バイキングと聞くと、船で海を渡って各地を襲う、荒々しい戦士の姿を思い浮かべる人も多いでしょう。


実際、鉄器時代からバイキング時代にかけてのスカンジナビアは、戦士を重んじる考え方が広まった時代として知られます。


時代でいえば、紀元前500年ごろから西暦1050年ごろまでにあたります。


ところが意外なことに、当時の墓地に眠る人々の骨には、けがの跡が比較的少ないことが知られてきました。


荒々しい時代のはずなのに、暴力の跡はどこに残されていたのでしょうか。


国際研究プロジェクト「BODY-POLITICS」のチームは、その答えを墓地ではなく、人々が暮らした家の中に探しました。


家の炉や床下から見つかった骨は、いったい何を物語っていたのでしょうか。


研究の詳細は、2026年9月28日付で学術誌『Journal of Archaeological Method and Theory』に掲載されました。




目次



  • 墓地に葬られなかった人々の骨を調べる
  • 床下に置かれた幼い子の骨には何が刻まれていたのか
  • 縛られていた可能性のある手首と馬の骨が語る、暮らしのそばの暴力


この研究の概要


発表

考古学の専門誌『Journal of Archaeological Method and Theory』に、2026年9月に発表されました。



研究チーム

国際研究プロジェクト「BODY-POLITICS」の研究チームで、論文の筆頭はマリアンネ・ヘム・エリクセンさんです。



調べた対象

スカンジナビア南部と中部の集落で、家や穴、井戸、炉などに置かれていた人の骨のうち、焼かれていないもので、およそ192人分です。



調べ方

骨が置かれていた197か所のうち123か所の骨は研究者が直接調べ、収蔵先が閉じていて調べられなかった残り74か所は、発掘の報告書や記録から情報を集めました。



分かったこと

192人のうち12人(約6%)の骨に合わせて19か所のけがの跡があり、少なくとも8人には意図して加えられた暴力の跡がありました。骨の一部しか残っていない人が多いにもかかわらず、この割合は、これまでに報告されたバイキング時代の墓地の多くと同じくらいでした。



まだ分かっていないこと

多くの人は骨の一部しか見つかっていないため、体のほかの部分にけががあったかどうかは分かっていません。そのため研究チームは、実際のけがの割合はもっと高かったとみています。



墓地に葬られなかった人々の骨を調べる


これまで、過去の暴力を知るおもな手がかりは、墓地から出てくる骨でした。


バイキングの時代の暴力は、英雄の物語(サガ)などの書き物からもうかがえます。


また、土を盛った墓や、多くの人をまとめて埋めた墓からは、ひどいけがを負った骨が見つかってきました。


しかし研究チームは、暴力の犠牲者のかなりの部分が墓地に葬られていないことに目を向けました。


当時は、誰もが墓地できちんと弔われたわけではなかったからです。


人々は、遺体やその一部を、家や井戸、宴を開く広間に置くこともありました。


そこでチームが注目したのが、暮らしの場で見つかった、ばらばらの骨や、ある程度そろった骨です。


見つかった場所は、細長い家(ロングハウス)の中や、穴、井戸、柱を立てた穴、そして炉などさまざまです。


バイキングのロングハウスです(アンスト)。 / Credit: Gerald England / Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)

