送れます。
今回の相手は、銀の上に敷いた薄い酸化マグネシウムの膜に、1個ずつのったチタン原子です。
表面に垂直な磁場をかけると、電子のスピンが電波に共鳴したときに、針に流れる電流がわずかに変わります。
原子核もスピンを持つチタン47(原子核の重さが少し違うチタンの一種)では、この共鳴の山が6本に分かれました。
原子核のスピンの向きに応じて、電子が共鳴する周波数が少しずつずれるためです。
比べる相手として、原子核のスピンを持たないチタン原子も並べて測られました。
つまり原子核のスピンは、電子との結びつき(超微細相互作用)を通して、間接的に姿を見せていたのです。
弱い磁場で見えていた原子核らしい信号も、実は電子のスピンの変化を含んでいました。
しかもその信号は磁場を強めると薄れ、ある強さで完全に消えてしまいます。
磁場が強いほど電子と核の混ざり合いが小さくなるので、信号はこの混ざり合いに頼っていたと考えられます。
一方、混ざり合いが小さい状態では、原子核はスピンの向きを数秒保つと報告されています。
その長持ちする状態で核を直接操れるのかは、これまで確かめようがなかったのです。
オッテ氏が「本来起こるはずのない」と語る、強い磁場での結果は?
そこで筆頭著者のヘスター・ヴェネマ氏らは、二重磁気共鳴という確立した測り方を、原子1個向けに作り直しました。
磁気共鳴とは、波の信号を当ててスピンの向きを変える方法です。
スピンが取れる回り方は限られており、信号の周波数がぴったり合わないと何も起きません。
ヴェネマ氏はこれを、ギターの弦にたとえています。
スピンの回り方の一つ一つが自分の音を持つ弦で、正しい音を弾いたときだけその弦が震えるというのです。
そして原子核の「音」は、電子の音より100〜1000倍も低いといいます。
チームは、高い音の電波(ギガヘルツ帯)と低い音の電波(メガヘルツ帯)を、同時に針から送り込みました。
6本の山の高さの比は、原子核がそれぞれの向きにいる割合を映しています。
そこで高い電波は最初の1本の山に合わせ、核が特定の向きにいる割合を読む役にしました。
そのうえで低い電波の周波数を少しずつ変え、核だけをねらって揺さぶります。
こうすれば、核を動かす信号と、結果を読む信号を切り分けられます。
核の音から外れた周波数では、山の高さはふだんどおりの並びのままでした。
ところが低い電波を核の音に合わせると、それまで高さの違っていた最初の2本の山が、同じ高さにそろったのです。
核がそれぞれの向きにいる割合が変わった、つまり電波が核の向きを動かしたしるしです。
しかもこの測定は、従来の方法では信号が消えてしまう強さを超えた磁場で行われていました。
次にチームは、電子と核の混ざり合いを小さくするため、磁場を強めながら同じ測定を繰り返しました。
試した範囲は、従来の方法で信号が完全に消えた強さから、その7倍までです。
この範囲で、電子と核の混ざり合いはおよそ10分の1まで小さくなります。
それでも、原子核の向きが1段変わったことを示す2つの反応が、どの磁場でも現れ続けました。
オッテ氏は「私たちの単純な理解では、これは本来起こるはずのないことです」と語ります。
「原子核のスピンは、走査トンネル顕微鏡からの電気信号にはまったく反応しないはずなのです」
それでも測定は、電子との混ざり合いがごく小さい状態でも、電波が原子核のスピンをひっくり返せることを示していました。
予想外の結果が残した、新しい謎
2つの電波を使ったことで、原子核そのものの性質もくっきり見えてきました。
磁場を変えると核の音がどちら向きに動くかを追い、これまで決めきれなかった結びつきの向きを突き止めたのです。
チームは、測定と数値解析によって、電子と核の結びつき(超微細相互作用)と、核の電荷の広がり方に関わる四重極相互作用という結びつきの、それぞれの性質を明らかにしたとしています。
分かったのは、電子と核のスピンが互いに逆向きを好み、核の電荷の分布が表面に沿って平らに広がる形を好むことです。
一方で、なぜ核が動いたのかという肝心の仕組みは、まだはっきりしていません。
チームは考えられる仕組みを一つずつ検討し、少なくとも一つは可能性が低いと判断しました。
それは、電子と核の混ざり合いを通して、両者の向きが入れ替わるように動くという仕組みです。
今回の条件では混ざり合いがごく小さく、この仕組みが働く余地はほとんどないためです。
残る候補の一つは、針から届く電波の電場が、電子と核の結びつき方を揺さぶるという仕組みです。
これなら電子の向きを変えずに核だけを回せるうえ、混ざり合いの大きさにも左右されないといいます。
ただしこれは、まだ「否定できない候補」として挙げられた段階にとどまります。
デルフト工科大学も、今回の研究は核を動かす仕組みについて、むしろ新しい問いを投げかけたと説明しています。
オッテ氏は「では、一からやり直しですね」と話します。
「それが科学というものです。いつも、まだ解き明かすべき新しいことが残っているのです」
原子核のスピンを思いどおりに操れれば、量子情報を蓄えて読み出す新しい道が開ける可能性があります。
電子とほぼ切り離された原子核という低い弦は確かに鳴ったのに、何が弾いたのかはまだ誰にも分からないのです。
写真で見る磁気共鳴の装置・チタン・量子コンピューター
参考文献
Against all expectations, researchers control the magnetic core of a single atom (Phys.org)
https://phys.org/news/2026-10-magnetic-core-atom.html
元論文
Nuclear magnetic resonance on a single atom with a local probe
https://doi.org/10.1038/s41467-026-78801-5
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部