生きてない部品から「食べて・育って・分裂する」人工細胞が作られた ―― でも『生命ではない』
生命って、作れるものなのでしょうか。
私たちはふつう、生き物は「生まれる」ものだと思っています。
犬は犬から、花は花の種から。細菌ですら、もとの細菌が分裂して生まれます。
地球上のあらゆる生命は、約40億年前にどこかで誕生した最初の細胞から、一度も途切れることなく続いてきた連鎖の末裔です。
ではもし、この連鎖を一度断ち切ってしまったらどうなるでしょうか?
生き物の体をバラバラの部品に解体して、どの一つをとってももう”生きて”はいない分子の状態にします。
DNA、細胞膜、タンパク質、RNAなど……もともと生命を構成していたものを部品としてバラバラにしたり、精製した生体由来の部品や、人間が人工合成したDNAなどを、試験管の中で一から組み直すとしたら、そこから何かが動き出すことは、あるのでしょうか?
アメリカのミネソタ大学(UMN)で行われた研究によって、精製した分子部品や合成したDNAなど、生きた細胞ではない部品を脂肪の膜に詰めて組み上げた人造の「細胞もどき」が、栄養を取り込み、体を大きくし、自分のDNAをコピーし、細胞分裂も行うことが示されました。
さらに研究では、これらの人工細胞を2種類用意して競争させることで、「有利なものが勝つ」という自然選択のような結果を記録することもできました。
食べる。育つ。増える。競う。
これだけ並べれば、誰だって「生き物だ」と言いたくなります。
研究を率いたケイト・アダマラ氏は「生命の最も基本的な機能には、神秘的な魔法のひらめきは必要ないことを証明しています」と述べています。
研究チームが「スパッドセル」と名づけたこの小さな塊は、生き物なのか、それともただの化学物質の集まりに過ぎないのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年7月2日にプレプリントサーバー『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- これまで、誰も越えられなかった壁
- 人工的に作られた細胞が「食べて、育って、増える」
- 人工細胞は、生存競争まで始めた
- それでも、作った本人は「これは生命ではない」と言う
これまで、誰も越えられなかった壁
生き物を一から作る——これは合成生物学者たちが、数十年ものあいだ夢見てきた目標でした。
そのやり方は、大きく二つの道に分かれていました。
一つは「削る」道です。
もともと生きている細菌から、要らない遺伝子をどんどん取り除いていき、「生きるのに、これだけは絶対に必要」という部品だけを残していく方法です。
2016年には、ある細菌の設計図を473個の遺伝子まで削り込んだ研究が話題になりました。ぎりぎりまで削り込めば、生命を保つのに最低限必要なものだけが残るはずだ——そういう引き算のアプローチです。
でも、この道には、もどかしい弱点があります。
出発点が「すでに生きている細胞」なので、なぜそれが生きているのか、その仕組みが完全にはわからないままなのです。
実際、極限まで削って残した遺伝子の3分の1近くは、いまだに「何をしているのか不明」でした。
そこで一部の研究者は、まったく逆のアプローチに挑みます。
生きている細菌を出発点にするのではなく、生命のない部品を生物学的な技術を駆使してゼロから組み上げて「細胞のようなもの」を作ろう、というボトムアップの発想です。
設計図がないのではなく、自分たちで設計図を書きながら組み立てるのです。
