魚のタンパク質で「マウスに脳編集」を行うと「社交的で活発」になると判明
アメリカのデューク大学 (Duke)で行われた研究により、マウスの脳の特定の場所に新しい「人工的な配線」を増設したたところ、ある実験では見知らぬ仲間に積極的に近づき、初めての場所を好奇心いっぱいに動き回るようになることが示されました。
また別の配線を強化すると、逆さに吊るされるストレス実験にさらされても変化が起こりにくくなることが示されました。
脳内に人工的な電気的バイパスを作り、行動パターンを変えてしまうというとSFの技術が達成された結果です。
もし人間にも応用できれば、さまざまな精神疾患の治療にも役立つかもしれません。
研究内容の詳細は2026年5月13日付の科学誌『Nature』にて「工学的に作られた電気シナプスを用いた脳回路の長期編集(Long-term editing of brain circuits using an engineered electrical synapse)」とのタイトルで発表されました。
目次
- 脳の中の「2種類の橋」 — 化学シナプスと電気シナプス
- 魚のタンパク質でマウス脳の配線を操作する
- 脳編集でマウスがまるで『陽キャ』のようになりストレス反応も変わった
- 脳編集はゲノム編集と同じくらい重いテーマになる
脳の中の「2種類の橋」 — 化学シナプスと電気シナプス
人間の脳には、約860億個と見積もられることが多い神経細胞(ニューロン)が、ぎっしりと詰まっています。
これらの細胞は、お互いに信号をやり取りすることで、私たちが「見る」「考える」「感じる」といった働きを生み出しています。
このとき、信号の受け渡し場所にあたる場所のことを「シナプス」と呼びます。
実はこのシナプス、2種類あることが分かっています。
ひとつめは化学シナプスで、いわば郵便配達のような仕組みです。
送り手側の細胞が「神経伝達物質」と呼ばれる小さな分子を作って、隣の細胞に向けて放り投げ、受け手側の細胞がそれを受け取ります。
哺乳類の脳ではこの方式が主役であり、中学校の教科書に書かれているシナプスもこのタイプのものです。
ふたつめが、今回のお話の主役となる電気シナプスです。
こちらは郵便配達ではありません。
隣同士の細胞が接触している場所に短いトンネルが通っていて、その中をイオン(電気を帯びた小さな粒)がそのまま流れていくというものです。
細胞同士がチクワのような筒を出し合ってキスをして、お互いの内部のイオンを直接やり取りしているような、極めて直結度の高い信号伝達です。
哺乳類の脳のシナプスは、圧倒的多数が化学シナプスで占められています。
ただ電気シナプスは数の上では少数派なものの、大脳皮質、海馬、視床、網膜など脳の多くの領域に分布しており、特に複数の細胞が一斉に同じリズムで動く必要がある場面で、欠かせない役割を果たしています。
しかし、このような「直結型」の通路を人工的に作るのは、長年とても困難でした。
細い導線を細胞に貫通させて刺せば良さそうですが、実はそれでは上手くいきません。
導線の中を通るのは電子ですが、電気シナプスのトンネルの中を通るのはナトリウムやカリウムなどのイオンで、それらの通過が電気的な信号となります。
「電子でもイオンでも電荷が流れるならなんでもいい」というほど、私たちの神経はガバガバではないのです。
そしてこの仕組みを機能させるには、細胞を結ぶチクワ状のトンネルを作らなければなりません。
トンネルを開通させるには、こちら側のチクワだけでなく、向こう側の細胞にも同じチクワ構造があり、両者が密着する必要があります。
片側だけを無理矢理差し込めれば話は早いのですが、それを許せば、本来繋がるべきでない細胞にもどんどんトンネルが開通してしまう。
だからこそ、両側にチクワが揃って初めて成立する、という慎重な設計になっているのです。
生物の体内では、このチクワはコネキシンというタンパク質を組み合わせて作られています。
問題はここからです。
多くのコネキシンは、同じ種類同士でもくっ付く性質があります。
