オーストラリアのクイーンズランド工科大学(QUT)などで行われた研究によって、楽器の経験が豊富な人は「腹話術の錯覚」にだまされにくいことが示されました。


腹話術の錯覚とは、目に見えたものに引っ張られて、実際とは違う場所から音が聞こえたように感じる現象です。


音楽家なのだから耳がいいのだろう、と思うかもしれません。


ところが今回の違いは、「耳がいいから」では説明がつきませんでした。


では、音楽家の何が違うのでしょうか。


研究の詳細は『Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance』に掲載されています。




目次



  • なぜ、目に見えた場所から音が聞こえてしまうのか
  • 音だけでは差がつかず、光が加わると差が出た
  • 「2割」と教わって、錯覚が強まった人もいた

なぜ、目に見えた場所から音が聞こえてしまうのか


なぜ、目に見えた場所から音が聞こえてしまうのか / Credit:Canva

テレビから人の声が聞こえるとき、声は画面の中の人の口から出ているように感じられます。


けれど実際に音を出しているのは、画面の縁や部屋の隅に置かれたスピーカーです。


腹話術の舞台でも、同じことが起きています。声を出しているのは演者なのに、声は人形の口から聞こえます。


声の主を、目のほうが決めてしまう。これが腹話術の錯覚です。


脳がこんな取り違えをするのには、理由があります。


目の前の人が口を動かし、同時に声が聞こえる。このとき私たちは、二つを一つの出来事として受け取ります。


口の形が見えていれば、騒がしい場所でも相手の言葉は聞き取りやすくなります。目と耳を別々に働かせるより、まとめたほうが得なのです。


つまり腹話術の錯覚は、脳の欠陥ではありません。普段は役に立っている働きの、裏側で起きています。


ただし、同時に見聞きしたものが、いつも同じ出所とは限りません。


しかも、場所に関しては、目のほうがはるかに確かな手がかりになります。光がどこにあるかは、目の奥のどこに映ったかで決まります。


一方、音が右から来たのか左から来たのかは、両耳に届く時間と大きさのわずかな差から割り出すしかありません。


音だけを頼りに「どこで鳴ったか」を指させると、答えはかなりばらつきます。光の位置なら、ばらつきはごくわずかです。


そのため、別々の場所から届いた光と音を一つにまとめると、音の位置のほうが光の側へ引き寄せられてしまいます。


これまでの研究で音楽家はこの錯覚にかかりにくい、とこれまでの研究では報告されていましたが、なぜなのかはわかっていませんでした。


考えられる説明は二つあります。


一つは、音楽家は耳だけで音の位置を正確に捉えられるので、目の情報に頼らずに済むというものです。


もう一つは、そもそも音と光を「同じものから来た」と結びつける見込みが弱い、というものです。


音楽家が錯覚に強いのは、耳がいいからでしょうか。それとも、目と耳の結びつけ方そのものが違うからでしょうか?


音だけでは差がつかず、光が加わると差が出た


音だけでは差がつかず、光が加わると差が出た / Credit:Canva

音楽家の強みが現れるのは、音だけを聞くときなのか、それとも光が加わったときなのか?


