「雨乞い」の後に本当に雨が降りやすくなっていた理由が判明――祈りは効かない。だが当たる
米国のイェール大学(Yale University)などで行われた研究によって、237年分の教会と市の記録を分析したところ、雨乞いの祈りのあとに雨が降る確率が、ほぼ倍に跳ね上がっていたことが明らかになりました。
研究では、この背後に隠れていた仕組みが地域による「雨のクセ」という確率の偏りにある、と研究チームは解釈しています。
実際「雨が降らない日が長引くほど、次の雨が近づいてくる」という雨のクセを持つ地域の人々は「雨乞い」をする確率が47%高いという関連が示されました。
研究者も「なぜこのような信仰が一部の地域にはあり、他の地域にはないのか、その理由を説得力のある形で説明できる」と述べています。
研究内容の詳細は2026年5月11日に『Quarterly Journal of Economics』にて発表されました。
目次
- 雨乞いは分が悪い賭けのはずだった
- 祈ったあと、雨のペースが「ほぼ倍」になっていた
- 賢い司祭は、一人もいらなかった
- そして、あなたの雨乞い
雨乞いは分が悪い賭けのはずだった
雨乞いは、人類の歴史の中で何度も現れました。
作物が枯れ、井戸が細り、家畜が弱っていくとき、人々は空に向かって祈りました。
しかし、雨乞いには大きな弱点があります。
それは、答え合わせがすぐ来てしまうことです。
魂の救済や死後の世界をめぐる信仰なら、結果を日付つきで確認することはできません。
けれど雨乞いは神や信仰など宗教的な要素も抱えつつ、実際の結果を求められるシビアさがついて回ります。
実際、祈ったあとに雨が降れば、「効いた」と見なされますが、降らなければ、「効かなかった」と見なされてしまいます。
最悪の場合、怒った人々によって、神の祠そのものが壊されることさえありました。
世界には様々な「天に向けての祈り」があるなかで「雨乞い」ほど分が悪いものはないでしょう。
「人間には制御できない事象について、人間が結果責任を負う」というコンセプト自体、成り立ちようがないはずだからです。
紀元前3世紀の中国の思想家・荀子もこう書き残しています。
「雨乞いをして雨が降ったからといって、何の意味もない。雨乞いをせずに雨が降るのと、同じことだ」
にもかかわらず、なぜ「雨乞い」は滅びなかったのでしょうか?
答えを得るため研究者たちはまず世界各地に住む1208の民族集団と彼らの住む土地の「雨のクセ」に着目しました。
すると、その中に3つのパターンが浮かび上がってきました。
1つ目は「確率が変わらない土地」でした。5日晴れが続こうが、50日続こうが、翌日の降雨確率はほとんど変わらない土地です。
2つ目は「降水確率が下がっていく土地」でした。雨が降った直後ほど次の雨も近く、乾きが続くほど雨はむしろ遠くなるタイプでした。
3つ目は、乾きが長引いた末に、降水確率がふたたび上がってくる土地でした。このような土地では、干ばつが長続きするとき、最後に雨が降ってから時間がたつほど、翌日に雨が降る確率が上がっていきます。
この3タイプのうち「上がっていく土地」に目をつけると雨乞いが当たる仕組みが見えてきます。
「上がっていく土地」では「十分に長く干ばつが続いた状態」というのは、雨が降る確率が高くなっていることに他ならないからです。
このような土地では、人々が「もう雨が必要だ」と感じて祈りを始める時期と、自然の側で「そろそろ雨が近い」時期が重なります。
すると、人々から見れば祈ったあとに雨が降り「祈りが届いた」ように見えてきます。
実際、研究チームはこの「上がっていく土地」の集団は、そうでない集団に比べて、雨乞いをする確率が47%高くなっていることを突き止めました。
つまり雨乞いは、祈りが雨を呼んだから生き残ったのではありません。
もともと当たりやすい土地でだけ、生き残ったのです。
祈ったあと、雨のペースが「ほぼ倍」になっていた
雨乞いは「雨のクセ」だとして、実証するにはテストが必要です。
そこで研究者たちは、記録がずば抜けて濃く残っているスペイン南東部の街・ムルシアの記録を調べました。
この街では、教会が雨を求めて祈った日付が、1600年から1836年までの237年分、日単位で残っています。
しかも都合のよいことに、雨が降った記録のほうは、教会とはまったく別の役所である市参事会の議事録に残っていました。
