古代中国の鼻削ぎ刑の初めての人骨証拠か——鼻切断をめぐる特異な考古学的事例
中国の鄭州大学とアメリカのテキサスA&M大学などで行われた研究によって、古代中国の法典に記された「鼻を削ぎ落とす刑」を受けたとみられる人骨が初めて見つかり、その女性が刑のあとも何年ものあいだ生き続けていたことが明らかになりました。
鼻を削ぐ刑は、首を斬る刑や去勢と並ぶ「五刑」の一つとして数千年にわたって記録され、元王朝(1271〜1368年)の末期には主に家畜泥棒に科されていました。
ところが文字の記録はこれほど豊富なのに、実際にその刑を受けた人の骨は、中国の遺跡から一度も報告されていなかったのです。
論文では、確認されればこれが古代中国における懲罰的な鼻切断の最初の考古学的事例になる、と記述されています。
鼻を失った彼女は、そのあとをどう生きたのでしょうか。
研究内容の詳細は2026年9月3日に『Journal of Archaeological Science: Reports』にて「古代中国(1298〜1404年)における刑罰としての顔面切断の、初めての人骨証拠——元・明王朝の鼻切断をめぐる特異な考古学的事例(First skeletal evidence of facial mutilation as a form of punishment from ancient China (1298–1404 CE): A unique archaeological case of nasal amputation in Yuan-Ming Dynasties)」とのタイトルで発表されました。
目次
- 牛や馬を盗めば鼻を削ぐ──条文はあるのに、体が出てこない
- 鼻の穴が3割広く、切り口は丸く治っていた
- 墓でただ一人うつ伏せ、そして「つけ鼻」の痕
牛や馬を盗めば鼻を削ぐ──条文はあるのに、体が出てこない
昔の刑罰がどれほど残酷だったかは、歴史の授業でひととおり習います。
けれども私たちがそれを知っているのは、教科書や古文書に書かれた文字を通してです。
古代中国の「五刑」のうち、鼻を削ぐ刑も、長いあいだそういう存在でした。
五刑とは、首を斬る、足を切る、去勢する、鼻を削ぐ、顔に入れ墨を入れるという5つの刑罰のことです。
鼻を削ぐ刑は「劓(ぎ)」と呼ばれ、殷の時代の甲骨文字では、鼻の横に刃物を添えた形で書かれていました。
文字そのものが、刑の光景をかたどっているのです。
記録の量も、決して少なくありません。
西周の刑罰を伝える『尚書』の「呂刑」には、五刑で裁かれる罪は全部で三千あり、そのうち千が鼻を削ぐ刑にあたる罪だと記されています。
時代が下った元王朝の末期になると、この刑はもっぱら家畜泥棒に向けられました。
『元史』には、牛や馬を盗んだ者は鼻を削ぐ、ロバやラバなら額に入れ墨を入れて再犯で鼻を削ぐ、というように、盗んだ家畜ごとに刑が定められています。
そして、鼻を削がれたあとにまた盗んだ者は死刑にする、とも書かれています。
これだけの記録が残っているのに、中国の遺跡からは、鼻を削がれた人の骨が1体も見つかっていませんでした。
刑罰の条文は山ほどあるのに、刑を受けた体が一つも出てこない。
その空白を埋めたのが、河南省三門峡市の墓地から出た1つの頭蓋骨でした。
鼻の穴が3割広く、切り口は丸く治っていた
2018年、三門峡市で専門学校の新しいキャンパスを建てる前の調査が行われ、地下から299基の墓が見つかりました。
工事を待たせるわけにはいきません。
発掘は2019年3月から12月にかけて駆け足で進められ、掘り出された骨は鄭州大学へ運ばれました。
その骨を調べていた同大学の考古学者で、論文の筆頭著者である周亜威氏は、M318と番号のついた頭蓋骨の、顔の真ん中に目を留めます。
鼻の穴(梨状口)が、明らかに広すぎたのです。
この墓地から出た、鼻のまわりがよく残っている女性17人の平均が25.4ミリなのに対して、M318は34.35ミリありました。
9ミリ、割合にして3割以上も広い計算になります。
鼻すじを作る左右の鼻骨は、先端側の半分がありません。
残っていたのは左が6.5ミリ、右が9.6ミリだけでした。
決め手になったのは、しかし、骨が失われていたことではありませんでした。
失われた骨の、縁の形です。
骨は、いつ壊れたのかを縁の形で語ります。
死んだあとに土の重みや掘削で欠けた骨は、割れ口が角ばったまま残ります。
ところが生きているあいだに切られた骨は違います。
体が何か月もかけて傷口を作り直し、角の取れた滑らかな縁に変えていくのです。
割れたばかりのガラスの破片は指が切れそうに鋭いのに、波にもまれて浜に打ち上げられたガラスは角が丸くなっています。
骨の縁にも、それに似た差が残ります。
M318の鼻骨の断面も、梨状口のふちも、鼻の中に残った骨も、そろって丸く治っていました。
つまり彼女は、鼻を失った時点では生きていて、そのあとも長く生き続けたということになります。
CTで顔の内側をのぞくと、刃は下から上へ振り上げられた形跡がありました。
削られたのは、外から見える鼻だけではありません。
鼻の中には、吸い込んだ空気を温めたり汚れをこしたりしている「鼻甲介(びこうかい)」という何枚ものひだがありますが、その前の部分までが骨ごと切り取られていたのです。