隣接する細胞をスムーズに繋ぐにはこれで十分なのですが、研究者がやりたいのは「ここの細胞と、ここの細胞だけを繋ぎたい」というピンポイント接続です。
過去には、線虫のような単純な生物でこのピンポイント接続に成功した事例があります。
線虫の脳にはコネキシンを作る遺伝子そのものが備わっていないため、外から持ち込んだコネキシンが他のコネキシンと混線する心配がなかったのです。
ところがマウスの脳ではそうはいきません。
神経細胞は約7100万個もあり、線虫の23万倍。
しかも哺乳類の脳には、もともと21種類ものコネキシンが存在し、あちこちで電気シナプスを作っています。
ここに外から新しいコネキシンを足すと、「自分同士で勝手にくっつく」だけでなく「もとからある哺乳類自身のコネキシンとも勝手にくっつく」という、二重の干渉が起きてしまうのです。
研究を率いたカフイ・ジラサ博士は、こう振り返っています。
「神経科学は数十年にわたり、特定の細胞間のコミュニケーションを正確に制御できるツールを欠いていました」
同じ種類の細胞がそこら中に並んでいる脳の中で、ピンポイントで狙った2つだけを繋ぐ。
これが、長年解けないままになっていた難問でした。
魚のタンパク質でマウス脳の配線を操作する
どうすれば狙った細胞同士の間に電気シナプスを作れるのか?
彼らはこう考えました。
「同じ部品同士が勝手にくっつくのが問題なら、決まった相方とだけカチッと噛み合う特殊な部品ペアを、自分たちで設計してしまえばいい」
工学的にたとえるなら、専用のオスとメスのコネクターのような関係です。
オス同士もメス同士もくっつかない、でもオスとメスを近づけるとカチッと嵌まる。
しかも哺乳類の脳に元々あるコネキシンとも互換性がないので、勝手に繋がる心配もない。
そんな部品ペアさえ作れれば、片方を細胞Aに、もう片方を細胞Bに送り込んでおくだけで、AとBが接触している場所だけにトンネルができる。
狙い撃ちが実現するわけです。
そして研究チームが目をつけた意外な相手が、北米の川や湖に住むホワイトパーチ(学名Morone americana、北米にすむスズキ目モロネ科の魚)でした。
ホワイトパーチが体内に持つ二種類のコネキシン(電気の通路を作るタンパク質)は、もともと天然の状態で異種同士でドッキングする性質を持っており、まさに研究者が探していたひな型だったのです。
ただし、魚から取り出したそのままでは、マウスの脳に元々あるコネキシンと勝手にくっついてしまいます。
そこで研究チームは、この二種類の部品の設計を細かく書き換え、「相方とだけくっつき、自分同士でも哺乳類自身の部品ともくっつかない」ペアを作り出しました。
仕組みの正体は意外なほどシンプルで、プラスとマイナスの電気的な引き合いでした。
改造を加えた一方の部品は結合面を「プラス側」に、もう一方は「マイナス側」に振ってあります。
プラス同士もマイナス同士も反発するので、自分同士ではくっつきません。
けれども両者を近づければ、プラスとマイナスが強く引き合ってしっかり噛み合うのです。
研究チームは、このシステム全体を LinCx(リンクス) と名付けました。
ここから先はいよいよ、この人工の部品ペアを実際に脳に入れたら何が起きたのか、本題に入ります。
脳編集でマウスがまるで『陽キャ』のようになりストレス反応も変わった
・まずは線虫で予行演習
研究チームはいきなりマウスで本番に挑むのではなく、まず線虫(体長わずか1ミリの小さな生き物)で予行演習をしました。
線虫には、ちょっと可愛らしい習性があります。
温度の好みです。
15℃で育てられた線虫は、その後18〜22℃の温度勾配のある場所に置かれると、自分が育った温度に近い「冷たい方」へ移動していきます。
覚えた温度を好きになる、という学習行動です。
ところが、温度を感じる神経細胞とその情報を受け取る神経細胞のあいだに人工の電気シナプスを増設したところ、線虫は本来好むはずの冷たい方ではなく、逆に暖かい方へ移動するようになったのです。