DNA、細胞膜、タンパク質、RNAなど、生命を構成するために必要な要素を人間側が事前に部品ごとにストックしておき、最後に細胞膜を模した袋の中に詰め込んでしまう方法です。
ところが、この方法には長いあいだ立ちはだかる壁がありました。
「タンパク質を作る」「DNAをコピーする」といった個々の部品を袋に入れて生命っぽいことをさせるのは、比較的簡単でした。
でも、多種多様な部品をまとめて袋に詰めて「食べ・成長し・DNAを複製し・細胞分裂して・増殖し・環境からの選択を受ける」という、高度な生命の真似事をさせるのは困難でした。
ある機能に最適な条件と、別の機能に最適な条件が、食い違ってしまうからです。
ソロ演奏が得意な音楽家を集めただけでは、生命というオーケストラを点火させられないのと似ていたのです。
部品は揃っていたのに、それらが協力して「細胞らしいふるまい」を生み出すことは、なかなか実現しませんでした。
ただし、ボトムアップには一つの強みがあります。
入れた部品がすべてわかっているぶん、何が何とぶつかり合っているかも見えやすくなります。
そして原因が見えるなら、条件を一つずつ擦り合わせていくことができるはずです。
今回のチームは、試行錯誤を重ね、その強みを武器に壁へ挑みました。
人工的に作られた細胞が「食べて、育って、増える」
食べて・育って・DNAを複製して・分裂して増える――そんな人工細胞を創るために、研究者たちはまず、DNA・タンパク質・RNAなどの各種の部品を溶液に混ぜ込みました。これらの部品は試行錯誤の上に、大腸菌などの生き物やウイルスからとってきた部品で、それ自体はもう生きているとは言えない状態にありました。
さらに細胞にとって助けとなる化学合成されたさまざまな分子を加え、最後に細胞膜にそっくりな膜を作る脂質分子(脂肪に似た分子)を加えました。
すると、しばらくして、混ぜ込んだ部品や溶液がシャボン玉のような膜の中に包まれた状態になりました。
こうして無数の袋が作られると、そのごく一部に、運よく必要な部品をすべて揃えたものが現れます。
たとえばある幸運な膜の中には、「必要なDNA情報と、DNAを複製する酵素、DNAからタンパク質を作るための分子キット、十分な栄養分子、加えて膜の表面に飛び出て口の役割をするタンパク質のための設計図」など、研究者たちが望むすべてが含まれていました。
そして、このような幸運条件を達成したものは、興味深い動きをみせるようになります。
まず、この小さな塊は食べます。
スパッドセルは自分の表面に小さな突起を突き出しており、これは、いわば”餌をつかむ取っ手”、つまり口のように働きます。
その周囲には研究者が用意した重要部品が詰まった別の小さな袋(餌)が漂っていて、その表面には取っ手とかみ合う”相手”がついています。
取っ手が相手をつかむと、二つの袋はぐっと引き寄せられ、やがて融合します。餌とひとつになることで、細胞は中の材料をまるごと取り込み、体を大きくしていくのです。
まるで、通りすがりのお弁当と合体して、中身を吸収してしまうようなものです。
大きな部品は、こうして袋ごと受け取っていきます。
いっぽう、高エネルギー分子やアミノ酸のような小さな栄養は、わざわざ融合しなくても、膜にある穴を通って自然に出入りするものを利用します。
そして食事が終わると、この小さな塊の体は大きくなります。そして内側では、DNAの複製が始まります。
ここまでは順調です。ですが、次に来るのが長年の難問でした。
本物の細胞は、内側に張り巡らせた”骨組み”(細胞骨格)をぎゅっと締め上げることで、自分の体を2つに割ります。
しかしスパッドセルには、この骨組みがありません。
では、どうするか?