祈った側と、雨を数えた側が、別々なのです。
しかも市参事会の議事録は当時、公開されるものではなく、教会に忖度する必要性も薄いものでした。
研究チームはこの二つを突き合わせ、祈りのあとに本当に雨が降ったのかを一日ずつ照合していきました。
すると、この街で大雨が記録される平均的なペースを「1」とすると、教会が雨を求めて祈った、そのあとの1か月間だけは、その値が「1.93」にまで上がっていました。
平均の約1.93倍——ほぼ倍のペースで、大雨が降っていたのです。
ただしこれは、季節の影響をまだ差し引いていない、生の数字です。
「暦を見て、雨季の直前に祈っていただけでは?」と思うかもしれませんが、それだけではありませんでした。
研究者たちが、10月なら10月どうし、11月なら11月どうしと、同じ季節の日だけを取り出して比べてみたところ、それでも祈ってから1か月以内の日は、雨のペースが「1.71倍」に上がっていたのです。
上乗せ分でいえば93%増から71%増へと22ポイント下がりますが、それでも効果の大半は残ったままでした。
季節を差し引いても、祈りは雨を言い当てていたのです。
この結果だけを見ると、教会には天気についての知識を蓄え、さらに統計学と確率論に通じたプロがいたに違いないと思うでしょう。
しかし研究者たちは、そのような賢者の存在は必要ないといいます。
まず第一に、スペインのムルシアは、先の3パターンの土地のうち「上がっていく土地」でした。
そのため干ばつで人々が嘆き始め教会に歎願がくる頃に祈る段階では既に、雨の確率が高くなっていたのです。
第二に、ムルシアの祈願は、単発の「お願い」ではありませんでした。
干ばつが深刻になるほど祈りの数や強度が増し、ミサ、行列、聖遺物や聖像を伴う儀式などへ進むことがありました。
同じ研究チームが2022年に発表した別の論文(Ecology and Society誌)でも、ムルシアの雨乞いは、最も単純なレベル1から、複数の行列や畑の祝福を含むレベル4、それらが同時に重なるレベル5まで、5段階に分類されています。
このレベルは、干ばつの強さと長さによって決まるとされています。
つまりスペインの司祭たちの雨乞いは
①雨不足や干ばつを受けて始まり
②祈りが通じないと段階的に強まり
③雨が降って成功が宣言されるまで続く
という方式をとっていたのです。
興味深いことに、似た構造は、世界各地の雨乞いにも見られました。
研究者たちが北米南東部の先住民チェロキー、ナミビアの牧畜民、イランの村人たち、スペイン南東部の街の人々、などさまざまな地域の人々の雨乞いの形態を調べてみると、儀式方法こそ違うものの、祈りの手順に注目すると、次の3点が共通していると研究チームは整理しています。
1つ目は「干ばつが長く続いている」こと。
2つ目は「失敗すると強化が起こる」こと。
3つ目は「雨が降るまで繰り返す」こと。
これはスペインの雨乞いと一致するものです。
同様の一致は、6世紀・隋の時代に書かれた雨乞いの手引きにも記されていました。
「第4の月(今の5月から6月ごろ)より後に干ばつなら、雨を祈れ。……7日たって降らなければ、最初からやり直せ。三度の手順を経てなお降らなければ、土地の神々に祈れ。」
中国北部では、本格的な夏の雨季の前にあたり、春から初夏の雨不足が問題化しやすい時期です。
この手引きもまた、「干ばつを待つ」「繰り返す」「祈る神々を増やす(エスカレート)」という3点を備えていたわけです。
ここまでくると「高確率イベント」のときに当たりが出るまで回し続けるガチャと同じ香りがしてきます。
ただこの場合、いつが「高確率」なのかを知っている必要がありそうにも思えてきます。
雨乞いで言えば「干ばつが長引くまで祈りを待つと雨が直近に振る時期と一致しやすい」などの知識です。
昔で言えば、そのような知識を持つのは賢者だけでしょう。
しかし研究者たちは、論文のモデル上は、賢者を仮定しなくても、世代をまたぐ選別だけで説明できるというのです。
賢い司祭は、一人もいらなかった
ここで多くの人は、こう考えるはずです。
「長い歴史の中で、誰かが気づいたのだろう」と。
何十年も空を見ていれば、「乾きが長引いたあとには雨が来やすい」と勘づく司祭がいてもおかしくありません。
その勘の良い司祭が、後輩に教える。教えられた後輩が、また後輩に教える。