こうした骨は、これまで研究の中であまり目を向けられてこなかった資料でした。


チームは、博物館に収められた骨と、以前の発掘の報告書をあらためて見直しました。


探したのは、骨に残るけがの跡と、そのけがが治った跡です。


骨の形を詳しく見る方法に、遺伝子などの分子を調べる方法や、デジタル画像を使う方法も組み合わせました。


対象となったのは、およそ1500年にわたる時代に、暮らしの場へ置かれた200人近くの骨です。


床下に置かれた幼い子の骨には何が刻まれていたのか


調べた結果、200人近くのうち12人の骨に、けがの跡が見つかりました。


12人の骨に残る傷は、合わせて19か所にのぼります。


生きているあいだに負ったけがもあれば、死の前後に負ったけがもありました。


そして少なくとも8人には、誰かが意図して加えた暴力の跡が残っていたのです。


一生のうちに何度もけがを負った人も、4人いました。


そのうちバイキング時代のある男性は、頭への3度の打撃と、前腕と鎖骨の骨折を生き延びていました。


生きているあいだに負ったけがの跡が残る人の骨を、部分ごとに示した図です。Bがずれたままくっついた鎖骨の骨折、Cが治った前腕の骨の骨折、Dがおでこの骨への打撃の跡です。 / Credit: Eriksen et al., Journal of Archaeological Method and Theory (2026)(CC BY 4.0)

中でも目を引くのが、デンマークのユトランド半島にあった鉄器時代の村で見つかった骨です。


その村(ポストゴーデンVI)は、細長い家が85棟も並ぶ大きな集落でした。


問題の骨は、おでこにあたる骨(前頭骨)のごく一部だけでした。


以前の調べでは、この骨は若い大人の女性のものだと考えられていました。


ところが今回、骨の形と遺伝子を調べ直すと、2〜4歳の男の子のものだと分かったのです。


左右の目のくぼみの天井には、小さな穴が集まった跡(クリブラ・オルビタリア)がありました。


これは、短い一生のあいだに体へ何らかの負担がかかっていたことを示すと考えられます。


そして、おでこの右側には、死の前後に刃物で切りつけられた傷がありました。


幼い子のおでこの骨を、傷の拡大写真や立体の模型、顕微鏡写真などで示した図です。Aが傷の拡大写真で、Cが左の目のくぼみの天井に小さな穴が集まった跡を写しています。 / Credit: Eriksen et al., Journal of Archaeological Method and Theory (2026)(CC BY 4.0)

以前の研究では、剣のような重い刃物による傷かもしれないとされています。


今回の分析では、右目の上にも、この傷と関係しているかもしれない別のひびが見つかりました。


死後、村の人々はこの子の遺体を火葬しませんでした。


代わりに、おでこの骨は、ある家の古い床と新しい床のあいだに置かれていたのです。


つまり、その後にこの家で暮らした人々は、ふだんから子どもの頭の骨の上を歩いていたことになります。


体のほかの部分がどうなったのかは、分かっていません。


さらに、骨の年代を測ると、家が建った時期より200年ほど古いことが分かりました。


200年といえば、人の一生をはるかに超える長さです。


そのため、この骨は長いあいだどこかで保管され、のちに床下へ置かれた可能性があります。


縛られていた可能性のある手首と馬の骨が語る、暮らしのそばの暴力


家の下で見つかったのは、子どもの骨だけではありません。


別の人物の骨では、右の下から2番目のろっ骨に、指先ほどの幅をあけて2つの切り込みが並んでいました。


剣や長い短剣、槍のような、細く長い刃の武器でつけられた傷とみられます。


以前の研究では、この傷が死因になった可能性が高いとされています。


この人の骨には生前のけがの跡もあり、けがを何度も繰り返していた様子がうかがえます。


遺体は浅い穴に、体を丸めた姿勢で埋められていました。


発掘した人々によると、両手首は交差した形でろっ骨の下にあり、縛られていた可能性があるといいます。


骨には風化や動物にかじられた跡があり、しばらく動物や人の手にさらされていたようです。


そして、その穴の上には家が建てられたのです。


デンマークのフュン島の集落では、16歳以上の男性の頭の骨の一部が、ひとつの穴から見つかりました。


その骨には、死の前後に受けた、命に関わりうる2つの打撃の跡がありました。


穴の中に置かれていた、一部が欠けた頭の骨です。AとBが、2か所の打撃の跡をそれぞれ拡大したものです。 / Credit: Eriksen et al., Journal of Archaeological Method and Theory (2026)(CC BY 4.0)