チームは、自然の仕組みを真似ることをあきらめました。代わりに選んだのは、意外なほど単純な方法です。
まず、細胞の丸い膜の表面に、小さなタンパク質を、外側からびっしりと貼りつけていきます。
最初はまばらだったのが、だんだん数を増し、やがて表面は分子ですし詰めになっていきます。
すると、混みあった分子たちが、その圧力から逃れようとして、混み合いを解消しようとする力が膜表面にかかりはじめます。
その力に押されて、細胞膜の一部が、混み合いを逃すように外へぷくりとふくらみ(出芽し)はじめるのです。
そして膨らみが大きくなると、根元がくびれ——やがて、ぷつりとちぎれて小さな泡になりました。これがこの人工細胞の分裂方法です。
しかも見事なのは、この分裂の足場になる、膜に並ぶ”目印”のタンパク質が、膜内にあるDNAの設計図をもとに作られているという点です。
分裂の引き金を引く相手役のタンパク質だけは外から加えますが、その相手をつかむ足場となる目印は、DNAの設計図から作られている。その点で、この分裂は生物らしいと言えるでしょう。
食べることも、成長することも、複製することも、分裂することも、その”入口”となる仕組みが、細胞内の「設計図」にはじめから書き込まれているわけです。
人工細胞は、生存競争まで始めた
食べて、育って、分裂する。それだけでも十分に生き物じみています。
けれど研究チームは、さらにもう一歩、生命の核心に踏み込みました。生き物どうしの「競争」を、この小さな塊にやらせてみたのです。
まず、少しだけ体質の違う二種類のスパッドセルを用意しました。
先に述べたようにスパッドセルは、餌の袋にくっつくための”取っ手”を、自分の表面に突き出していました。
研究チームは、この取っ手をふつうより多く作れる個体を用意します。
取っ手が多ければ、それだけ餌をつかまえやすい。
つまり「よく食べる体質」です。
そこで研究者たちは「ふつうの個体」と「よく食べる体質」の個体を、ちょうど半分ずつ混ぜ合わせました。
すると世代を重ねるうちに、答えははっきりしてきました。
本物の生命のように、よく食べる体質のほうが、じわじわと数を増やしていったのです。
両者の違いは「食べるのが得意かどうか」だけ。
その一点の差が、残せる子の数の差に、まっすぐ結びついたわけです。
有利な性質を持つものが、より多くの子孫を残していく。
これは、生き物の世界で「選択」と呼ばれる現象——進化の入り口にあたる仕組みそのものです。
それが、脂の膜でできた人工の塊のあいだにも、ひとりでに立ち上がりました。
しかも、この「よく食べる側が勝つ」という結果は、条件を変えた複数の実験で、そろって確かめられました。
ここまでは、餌がたっぷりある状況での話です。
研究チームは次に、意地悪な問いを立てました。
餌を減らしていったら、勝敗はもっとくっきりするのか、それとも曖昧になるのか——。
結果は、少し残酷なものでした。
餌が有り余っていれば、食べるのが遅い個体にも、食べ残しが回ってきます。
ところが餌が乏しくなると、話は一変します。
速い個体が先に食べ尽くしてしまい、遅い個体のぶんは、もう残っていません。
餌をいちばん厳しく絞った条件では、その差は決定的で、早く食べれるほうが、さらに有利になるという結果が得られました。
もともとは、ほんのわずかな「食べる速さ」の違いにすぎません。
それが、食糧難という圧力のもとで、生き残る数の大きな差へと増幅されていきました。
研究チームは、この光景を、ある身もふたもないことわざになぞらえています。
曰く、「危機のときほど、富める者がより富む」。
食べ物が乏しくなるほど、持てる者と持たざる者の差は開いていく——私たちの社会でよく語られる、あの非情な法則。
それが、意思も欲望も持たない、たった数十個の分子を詰めた袋の集団のなかに、化学と物理の力だけで、ひとりでに現れたのです。
それでも、作った本人は「これは生命ではない」と言う
食べて、育って、分裂して、競争して、有利な性質が広がっていく。ここまで来れば、もう生き物だと言ってしまいたくなります。
しかし、この研究を率いたケイト・アダマラ氏自身は、慎重な立場を崩していません。
さきほどの競争では、有利なほうが優勢になるという、自然淘汰の一場面のような結果がみられました。
けれど、あの「よく食べる体質」は、研究者が外から入れたものでした。
自然に湧いて出たわけではありません。
そのため、自然な遺伝子変異によるダーウィン的な意味での「進化」とは、趣が異なります。
これは「選択」の実演ではあっても、生物史における「進化」の実演とは言えないのです。
他にも違いがあります。
