体をすり抜ける「幽霊粒子」のレーザーは作れないと判明
猫の前でレーザーポインターの赤い点を動かすと、猫は夢中になって部屋中を追いかけ回します。
壁まで届くあの一本の線のように、光の向きをきれいにそろえて撃ち出すのが、レーザーという技術です。
ところが物理学者の中には、光ではない別の粒子で同じことをしようと考えた人たちがいます。
その粒子とは、私たちの体を毎秒すり抜けている「幽霊粒子」ニュートリノです。
捕まえることすら難しいこの粒子を、極低温の原子を使ってビームにまとめるという大胆な案が、昨年提案されました。
しかし幽霊粒子は、本当に光のように足並みをそろえてくれるのでしょうか?
米マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームは、この「ニュートリノのレーザー」が実現できるのかを理論計算で確かめました。
研究の詳細は、米マサチューセッツ工科大学らにより、2026年9月2日付で学術誌『Physical Review Letters』に掲載されました。
目次
- 体をすり抜ける幽霊粒子を「レーザー」にする計画
- 幽霊粒子は本当に光のように足並みをそろえるのか?
- 反動をなくしても残る「もう1つの壁」
体をすり抜ける幽霊粒子を「レーザー」にする計画
ニュートリノは、地球上のわずか1平方インチ(約6.5平方cm)あたりを毎秒何兆個も通り抜けている素粒子です。
岩盤も巨大な恒星も人間の体も、跡を残さずにすり抜けていきます。
質量はほぼゼロで普通の物質とほとんど反応しないため、1956年に見つかって以来、検出するだけでもひと苦労でした。
ましてビームにまとめて操るなど、手の届かない話だったのです。
そこでMITのジョー・フォルマッジオ教授と、当時米テキサス大学アーリントン校にいたベン・ジョーンズ氏(現在は英マンチェスター大学)は、ある抜け道を考えました。
放射性の原子の雲を、ナノケルビン(1ケルビンの10億分の1)という、星間空間の温度のさらに10億分の1ほどまで冷やすのです。
ここまで冷えると原子の熱による動きは止まり、原子たちは「ボース=アインシュタイン凝縮」という、全体で一つのかたまりのように振る舞う状態になります。
光については、この凝縮体にレーザーを当てると原子が足並みをそろえて光を散らし、光子(光の粒)が同じ方向へ飛び出す「超放射」という現象がすでに確かめられています。
二人は、放射性の原子がニュートリノを出して崩壊するときにも同じことが起こるのではと考えました。原子どうしが崩壊を早め合い、出てくるニュートリノがビームになるというのです。
ある想定では、放射性のルビジウム原子の半減期(原子の半分が崩壊するまでの時間)が86日からわずか1分に縮むとされています。
ただし放射性の原子でボース=アインシュタイン凝縮を作れた人はまだおらず、この計画は紙の上の理論にとどまっていました。
幽霊粒子は本当に光のように足並みをそろえるのか?
MITのヴォルフガング・ケターレ教授と、博士研究員のハンジェン・リン氏、ユークン・ルー氏は、この計画を2本の論文で検証しました。
その結論は、提案されていた方法ではニュートリノのレーザーは作れない、というものでした。
しかも彼らが見つけた壁は2つあり、それぞれ別の理由によるものだったのです。
ケターレ教授は「この2本の論文は、いわばパンチ1発目と2発目です。どちらの論文も、それだけでこの提案を倒していたでしょう」と話しています。
ケターレ教授は1995年にボース=アインシュタイン凝縮を共同で発見し、関連する研究で2001年のノーベル物理学賞を分け合った人物です。
そんな彼は、極低温の原子の繊細な振る舞いが、原子核の崩壊で出る大きなエネルギーに耐えられるのか、初めから疑っていました。
「凝縮体は低いエネルギーなら、超流動や渦のような素晴らしいことをやってのけます。凝縮体で満たされた部屋で話せば、私の声が届くまで1時間かかるでしょう。それほど凝縮体はゆっくりしているのです。だから核反応のような激しいものに対しては、凝縮体は何もしないだろうとずっと考えてきました」と彼は振り返ります。
1つ目の壁は、原子の「反動」です。
光の超放射では、原子が光を散らすたびに、その反動で原子が後ろへ押されます。
凝縮体の中ではこの反動もそろったまま残って次の散乱を後押しするため、光の放出が雪だるま式に増えていきます。
ちなみに室温の原子では、光子はばらばらの方向へ散って、ぼんやりとした光になるだけです。
問題は、光とニュートリノのエネルギーの差でした。
目に見える光の光子が持つエネルギーは約1電子ボルトですが、放射性崩壊で出るニュートリノはおよそ100万倍ものエネルギーを持つことがあります。