研究チームは、同じ墓地に葬られた同じくらいの年齢の女性(M75)の頭部も同じようにCTで撮り、並べて比べています。
無傷の顔の横に置くと、彼女の顔の真ん中が、ぽっかりとくぼんでいることがはっきりします。
右の大腿骨を使った放射性炭素年代測定では、亡くなったのは1298年から1404年のあいだと出ました。
元王朝の末から明王朝の初めにあたる時期で、墓の造り自体は元の様式です。
骨盤と頭蓋の特徴から性別は女性、歯のすり減り方や頭蓋の縫合の具合から、亡くなった年齢は40歳から45歳と推定されました。
骨に含まれる炭素と窒素の同位体を調べると、食事はキビなどの雑穀が中心で、肉や魚は多くなかったと考えられます。
当時の庶民の食事の型です。
棺に納められていた副葬品は、頭の左脇に置かれた銅のかんざしが1本きりでした。
墓でただ一人うつ伏せ、そして「つけ鼻」の痕
この墓には、もう一つ他と違うところがありました。
彼女は、うつ伏せで埋葬されていたのです。
発掘が駆け足だったため、その姿勢は現場では気づかれませんでした。
残っていたのは上から撮った写真1枚で、大腿骨の裏側を走る隆起線の向きと、背骨の突起の見え方から、体が下を向いていたと後から判定されたのです。
漢から清まで、この墓地からは213基の歴史時代の土葬墓が見つかっていますが、うつ伏せはこの1体だけでした。
殷の時代には、うつ伏せの埋葬は身分を問わず見られるありふれた葬り方の一つでしたが、時代が下ると意味が変わり、非業の死を遂げた者や、罪を犯した者に対する葬り方と考えられるようになります。
値打ちのある副葬品がないこと、顔に不自然な欠損があること、そして墓地でただ一人うつ伏せであること。
研究チームは、これらが重なることから、彼女は罪人として扱われ、顔の損傷を覆い隠すためにうつ伏せに伏せられたのだろうと考えています。
もちろん、鼻が失われる原因は刑罰だけではありません。
研究チームは、生まれつきの欠損、病気、事故、さらには貞節を示すために自ら鼻を切る風習まで、考えられる原因を一つずつ検討しています。
たとえばハンセン病であれば、鼻が崩れるのと並行して、上あごや手足の骨にも変化が現れ、歯が抜け落ちるはずです。
けれどもM318の骨では、手足にハンセン病特有の変化は見つからず、目立った異常は虫歯や歯周病といった口の中の問題に偏っていました。
事故による大きなけがなら、頬骨や上あごの骨折、前歯の脱落もいっしょに残りやすいのですが、そうした跡は見つかりませんでした。
消去法の末に最も可能性が高いとして残ったのが、家畜泥棒などに科される鼻削ぎの刑でした。
さらに注目すべき点として研究者たちは、梨状口のふちには小さな骨のトゲ(骨棘)が左側だけに偏って、ごつごつと盛り上がっている点を挙げています。
骨のこの部分は外からの刺激に敏感で、何かが繰り返し当たっていると、そこに新しい骨を作ります。
研究チームは、傷が治っていく過程で起きた慢性的な炎症の跡である可能性が最も高いとしたうえで、もう一つの可能性を挙げました。
作り物の鼻を当てていた圧の跡ではないか、というものです。
テキサスA&M大学のチアン・ワン氏は「傷跡を隠すために人工鼻を装着していた可能性がある。つまり、普通の生活に戻ろうと努力していたということだ」と述べています。
鼻の穴が外気にさらされたままでは、呼吸はしづらく、冷たい空気もほこりもそのまま入ってきます。
上唇を持ち上げる筋肉も傷ついていた可能性があり、表情の作り方まで変わっていたかもしれません。
彼女が生き延びたこと自体も、この発見の重要な部分です。
鼻の奥には太い血管が何本も通っていて、外鼻を切り落とせば大量の出血が起きます。
傷口から感染も起こります。
それでも彼女は、切られた骨の縁が丸く治りきるまで生きました。
刑のあと、血を止め、傷の手当てをした者がいたことになります。
実際、体の一部を切り落とす刑の現場に医療者が付き添っていたことは、周王朝の時代までさかのぼって指摘されています。
唐代の『千金方』には多くの外科の手技が記され、明代には外科用の刃物やはさみ、針が種類ごとに書き分けられるまでになりました。
研究者たちは他の原因について完全には排除しきれないとしつつも、この解釈が正しければ、これは古代中国の鼻削ぎ刑の、初めての物的証拠になると結論しています。
そこから見えるのは、法典の条文が実際に人の顔に執行されていたという事実だけではありません。
罰する技術と、生かす技術は、同じ場所に並んでいたのです。
元論文
First skeletal evidence of facial mutilation as a form of punishment from ancient China (1298–1404 CE): A unique archaeological case of nasal amputation in Yuan-Ming Dynasties
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2026.106031
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部