ひとつは右の側頭部の上あたりにある約1.5cmのへこみで、とがった重い物による傷と一致します。


もうひとつは額の真ん中、右目の上あたりにある、1cmに満たない丸いへこみでした。


骨の表面はひどく風化しており、長く野ざらしにされた後で、家々の西にある穴へ納められたとみられます。


同じ穴からは土器や動物の骨、そして大量の馬の骨も見つかっています。


これは、馬をいけにえにする儀式と関係している可能性があるとされます。


では、こうした暴力はどれほど身近だったのでしょうか。


けがの跡がある12人が見つかった遺跡の数は、集落に人骨を置いていた遺跡全体のおよそ23%にあたりました。


けがの跡がある人の骨が置かれていた集落の遺跡と、その人々の骨の年代を測った結果を示した図です。 / Credit: Eriksen et al., Journal of Archaeological Method and Theory (2026)(CC BY 4.0)

つまり、人骨を集落に置いていた共同体のほぼ4つに1つで、骨に跡が残るほどの暴力があったことになります。


しかも置かれていたのは体の選ばれた一部に限られることなどから、けがを負っていた人は実際にはもっと多かったと研究チームはみています。


骨折や歯の病気、体に長く負担がかかった跡が残る骨もありました。


研究チームは、こうした人々の一部が社会の弱い立場にあった可能性を指摘しています。


そして、生涯を通じて積み重なる「ゆっくりとした暴力」にさらされていたのかもしれないと論じています。


傷の理由としては、集落どうしの争い、集落の中のけんかや家庭内の暴力、いけにえのような儀式などが考えられています。


研究チームは一つに絞らず、いくつもの場合を検討しています。



研究者たちは「理由が何であれ、これらの遺体は死の中で、そして死後に、意図して処理され、変えられた」と述べています。


鉄器時代からバイキング時代の暴力の跡は、墓地だけでなく、住人が毎日踏みしめる床の下にも眠っていたのです。


次に床がギシッと鳴っても、きっと家が古いだけなので、床板をはがすのはやめておきましょう。いや、でも・・・


ここからは、バイキングをもっと知りたい人へ


バイキングとは、多くが村の農民として暮らした人々です


復元されたバイキングの家です(アイスランド)。 / Credit: Anjali Kiggal / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

バイキングの多くは、6〜7軒の農場が集まる小さな村の農民で、町に住んだ人はごく一部でした。


その農場の中心は木で建てた母屋のロングハウスで、壁が弓なりに曲がっているため、上から見ると船のような形をしていました。


人々はこの家の真ん中にある細長い炉で食事を作り、壁ぞいに並ぶ板の寝台に座ったり寝たりしていました。


馬小屋などが無い農場では、家の片側を仕切って、家畜も同じ家の中で飼っていました。


家には煙突も窓も無く、炉の煙は屋根に開けた穴から逃がしていたため、中はとても煙たかったと考えられています。


木の家にとって湿気は大敵で、人々はいつも修理を重ね、柱の表面を焦がして木を守る工夫もしていました。


亡くなった人は、集落からふつう300〜600m離れた所に葬られ、墓地とのあいだを流れる川などは、北欧神話で生者と死者の国を分ける川ギョッルと結びつけて説明されることがあります。


一方で人々はもてなしを大切にしており、旅の見知らぬ人でも、近くの農場に立ち寄れば食事と寝る場所を頼むことができました。


写真で見る、骨に残るけがとバイキングの時代の家・船・とりで













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参考文献

Broken bones in ancient homes shed new light on Viking violence (Phys.org)
https://phys.org/news/2026-10-broken-bones-ancient-homes-viking.html

デンマーク国立博物館「What were Viking homes like?」
https://en.natmus.dk/historical-knowledge/denmark/prehistoric-period-until-1050-ad/the-viking-age/the-people/viking-homes

元論文

Broken bodies in Domestic Spaces: Direct and Structural Violence in an Atypical Mortuary Dataset from Iron and Viking Age Scandinavia
https://doi.org/10.1007/s10816-026-09817-w

ライター

山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 バイキングの暴力を物語る「家の中の痕跡」を発見 」