天然の細胞では、分裂のたびに、ほぼすべての娘細胞が遺伝子のフルセットを受け取ります。
しかしスパッドセルには、遺伝子を均等に分ける装置がありません。
どの娘にどのDNAが入るかは、ほとんど運任せとなっています。
そのため細胞分割を機械的に行っても、5世代後に完全な遺伝情報を保っていた細胞は、全体のわずか約3割でした。
分裂のペースも、今回の実験では1サイクルにつきおよそ12時間。
条件がよければ30分で分裂する大腸菌に比べると、ずっとゆっくりです。
そしてもうひとつ、より根本的な限界があります。
通常の生命細胞の中には、DNAの設計情報にしたがって、体の材料(タンパク質)を組み立てる工場があります。
リボソームと呼ばれるこの工場を、スパッドセルはまだ自力で作ることができません。
そして、これはただの入れ忘れではありません。
リボソームは、RNA(rRNA)と多数のタンパク質が組み上がった、途方もなく精巧な分子機械です。
かりに作り方を書き込んだとしても、いまのスパッドセルには、リボソームの複雑な部品を正しく組み上げる仕組みが足りません。
(※じつは、リボソームを一から組み上げること自体、つい最近になって別の研究がようやく試験管の中で成功させたばかりの難関です。)
だから今回の研究では、「エサ袋」の中にリボソームを詰め込み、スパッドセルが取り込むときに補給する手段がとられたのです。
DNAの情報を体の材料に変換する工場を自前で作れないというのは、生命として自立しているとは言い難い状態です。
実際、細胞として自律的に増える生き物にとって、リボソームは欠かせない中核装置です。
だから研究者たちはスパッドセルはまだ生命ではない——少なくとも、そう呼ぶにはまだ大きな壁があると考えています。
けれど——外の助けなしに増えていける生き物など、そもそも存在するのでしょうか。
寄生生物や共生生物の中には、エネルギー生産や増殖のかなりの部分を宿主に依存しているものも知られています。
完全に自立した生命など、じつはどこにも見当たらないのです。
そんな中で、「リボソーム本体の設計情報を持っているかどうか」という一点が、生命と非生命を分ける完璧な境界線になるのでしょうか?
研究者たちは、自分たちの作ったものを、ライト兄弟の最初の飛行機にたとえ「現代の細胞が最新鋭のジェット旅客機だとしたら、私たちが作ったのは、翼をつけた自転車のフレームで、30メートル飛んだようなもの」と述べています。
「ゼロから生命に近い細胞を作る」というのは、まだよちよち歩きの技術であるのは確かです。
それでも、この不格好な水滴は、食べて、育って、分かれて、競い合うという、私たちが「生命だけの特権」だと思っていた営みの多くを、模倣してみせました。
そう考えると、スパッドセルと本物の生き物のあいだにあるものは、くっきりした「一線」ではなく、もっとあいまいな「濃淡」に見えてきます。
外への依存が濃いか、薄いか。自分でまかなえる部分が、多いか、少ないか。
その度合いが少しずつ違うだけで、どこかに明確な境界線が引かれているわけではないのかもしれません。
シャーレの中の小さな塊は、まだ生命とは呼べないでしょうが、それを見つめる私たちの側で、「生きているとは、どういうことなのか」という問いを突き付けるものになるでしょう。
もし将来的に、完全に人工的に作られた材料を混ぜて作られた人工細胞が、普通の細胞となんらそん色ないものとなったら――さらにその技術が受精卵や胚にも及んだとしたら、私たちは生命の境界として「自然かどうか」を使い続けることはできるのでしょうか?
境界の向こうに、いつか「生命」が生まれるのか。
それとも——その境界線こそ、私たちが自分で引いた幻だったと気づく日が、来るのか。
私たちはいつか直面しなければならないでしょう。
参考文献
World’s first synthetic cell with a complete life cycle could revolutionize biological engineering
https://twin-cities.umn.edu/news-events/worlds-first-synthetic-cell-complete-life-cycle-could-revolutionize-biological
元論文
A Chemically Defined Synthetic Cell Capable Of Growth And Replication
https://doi.org/10.64898/2026.07.01.735724
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部