たった一本の新しい配線を足しただけで、経験で覚えた好みが、外科的にも薬でもなく、配線の付け足しだけで書き換えられた瞬間でした。
予行演習は成功です。
研究者たちは次にマウスでの試験にとりかかりました。
・マウスの「微小な回路」を編集すると、社会性に変化が現れた
マウスの前頭前皮質(おでこの奥にある、考えごとを担当する脳の場所)には、二種類の細胞が組み合わさった小さな回路があります。
アクセル役(興奮性ニューロン) とブレーキ役(PV陽性介在ニューロン) です。
アクセル役が活動を盛り上げ、ブレーキ役がそれを抑える。
この二人三脚が、脳のリズムを作っています。
研究チームは、主にアクセル役側にCx34.7(プラス側)、ブレーキ役側にCx35(マイナス側)を発現させ、この2種類の細胞が接触している場所だけに人工の電気シナプスを増設しました。
結果は鮮やかでした。
脳内の電気的なリズムを測ると、アクセル役とブレーキ役のリズムの同期(息の合い方)が強まっていました。
1〜4ミリ秒という短い時間スケールで、二つの細胞の発火が揃って観察されるペアが増えたのです。
そして、ここからが本当に興味深いところで、マウスの行動そのものに変化が現れました。
LinCxを入れたマウスは、他のマウスを好む傾向が強まりました。
見知らぬ仲間がいる方の部屋により長く滞在し、対象に近づくようになったのです。
さらに新しい環境に置かれたとき、より活発に探索するようになりました。
一見すると「新しもの好きな陽キャになった」ような変化と言えます。
「社会性」や「好奇心」というのは、私たちが普段「その個体らしさ」と呼ぶようなものに近い概念です。
それが、脳の中の二種類の細胞の息を合わせるという、本当に局所的な手入れだけで変わりました。
脳全体を薬で揺さぶったわけでも、強い電気刺激を当てたわけでもありません。
たった二種類の細胞のあいだの会話を少し強めただけで、行動レベルの変化が観察できたのです。
・離れた脳領域を結ぶ「長距離回路」でも効果が
次に研究チームは、前頭前皮質と視床という、脳の中で離れた2つの領域を結ぶ長距離回路にも同じ手法を適用しました。
前頭前皮質の細胞からは、もともと視床まで届く長い「腕」(軸索)が伸びています。
通常、このような長距離の接続は「化学シナプス」で行われます。
ここでは教科書に描かれているシナプスのように、化学物質が「こちら側からあちら側」に向けて放出されることで情報が伝わります。
研究チームは、この長距離ケーブルの最後の部分に、新しい電気シナプスを増設してみました。
化学物質でしか通信をしていなかった接続部分に無理矢理直結トンネルを開通させ、長距離神経接続の『最後のひと噛』を人工的に強化したわけです。
次に研究者たちは強化済みのマウスたちの尾を持って逆さに吊るす、尾懸垂試験というストレス実験を行いました。
吊るされたマウスは最初、逃れようと動きますが、やがて動かなくなっていきます。
そして翌日、もう一度同じ目に遭わせると、今度は1回目より早く動きを止めるようになります。
逃れられない状況に繰り返しさらされたことで、行動パターンが変化するのです。
マウスが何を思っているか厳密にはわかりませんが、このテストはストレス反応を調べる指標として使われます。
ところが、LinCxで前頭前皮質と視床のあいだの通信を強化したマウスでは、反復試験で不動時間が増える変化が見られませんでした。
わかりやすく言えば、2日目になっても、1日目と同じくらい動き続けていたのです。
「脳の接続強化でガッツが増えた」という解釈もできなくはないですが、実際はもっと不気味です。
通常、ストレスを受けると動物の脳は状況に応じて、脳の配線の繋がりを強めたり弱めたりします。
その結果、行動パターンも変化します。
「何度試しても逃れられないのなら、エネルギーを節約しよう」という動物として理にかなった結果です。
そして実は研究者たちが操作した長距離回路は、ストレスにさらされると、「ストレスに飲まれないように」配線の繋がりを強くするストレスに対抗する回路であることが知られていました。
