AIが作ったタンパク質に「透かし」を入れる技術、狙いは生物兵器への悪用の抑止
ネットで流れてきた写真が本物なのかAI製なのか、見分けがつかない場面が増えました。
この「本物かどうかを見分けたい」という悩みが、いま生命科学の現場にも持ち込まれています。
タンパク質の立体構造を言い当てるAI「AlphaFold 3」と、新しいタンパク質を設計するAIがそろい、自然界に存在しなかったタンパク質を生み出せるところまで来ました。
新しい薬にも生物兵器にも使われうるだけに、AIが作ったタンパク質の配列や構造がどこから来たのかをたどることは、ますます重要になっています。
そこで研究チームは、設計されたタンパク質のアミノ酸の並びと立体構造そのものに、目印を埋め込む方法を考えました。
しかし、目印を入れてもタンパク質の働きは落ちないのでしょうか。そして、その目印は本当に役に立つのでしょうか。
この研究はグーグル・ディープマインドらにより報告されました。
研究の詳細は、グーグル・ディープマインドらにより、2026年9月30日付で学術誌『Nature』に掲載されました。
AIが作る「見たことのない並び」は、検査の網をすり抜けかねない
タンパク質を扱うAIにとって大きな節目は、2020年に訪れました。
2020年に公開された AlphaFold は、アミノ酸の並びからタンパク質の立体構造を言い当てる道具でした。
タンパク質は折り紙のように折りたたまれ、できあがった形がその働きを決めます。
この形を読み解く技術は、2024年のノーベル化学賞の対象になりました。
そして同じ技術は、これまで誰も見たことのないタンパク質を新しく作る方向にも扉を開きました。
画期的な新薬づくりに使える一方で、免疫やワクチンをすり抜けるウイルスのタンパク質のような使い道も心配されています。
「良いことに使えるものは、悪いことにも使えます」と、ジョンズ・ホプキンス大学の生物物理学者ジョージ・ローズ名誉教授は言います。
厄介なのは、いまの危険物の検査が「すでに知られている危険なものと配列がどれだけ似ているか」で見分けている点です。
AIは、人類がまだ目にしたことのない並びを平気で出してきます。
似ていない並びをどう見分けるかが、この方法の課題になります。
だからこそ、配列や構造が「どこから来たのか」をたどる手がかりが必要になっていました。
では、アミノ酸の並びにどうやって目印を隠すのか
研究チームが提案した一群の手法は SynthIDBio と呼ばれ、その一つ目は配列に目印を埋め込むものです。
土台になったのは、ProteinMPNN という配列を設計するプログラムです。
利用者が望む立体の形を与えると、その形に折りたたまれるアミノ酸の組み合わせを選び出してくれます。
同じ形を作る並びは何通りもあり、プログラムは一か所ずつ、候補の中から確率的に選んでいます。ここが鍵になります。
SynthIDBio-sequence は、この選び方にごくわずかな偏りを混ぜ込みます。
直前の並びと外部に出さない秘密の鍵の両方から乱数を作り、それを使って候補のアミノ酸どうしを「トーナメント戦」させるのです。
勝ち上がった候補が採用され、その積み重ねが、配列全体に薄く広がった署名になります。
鍵を知っている人は、その並びが偏りの下で生まれた可能性の高さを計算できます。
ただし、目印のために薬としての働きが落ちてしまえば、誰も使いません。
そこで研究チームは、相手にくっつくタンパク質を実際に作り、結合の強さを測る試験に回しました。
標的は3つで、新型コロナウイルスが細胞に取り付くときに使う部分、血管内皮増殖因子A(VEGF-A)、プログラム細胞死リガンド1(PD-L1)です。
それぞれの標的について、くっつくことが分かっている15個の骨格を使い、目印ありと目印なしの両方で配列を引き直しました。
測定の結果、結合の強さの分布も、うまくくっついた割合も、両者で目立った差は見られませんでした。ただし、くっついたと見なす基準をゆるめて数えたときには、目印なしのほうがうまくくっついた割合が高いという差も出ています。
目印の検出もほぼ完璧な精度だったと報告されています。配列と構造の二つの手法についての試験では、目印入りのタンパク質の99%以上を拾い上げ、目印の入っていないものの99.9%を正しく見送りました。
つまり、働きをそのままにしたまま、出どころの分かる印を仕込めることが、実験室の水準で示されたわけです。
AIが入れた透かしは、AIが消せてしまう
もう一つの手法は、配列ではなく立体構造そのものに目印を入れます。
SynthIDBio-structure は AlphaFold 3 を微調整したもので、構造を予測するついでに、原子の位置をほんのわずかだけずらします。
ずれは、見た目には歪みと分からない程度に小さく保たれます。
それでも検出する側は、原子どうしの距離やねじれ角という「内側の寸法」を読むので、構造を回したり動かしたりしても目印は消えません。
研究チームは、さらに厄介な現実にも手を打っています。構造のファイル形式として広く使われるCIFは、原子の座標を通常は小数3桁までに丸めるのです。