そうやって雨乞いのマニュアルは磨かれていった——そう考えるのが自然です。
ところが研究チームは、モデル上はそんな賢者は一人もいなくていい、と言います。
考え方の骨組みは、生き物の進化とよく似ています。
生き物は、自分の体を設計しません。少しずつ違う個体が生まれ、たまたま環境に合っていた個体が多く子を残し、その形が次の世代に受け継がれる。
これを繰り返すだけで、まるで誰かが設計したかのように、環境にぴったり合った形ができあがります。
論文が雨乞いに持ち込んだのは、これとよく似た理屈でした。
世代ごとに、新しい宗教指導者が現れます。
このモデルでは、彼らは戦略家ではありません。天気の知識もありません。
ただ、それぞれバラバラのタイミングで祈るだけです。
ところが、この「バラバラ」によって、人々の反応がまるで変わってきます。
早すぎる祈りはそもそも外れやすいですし、遅すぎる祈りは雨に先を越されてしまいます。
ですがその中間だと、雨への需要が高まり、しかも自然の側でも雨の確率が上がっています。
このタイミングで祈った指導者は、「祈ったら雨が降った」という経験を生みやすく、支持を集めやすくなります。
すると、支持を多く集めた指導者だけが生き残り、集められなかった指導者は次の世代で取って代わられていきます。
残った祈り方が、その世代の「やり方」になります。
次の世代でも、また同じことが起こります。
誰も改良していません。ただ、支持されなかった祈り方が消えていくだけです。
論文のシミュレーションでは、このような選別が世代をまたぐと、残る祈りの開始時期が最適点の周りに集まっていく様子が示されています。
モデルの中で50世代を回すと、祈りの開始時期の分布がかなり狭くなる、という図も示されています。
誰も詳しい知識を持たずとも、雨乞いのマニュアルは、ちょうどいいタイミングへと磨かれていくのです。
これはある意味で「誰の頭の中にもない知恵」と言えるものです。
もちろん、長い歴史の中には、本当に賢者と言える司祭がいたかもしれません。
しかしどちらの道をたどったにせよ、祈りが雨の近い時期に寄っていくという結論は変わりません。
分が悪い賭けであるはずの雨乞いが生き残ったのは、当たりやすい時期がある地域で儀礼が支持され、雨を予測しやすい始めどきが文化の中に残ったからだ——研究チームは、そう考えています。
そして、あなたの雨乞い
この話は、雨で終わりません。
論文の著者であるエスピン=サンチェス氏は、同じ仕組みが、雨以外のことにも当てはまるかもしれない、と考えています。
たとえば、病気です。
風邪を引いたときのことを思い出してみます。
風邪は、たいてい一週間ほどで治ります。
では、明日治る確率は、いつでも同じでしょうか。
違います。
引きはじめの1日目に「明日には治っているだろうか」と考えても、可能性は低いでしょう。
ところが5日目、6日目となると、話が変わります。
もう治りかけです。明日治る確率は、ぐんと上がっています。
——これは、どこかで見た形です。
そう、ムルシアの雨と同じです。
風邪の治り方にも、あの「雨のクセ」とそっくりのクセがあるのです。
腰痛も、落ち込んだ気分も、治るものはどれも同じです。
そして人は、つらさがピークに達したとき、何かをします。
サプリを飲む。整体に行く。験を担ぐ。
1日目には、何もしませんが5日目、6日目になって、さすがに耐えかねたときに、ようやく何かをするのです。
そして、その翌日、あるいは翌々日に良くなったとしたら、「あれが効いた」と思い込んでしまいます。
エスピン=サンチェス氏はこの点について「十分に複雑であるため、自然に治るとは到底思えない。しかし十分に単純であるため、何かをすれば病気を治しているように見える」と述べています。
放っておいても治ると思えるほど単純けれど、何をしても治らないほど深刻でもない。
その中間にある困りごとには、雨乞いと同じ構造が生まれるという意味です。
もしかしたら、あなたの中にもそういった「雨乞い」がたくさん存在するのかもしれません。
元論文
Praying for Rain
https://doi.org/10.1093/qje/qjag026
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部