そのため、ニュートリノを出した原子は、光のときの約100万倍も強く跳ね返されるはずです。
ケターレ教授は「100万電子ボルトのニュートリノが出ると、原子はマッハ10、戦闘機より速いスピードで跳ね返されます。あまりに速いので、原子はほとんど一瞬で消えてしまうでしょう」と説明します。
超放射が育つには、凝縮体が前の放出を「量子的な記憶」として覚えておく必要があります。
提案では、跳ね返った原子が逃げた後もその痕跡が残り、次の原子に同じ方向へニュートリノを出させると仮定していました。
研究チームは、超放射が起こる条件を表す理論モデルを放射性の原子とニュートリノ向けに作り替え、ニュートリノのエネルギーの幅、原子の反動、凝縮体の変化まで含めて計算しました。
その結果、調べたどのシナリオでも超放射は起こりませんでした。
跳ね返った原子があまりに早く凝縮体を飛び出すため、必要な記憶が育つ暇がないのです。
記憶がなければ、原子たちは互いを後押しすることなく、普段どおりにニュートリノを出し続けるだけでした。
反動をなくしても残る「もう1つの壁」
それなら反動の問題さえどうにか消してしまえばよいのでは、と思うかもしれません。
しかし2本目の論文は、それでもこの計画は救えないことを示しました。
ニュートリノは、超放射に必要なものとは逆向きの「記憶」を残してしまうのです。
1つのニュートリノが出ると、次のニュートリノが同じ方向に出るのを後押しするどころか、かえって出にくくしてしまいます。
この逆転の原因は、ニュートリノの素性にあります。
素粒子は、大きく「ボソン」と「フェルミオン」の2種類に分けられます。
光子はスピン(粒子が持つ自転のような量子的な性質)が整数のボソン、電子やニュートリノはスピンが1/2などの半整数のフェルミオンです。この量子的な性質の違いが、粒子どうしの振る舞い方を決めているのです。
研究チームは、理想化した原子の集団が光子ではなくフェルミオンを出すときに何が起こるのかを、厳密に解きました。
超放射では、原子の数が増えるほど、放出の勢いが原子の数の2乗に比例して強まります。
ところがフェルミオンを1個ずつ出す場合、放出の勢いは最大でも原子の数に比例するだけでした。
つまり原子を10倍に増やしても勢いは最大で10倍どまりで、超放射のように100倍へ跳ね上がることはないのです。
研究チームによると、この結果は2通りに理解できるといいます。1つは、フェルミオンを出すときの波どうしが打ち消し合うため。もう1つは、集団の励起(原子がエネルギーを受け取って高い状態になること)がフェルミオンの性質を持つために起こる「パウリ・ブロッケード」のためです。これは、フェルミオンが同じ状態に2つ入れないことから生じる通せんぼです。
さらに研究チームは、フェルミオンを1個ずつ出す過程について、この証明を任意のハミルトニアン(系のエネルギーを表す式)に当てはまる形に広げました。
原子たちがまったく協力できないわけではありません。励起の少ない状態なら集団として振る舞い、原子がN個あれば、1個のときのN倍の速さでニュートリノを出せます。
しかしそれが上限で、光のレーザーのような爆発的な増え方にはどうしても届かないのです。
凝縮体から出るニュートリノは、光のように隊列を組むどころか、前の一つが飛んだ方向への次の放出をむしろ起こりにくくする「一匹狼」だったのです。
どうやら猫を走り回らせる「幽霊のレーザーポインター」の発売は、あきらめたほうがよさそうです。
もっとも体をすり抜けるビームでは、猫が前足で押さえようとしても永遠に捕まえられませんね。
参考文献
MIT Study Reveals Why a Neutrino Laser May Be Impossible (SciTechDaily)
https://scitechdaily.com/mit-study-reveals-why-a-neutrino-laser-may-be-impossible/
元論文
Fundamental Impossibility of a Superradiant Neutrino Laser
https://doi.org/10.1103/8x7k-rwx2
ライター
天道銀河: 科学、歴史、心理、宇宙、生き物、テクノロジーなど、気になるものにはジャンルを問わず首を突っ込む雑食系ライターです。ひとつの分野を深く極めるというより、さまざまな知識を広く集め、意外なつながりを見つけるのが好きです。専門家ほど深くはなくても、好奇心の広さなら負けません。「こんな世界もあるのか」と思えるような、面白くてわかりやすい話題を届けていきます。
編集者
ナゾロジー 編集部