ですがLinCxを入れたマウスでは、そのストレスに対抗する装置が常にオンになった状態だったため、ストレス体験を重ねても変化が起きにくかった、というわけです。
つまり「脳の接続強化でガッツが増えた」のではなく、「脳の接続強化で、ストレスに対抗する反応が起きにくい状態になっていた」という解釈の方が近いのでしょう。
論文の中で、ジラサ博士たちはこの一連の結果について、興味深い洞察を述べています。
今回の研究で接続が強化された部位は「ピンポイント操作」という目的を達成したこともあり、狙った細胞タイプ同士の界面に絞られた局所的なものでした。
しかし、その接続のささやかな変化がマウスの行動パターンそのものを変えてしまうことが判明しました。
著者らはこれを「小さな生理学的変化が、神経系の階層を上るにつれて拡大していく現象」と表現しました。
接続のささやかな変化が、回路レベルでは少し大きく、ネットワークレベルではもっと大きく、社会的選好、探索行動、ストレス関連行動といった目に見える変化にまで増幅された、ということです。
研究者たちはこの現象は今後さらに掘り下げる価値のあるテーマだとしています。
脳編集はゲノム編集と同じくらい重いテーマになる
これまでも、脳の特定の細胞を活性化したり抑えたりする技術はありました。
代表的なのが、光や薬を使って細胞のスイッチを入れる手法です。
しかしそれらは細胞のスイッチを入れるという既存の回線を使うものでした。
ですがLinCxは直結する電気シナプスの配線そのものを新たに追加する非常に精密な操作を可能にしました。
また長距離の接続では、遠くまで伸びた神経線維の先端部に新たな電気シナプスを増設し、その接続を強化することも実現しました。
そしてこれらの操作はどちらも哺乳類であるマウスの行動パターンに変化を起こしたことが示されました。
また既存の操作と比べて外部からの刺激が必要ないという点も大きな違いです。
光遺伝学は光を当てている間だけ作動する「外部スイッチ」で、薬を使う方法も同じく薬を投与している間だけ働きます。
これに対しLinCxは、一度導入してしまえば、ずっと働き続ける常設の配線になり得ます。
外部からスイッチを押し続ける必要がない。
配線そのものが、その動物の脳の一部として組み込まれていく。
これがLinCxの本質的な強みです。
ただ現段階では「脳の配線を増設して誰でも社交的になれる技術が完成した」と言うレベルではありません。
ジラサ博士自身も「ヒトの脳編集はまだ遠い道のりで、倫理的問題もある」と述べています。
脳の配線を人工的に変えてしまう脳編集は、ゲノム編集と同じく、倫理的な議論を慎重に重ねながら進めていく必要があるテーマです。
またマウスで成功した技術が人間に即座に当てはまる保証もありません。
それでも狙った2種類の細胞のあいだに新しい電気シナプスを増設しただけで、動物の行動が変わり、社会的選好、探索行動、ストレス関連行動といった「その個体らしさ」のような部分を変化させられたという結果は、今後の神経科学技術において非常に重大です。
ジラサ博士は次のステップをこう語っています。
「次に、LinCxが、生涯にわたる遺伝子異常によって引き起こされるシナプス機能障害を克服するのに十分な力を持っているかどうかを検証する予定です」
治療目的で用いられるのならば、脳編集もゲノム編集と同じように人類にとっても有用となるでしょう。
魚のタンパク質から始まったこの配線増設のアイデアは、生まれつきの神経疾患や精神疾患の治療の景色を、いつか変えていくのかもしれません。
元論文
Long-term editing of brain circuits using an engineered electrical synapse
https://doi.org/10.1038/s41586-026-10501-y
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部