低所得の母親に現金を支給したら、赤ちゃんの老化指標が低くなった
家計の余裕は、赤ちゃんの「育ち方」だけでなく、「老い方」にも関わるのでしょうか。
ドイツのマックス・プランク人間発達研究所(MPIB)などで行われた「赤ちゃんの最初の数年間(Baby’s First Years)」という研究プロジェクトにより、低所得の母親への現金給付を増やすと、4歳の子どもで、生物学的な老化の速さを推定する指標が低くなることを報告しました。
比べたのは、毎月333ドル(5万円ほど)を受け取る家庭と、20ドル(3000円ほど)を受け取る家庭です。
違いをとらえたのは見た目でも体力でもなく、唾液に含まれるDNAについた化学的な目印でした。
生活を支えるお金が、幼い身体の内側にまで影響することを示す結果です。
研究は2026年9月8日、学術誌『Nature Human Behaviour』に発表されました。
目次
- 母親に毎月お金を渡すと、何が変わるのか
- DNAの「目印」が、なぜ老い方を教えるのか
- 家計への支援が、子供の身体に残した差
母親に毎月お金を渡すと、何が変わるのか
子どものために、もう少し家計に余裕があったら。
その余裕が、子どもの身体にどのような違いをもたらすのかを調べるのは、簡単ではありません。
家庭の収入は、住まいや親の健康状態など、さまざまな条件と重なり合っているからです。
貧しい家庭と裕福な家庭を比べるだけでは、収入そのものの影響を切り分けられません。
そこで「赤ちゃんの最初の数年間(Baby’s First Years)」という研究では、米国の低所得の母親1000人を、出産後まもなく、くじ引きのような方法で2つのグループに分けました。
400人には月333ドル、600人には月20ドルを、毎月支給したのです。
お金の使い道に条件はありません。
特定の食品を買ったり、育児講習を受けたりすることを給付の条件にせず、家計に使えるお金を増やしました。
両群の違いは月313ドルです。
どの家庭が多く受け取るかを無作為に決めることで、もともとの家庭環境の違いが一方に偏るのを防ぎ、給付を増やした効果を調べやすくしています。
もともと裕福な家庭と貧しい家庭を比べるのではなく、経済的に厳しい家庭への支援を増やすと何が起きるかを試したのです。
その上で、研究チームは、子どもたちが約4歳になった時点の唾液を採取し、735人分の試料から、DNAに付いた化学的な目印を調べました。
DNAの「目印」が、なぜ老い方を教えるのか
DNAは、身体をつくり、働かせるための情報が並んだ設計図にたとえられます。
ただし、同じ設計図を持っていても、その情報がいつ、どのくらい使われるかは変わります。
たとえば私たちの体にはDNAに目印をつけて、設計図が勝手に使用されないように抑え込む仕組みが存在します。
DNAの文字列そのものを書き換えず、遺伝子の働き方を調整する変化を「エピジェネティックな変化」と呼びます。
その一つが、DNAに「メチル基」という小さな化学的な目印を付けるDNAメチル化です。
目印の付き方は、発達や生活環境などによって変わります。
また近年の研究によって、DNAのメチル化は老化と共に進行する特徴的なパターンがあることもみえてきました。
今回使われた「DunedinPACE」という指標は、成人を26歳から45歳まで追跡した別の研究をもとに作られました。
その研究では、肺や腎臓などの働きに関わる19の指標を繰り返し測り、体の機能がどれくらいの速さで変化するかを調べています。
そして、その変化の速さを、血液のDNAメチル化パターンから推定できるようにしました。
ほぼ同じ年齢の人たちを追っているため、単に年上と年下を見分ける方法とは異なります。
また成人では、指標の値が高い人ほど病気や死亡のリスクが高いことも、別の集団で確かめられています。
いわば、「体が何歳か」を示す年齢計というより、「老化がどれくらいの速さで進んでいるか」を推定する速度計です。
家計への支援が、子供の身体に残した差
では、家計への支援を増やすと、この「速度計」はどう変わったのでしょうか。
毎月333ドルを受け取った家庭の子どもでは、20ドルの家庭の子どもよりDunedinPACEの値が低く、老化がゆっくり進む方向への差が見られました。
差の大きさは「0.17標準偏差」で、子どもたちの個人差に比べれば小さいものの、統計的に有意な値でした。
共著者のテキサス大学オースティン校のキャスリン・ペイジ・ハーデン氏は、4歳ですでに生物学的な老化の違いが見られる点を、印象的だと述べています。
この実験では、現金給付に特別な栄養介入や心理的な支援を組み合わせたわけではありません。
経済的な支援だけでも、幼い体の生物学的な指標に影響が届いた点が重要です。
ただ今回の研究では、お金がどのような暮らしの変化を通じてDNAの目印に作用したのかまでは明らかにされていません。
それでも、今回の結果は、家計と子どもの体の関係を眺めるだけの研究から一歩進んでいます。
実際に現金を給付することで、老化に関わるDNAの指標を動かせることが示されたからです。
研究チームは、もし変化が持続すれば、幼少期の経済的支援が将来の健康格差を小さくする手がかりになると考えています。
赤ちゃんの時期からの社会的な支援が、子どもたちの将来にどれだけ残るのかが、次の焦点になります。
元論文
Effects of a randomized controlled trial of unconditional cash transfers on epigenetic measures of ageing and cognition in children and mothers
https://doi.org/10.1038/s41562-026-02568-4
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部