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夜、空を見上げると、星々はきれいに散らばり、どこまでも平らな布のように広がっているように見えます。
望遠鏡を向ければ、銀河どうしがつくる泡状の巨大構造や、天の川のなめらかな帯まで、じつに秩序正しく並んでいることがわかります。
──では、なぜ宇宙はここまで「平坦で、滑らかで、しかも広い」のでしょうか。
この謎に答えるため、現代の宇宙論は長らく「標準宇宙論モデル」と呼ばれる設計図を採用してきました。
そこでは、ビッグバンで火ぶたを切った宇宙が、誕生直後にインフレーションと呼ばれる超高速の“瞬間膨張”を起こし、さらに現在は正体不明のダークエネルギーによって再び加速している──という三段構えのシナリオが描かれています。
(※宇宙背景放射(CMB)を根拠にしたビッグバンよりインフレーションのほうが早かったという解説もあり得ますが、ここではビッグバン=全ての始まりとなる高密度の点とし、全てがそこから始まったとします)
この従来型の標準宇宙論モデル(ビッグバン+インフレーション+ダークエネルギー)は、宇宙の歴史や大規模構造を非常に良く説明しています。
しかしこのモデルには、いくつか解決されていない根本的な問題があります。
第一に、ビッグバン理論は宇宙の始まりを無限の密度の一点(特異点)に置きますが、そのような特異点では密度が無限大となり、一般相対性理論が適用できないため、従来の理論では説明が困難となっています。
つまり宇宙を物理的に説明するはずの標準宇宙論が、物理的にあり得ない状態を始点にするという皮肉な状態に陥っているのです。
この点においてポーツマス大学のエンリケ・ガスタニャーガ教授も「ビッグバンモデルでは宇宙の始まりを無限の密度の点から始めており、その点では物理法則が崩壊してしまいます。これは宇宙の始まりを我々が十分理解できていないことを示す深刻な理論上の課題です」と指摘しています。
また、宇宙初期の急激な膨張を説明するためにインフレーションという仮説を導入し、現在の加速膨張にはダークエネルギーという成分を想定してきました。
しかしこれらは直接観測されたことがなく、「なぜ宇宙はこのように始まったのか」「なぜ非常に平坦で滑らかで広大なのか」といった基本的な疑問も依然残されたままでした。
つまり標準宇宙論モデルを成立させるためには「存在したらいいな…」という推測上の要素を取り入れざりを得ないわけです。
極論すれば、現代の標準宇宙論モデルは物理学的にあり得ない始点(ビッグバン)を想定するだけでなく推測上の存在でしかない要素(ダークエネルギーなど)を取り入れることによって、成り立っていると言えるでしょう。
こうした課題に対し、今回の研究チームは発想を転換し「外側ではなく内側から」宇宙の始まりを考察しました。
つまり、この宇宙が出現する前にはある種のブラックホールのような存在があり、その内部の過度に密度の高い物質の塊が重力で崩壊し「そして反発するように爆発したから現代の宇宙が誕生したのでは?」という視点から問題に取り組んだのです。
宇宙の始まりを『外から眺める』のではなく、“ブラックホールの内側で起きること”を手がかりに内側から解く──という研究チームの発想は上手く機能したのでしょうか?
ブラックホールは星の重力崩壊で生まれますが、その内側(事象の地平面の奥)を一般相対性理論で追うと、必ず密度無限大の特異点で行き止まりになります。
しかしこれは「量子効果は無視できる」という前提付きの結論です。
なぜ特異点では量子効果が無視されることが前提なのか?
特異点定理が「量子効果は気にしなくていい」と豪語できたのは、証明の舞台を“シルクのように滑らかな時空”に限定したからです。そこではエネルギーも運動量も、あたかも連続体の水流のように振る舞うと仮定し、光の束の収束具合やエネルギー条件を粘り強く追い詰めれば、論理はまっすぐ“行き止まり=特異点”に突き当たります。
けれども特異点に近づくにつれて曲率が発散し(時空の曲げ具合が限界なく急カーブになり、紙を一点に折りたたむと無限に尖るようなイメージ)、曲率半径がプランク長より小さくなる頃には量子重力が無視できなくなる、と広く考えられています。
(※プランク長は、物理学で「これより小さい長さを測ろうとすると、もはや現在の理論(一般相対性理論と量子力学)が同時に成り立たなくなる」と考えられている“極限のものさし”でおおよそ1.6×10⁻³⁵メートルとされています。)
にもかかわらず定理は「その極小世界でも滑らかな布地モデルが通用する」と前提して組み立てられているため、量子の揺らぎやパウリの“席取りゲーム”といった離散的・非局所的な効果は数式から最初から締め出されるのです。要するに「量子効果は取るに足らない」のではなく、「量子効果を計算に載せる術がなかったクラシカルな枠組みで勝負した」ゆえに無視せざるを得なかったのです。
──そこへ今回のモデルは量子排他圧という現代的な“圧力”を持ち込み、行き止まりと思われていた特異点の標識をあっさり引っこ抜いてみせた、というわけです。
そこでチームは、極限密度では量子力学が主役に躍り出るはずだとして、電子や中性子などフェルミ粒子が同じ状態に二つ入れないという「パウリの排他原理」を組み込み、重力崩壊を数式レベルで再構築しました。
すると、この量子重力ハイブリッドモデルを解析した結果、驚くべき解が得られます。
圧縮される物質雲は無限密度に達する前に“量子のバネ”で反発し、バウンス(跳ね返り)を起こして外向きの膨張へ転じることが理論的に示されたのです。