そこで研究チームは学習の段階で座標に雑音を混ぜており、一般的なファイル形式で保存しても目印が残るようにするには、0.001オングストローム以上の摂動が必要だったと報告しています。
ここまでは成功談ですが、弱点は研究チーム自身も論文で認めています。
38,396個の結合タンパク質を使い、配列を引き直すという攻撃を試したところ、この方法で目印はほぼ消えてしまいました。
ただし、攻撃する側も無傷ではありません。配列を引き直すと、狙った相手にうまくくっつく設計の割合も落ちてしまい、AIによる構造のふるい分けを併用しない場合、VEGF-A向けではその割合が3%まで下がると見積もられています。
構造の目印も、座標に雑音を足すなどして取り除けると専門家は指摘します。
しかも検査する側には、目印が「最初から無い」のか「消された」のかを区別する手立てがありません。
マイクロソフトの応用科学者ブルース・ウィットマン氏は、二つの手法を「効果はあるが、もろい」と評しました。
もう一つの壁は、タンパク質の予測や設計のソフトの大半が、誰でも中身を書き換えられる形で公開されていることです。
ウィットマン氏は、目印が業界の標準になるには、まず中身を閉じたモデルへ軸足が移る必要があると述べています。
スイスのシュピーツ研究所の専門家マックス・ブラックマン氏は、別の角度から水を差します。
身元が後から分かることは一部の犯罪者を思いとどまらせるかもしれないが、新しいタンパク質で生物兵器を作ろうとするテロリストは、攻撃が成功した後に身元が割れることをあまり気にしないだろう、という見立てです。
ローズ名誉教授はもっと率直で、「うまくいかないと確信している」と語りました。
便利な技術が生まれたあとで、それを規制で封じ込めようとして成功した例はほとんどない、というのが同氏の見立てです。
一方で、アイルランドのマンスター工科大学のロイ・スレイター教授は、実際には設計の出どころをたどったり、追加の検査に回すべき人工のタンパク質に印を付けたり、作り方についての誤解を招く主張を減らしたりするのに役立つ可能性があると見ています。
人工の設計が通常のデータベースに紛れ込むのを防ぐ、地味な整理の役にも立つかもしれないといいます。
研究チーム自身も、これは技術が成り立つことを示した実証であり、実際に使うには業界全体の足並みと標準づくりが必要だと書いています。
お札の透かしが偽札を一枚も作らせないわけではないのと同じで、この目印も単独の防壁ではなく、何重かの防御の一枚目として置かれるものなのでしょう。
ただ、VEGF-AやPD-L1にくっつく設計タンパク質で、結合の働きを損なわずに署名を入れられることは示されました。実際に使うには、技術のさらなる工夫も含めて、まだ越えるべき段階が残っています。
AIが入れた印をAIが消すというので、結局いちばん忙しいのはAIになりそうですね。
ここからは、電子透かしをもっと知りたい人へ
電子透かしとは、データの中に目印となる情報をそっと埋め込んでおく技術です
電子透かしは、画像や音声などのデータの中に、著作者の名前やコピーできる回数といった情報を、目立たない形で埋め込んでおく技術です。
印を付けるだけの受け身の守り方で、データを劣化させることも、利用を制限することもありません。
後から付け足すメタデータと違って、埋め込んでもデータの大きさは変わりません。
ただし、改変に強い透かしと気づかれない透かしは、片方だけなら作りやすく、両方を兼ね備えたものを作るのは難しいとされています。
逆に、ごくわずかな手直しで検出できなくなる「壊れやすい」透かしもあり、こちらはデータが書き換えられたことを見つけるのに使われます。
紙の透かし自体は古く、13世紀のイタリアに現れ、そこからヨーロッパ各地へ急速に広まりました。
身近な例では、デジタルシネマの規格に沿った映画館が、館内での再撮による盗用を抑えるために、映写のときに透かしを埋め込んでいます。
写真で見るタンパク質と実験室のようす
参考文献
Scientists can now 'watermark' AI-generated proteins to deter bioweapon creation. But will it really work? (Live Science)
https://www.livescience.com/technology/artificial-intelligence/scientists-can-now-watermark-ai-generated-proteins-to-deter-bioweapon-creation-but-will-it-really-work
コトバンク「電子透かし」
https://kotobank.jp/word/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%80%8F%E3%81%8B%E3%81%97
元論文
Function-preserving watermarking of AI-generated proteins
https://doi.org/10.1038/s41586-026-10965-y
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部