研究者たちは、その二つを分けて測りました。集めたのは、楽器経験の豊富な35人と、ほとんど経験のない35人です。


ここでいう音楽家は、必ずしもプロではありません。7年以上の楽器経験があり、ここ1年も平均して週に1時間は演奏している人たちです。


実験に使われたのは、人形ではなく、一瞬の光と短い雑音でした。


暗くした部屋で、参加者は2メートル先の黒い幕に向かって座ります。


幕の裏には、横一列に5つのスピーカーが隠れています。音は通すけれど中は見えない幕なので、音の出どころは聞いて当てるしかありません。


光は幕に映り、音はスピーカーから鳴ります。参加者は、それがどこだったかをマウスで指し示しました。


音だけの回、光だけの回、両方を出す回があります。両方の場合、光と音は同時に現れますが、場所は同じこともあれば、離れていることもあります。


このとき参加者は、音の位置だけでなく、光の位置も別々に答えました。


目と耳の両方に注意を向けてもらうためです。光と音が離れている回で、音の答えがどれだけ光の側へ寄るか。それが測りたいものでした。


まず、音だけ、あるいは光だけを出したときには、答えのばらつきに音楽家と、そうでない人の差はありませんでした。


ところが光と音を一緒に出すと、違いが現れます。音楽家では、音の位置の答えが光の側へ引っ張られる程度が、平均して小さかったのです。


光と音が離れているときほど、音は強く引き寄せられます。最も離れた条件では、音だけのときに比べ、両者の隔たりの半分ほど光の側へ寄っていました。


音楽家でも錯覚は起きますが全体を平均すると、その寄り方が1.6度ぶん小さいという差でした。


隣り合うスピーカーの間隔が5度ですから、その3分の1ほどにあたります。


差が出たのは、耳だけを使う場面ではなく、目と耳を組み合わせる場面でした。


これでは、「音楽家は音の位置を正確に聞き分けられるから」という説明だけでは足りません。


そこで研究者たちは、参加者の答え方を数式で再現するモデルを使い、二つのことを見積もりました。


一つは、目と耳がそれぞれどれくらい細かく位置を捉えているか。


もう一つは、「この光と音は、同じ出来事から来たはずだ」とどれくらい見込んでいるか、です。


すると音楽家と、そうでない人を分けていたのは、後者の見込みの部分であることがわかりました。


音楽家では、音と光を同じ出所と見込む度合いが弱かったのです。位置を捉える細かさのほうには、差は出ていません。


さらに研究者たちは、同じ課題をもう一度やってもらう前に、参加者にこう伝えました。


「光と音の両方が出るとき、同じ場所から出るのは2割です。残りの8割は、別々の場所から出ます」


これは本当の割合です。課題の途中でも、繰り返し確認させました。


すると、全体として錯覚が弱まりました。同じ出所と見込む度合いも、全体として下がっています。


それでも、音楽家と非音楽家の差は消えませんでした。


しかし、確率を聞かされただけで、なぜ音のありかの答えまで変わるのでしょうか。


「2割」と教わって、錯覚が強まった人もいた


「2割」と教わって、錯覚が強まった人もいた / Credit:Canva

耳に届く音も、目に入る光も、説明の前と後で何ひとつ変わっていません。変わったのは何なのか?


モデルが指し示すのは、音と光を「同じ出所のものだ」と結びつける見込みの変化でした。その見込みが下がれば、位置のずれた光と音を一つにまとめることも減ります。


研究者たちは論文で、参加者は新しい情報に合わせて見込みを調整できたようだ、と書いています。


興味深いのは、全員が「結びつけない」方向へ動いたわけではないことです。


モデルで見積もった見込みが、もともと2割を下回っていた人が23人いました。そのうち21人では、説明の後にかえって見込みが強まり、錯覚そのものも強くなっていたのです。


「どうせ別々だろう」と構えていた人にとって、2割は同じ場所から出るという説明は、「思ったより一緒なのか」という情報だったわけです。


つまり動いた向きは、一つではありませんでした。高いほうからも低いほうからも、2割という本当の値へ寄っていったのです。


説明は錯覚を消す解毒剤ではなく、結びつけ具合を加減するつまみだったことになります。


もっとも研究者たちは、聞こえ方そのものよりも、答え方が変わった可能性が高いとみています。


では、長年の練習が、この結びつけ方を育てたのでしょうか。


そこは、まだわかりません。今回比べたのは、すでに楽器を弾ける人と、そうでない人でした。練習の成果なのか、もともとの性質なのかは、切り分けられないのです。


それでも、確率を知らされてもなお差が残ったことは、音楽家の違いが、その場でこしらえた思い込みではないことを示しています。


感覚をうまく使うとは、目と耳を何でも混ぜることではありません。


普段は役に立つ結びつけも、出所が別々なら勘違いの元になります。まとめすぎないことにも、意味があるのでしょう。


音楽家の「耳のよさ」を考えるとき、耳だけを見ていては、大事な違いを見落としてしまうのかもしれません。


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元論文

A Multisensory Causal Inference Prior is Attenuated in Musicians and is Further Attenuated Following Instruction
https://doi.org/10.1037/xhp0001403

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 音楽家は「腹話術の錯覚」にだまされにくい 」