言い換えれば、量子力学のパウリの排他原理(同種の粒子を無限に押し込めることはできないという原理)によって、崩壊する物質の圧縮がどこかで止まり、重力崩壊が逆転するのです。
しかも研究チームの解析によれば、正の空間曲率(k>0)と量子排他原理が満たされた条件下では、このバウンスが理論的に避けられないことが示されました。
(※このとき量子排他圧は、一般相対性理論で想定される“強エネルギー条件”を破ります。その結果、古典的な特異点定理(ペンローズ=ホーキング)が前提とする条件が崩れ、特異点を回避できる道が開かれるのです)
研究者たちは「我々は重力崩壊が必ずしも特異点で終わる必要はないことを示しました。崩壊した物質の雲が高密度状態に達した後に反発して跳ね返り、新たな膨張段階へ移行できることを発見したのです」と説明しています。
重要な点は、この跳ね返り(バウンス)の現象が一般相対論の枠内で、なおかつ量子力学の基本原理だけで説明できるということです。
すなわち、特殊な仮説上のエネルギー場や高次元空間など未知の物理を導入せずとも、現在確立している物理法則の範囲内で宇宙の始まりを再現できるといいます。
そして驚くべきことに、このバウンスによって生まれた宇宙は我々の宇宙とよく似た性質を持ち、さらに二段階の加速膨張が自然に実現されることが分かりました。
(※ここで言う2段階は①ビッグバン直後の超高速インフレーション期と②現在進行中のダークエネルギーによる加速膨張期のことです。)
つまり最初の急膨張(インフレーション)といま進行中の加速をどちらも同じ量子反発メカニズムとして自然に導いたのです。
これらは従来、全く別々の要因(インフレーション用の仮想的なエネルギー場と、宇宙定数的なダークエネルギー)で説明されてきましたが、本モデルでは跳ね返りそのものの物理によって両方が統一的に説明されています。
研究者たちも「跳ね返りによって生じた反動が宇宙に急膨張の段階をもたらし、しかもそれは仮定上の未知の場によるのではなく、バウンスそのものの物理によることが分かりました」と強調しています。
また研究チームは「今回得られた解により、バウンスが起こるのは単に可能なだけでなく、正の空間曲率と量子排他原理という必要条件が揃えば避けられない現象であることを示せました」と述べ、宇宙のバウンスが理論上必然的に起こり得ることを指摘しました。
この新モデルによって、従来のビッグバン宇宙論が抱えていた特異点問題(物理法則が適用できない始まりの点)に一つの解決策が提示されました。
また、インフレーションやダークエネルギーを説明するために新たな未知の場を導入しなくても、既知の物理法則だけで観測事実を再現できる道筋が示された点も大きな意義です。
さらにこのモデルは、初期宇宙の他の謎—例えばなぜ短時間で超大質量ブラックホールが形成されたのか、ダークマターの正体は何か、銀河はどのように階層的に成長したのか—といった問題にも新たな光を当てる可能性があると研究者らは述べています。
実際、本モデルでは、バウンス後の初期宇宙に残されたブラックホールなどの「遺物」が、ダークマターや銀河形成の起源に関連する可能性を指摘しています。
興味深いことに、この仮説は単なる理論的な思考実験に留まりません。
検証可能な予測を伴っている点で科学的なテストに耐えうるとされています。
例えば本モデルでは、我々の宇宙が完全に平坦ではなく、球面のようにごく緩く丸まっていること(わずかな正の曲率を持つこと:数値では Ω k が負側)を予測しています。
このわずかな宇宙の曲率は、将来の宇宙観測プロジェクトで検証可能です。
欧州宇宙機関(ESA)のエウクリッド(Euclid)宇宙望遠鏡による高精度観測でもし宇宙がわずかに閉じた形(正の曲率)であることが確認されれば、このバウンス宇宙モデルを強く支持する証拠となるでしょう。
さらに本モデルが導き出す現在の宇宙膨張率は、観測されているハッブル定数の範囲と矛盾しないことが示されています。
研究者たちは、欧州宇宙機関の新しい観測計画ARRAKIHSにも言及し、この衛星に搭載される広視野望遠鏡で銀河の外縁部にある極めて淡い構造を探ることで、本モデルを検証する手がかりが得られる可能性があると述べています。
銀河の周辺構造の観測は暗黒物質の分布や銀河進化の理解に不可欠であり、バウンス宇宙モデルで予言される初期の遺物天体の存在を裏付ける証拠が見つかるかもしれません。
もしこの「ブラックホール宇宙」モデルが正しければ、私たちの宇宙全体が一つのブラックホールの内部にあるという驚くべき図式が浮かび上がります。
つまり、我々の宇宙は上位の「親宇宙」で重力崩壊した巨大星(もしくは物質塊)がブラックホールとなり、その内部で生まれた一つの世界だというのです。
これはまるで、かつて人類が「地球は宇宙の中心ではなかった」と認識を改めたコペルニクス的転回になぞらえられます。
私たちの宇宙は決して特別な“唯一の存在”ではなく、より大きな宇宙サイクル(循環)の一部なのかもしれません。
研究者は「我々は無から万物が生み出される瞬間を目撃しているのではなく、むしろ重力と量子力学が形作る宇宙のサイクルの継続を目にしているのです」と述べています。
ビッグバンに代わるこの新たな仮説は、宇宙の起源と運命について私たちの視野を広げ、これからの観測や研究によってその真偽が明らかにされていくでしょう。
元論文
Gravitational bounce from the quantum exclusion principle
https://doi.org/10.1103/PhysRevD.111.103537
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部