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しかも、この卵門を通じた精子侵入の仕組みは異なる種の間でも共通して保存されている可能性が指摘されています。
この発見は、哺乳類と魚類という進化的に大きく隔たった生物間で、受精の初期段階に共通のメカニズムが存在することを示唆するものです。
研究者たちは「精子と卵が交わす“合図”の一端が種を超えて共有されているのかもしれない」と考えており、受精の謎を解き明かす新たな手がかりとして注目されています。
この小さな扉を開ける鍵となる“合図”の正体とは何なのでしょうか?
研究内容の詳細は 2025 年 05 月 15 日に『eLife』にて発表されました。
目次
受精という仕組みが地球で芽生えたのは、およそ12~14億年前の海でした。
初期には配偶子と呼ばれていたものたちは次第に大きさに差が付き始め、やがて7~9億年前になると遺伝子を運ぶ“動くパッケージ”と、栄養をたっぷり蓄えた“ゆりかご”へと役割が分かれて、そしてべん毛で泳いで卵を目指す小さな「精子」に、栄養豊富で動かない配偶子はやがて「卵子」になりました。
意外なことにこの最初の精子と卵子の仕組みを獲得したのは、ボルボックスのような植物の一種だったことが知られています。
(※ボルボックスは完全な多細胞植物ではなく、細胞が数十から数百が緩く集まったコロニー型だったと考えられています。)
一方、動物では今からおよそ6~7億年前に、独立に“精子らしきもの”を生み出したと考えられています。
つまり精子‐卵子のペアは動物と植物の系統で独立して誕生し、それぞれが独自に改良を重ねてきました。
こうして精子というアイデアが定着すると、生殖相手との距離はぐっと広がり、遺伝子をシャッフルする効率が一気に向上しました。
淡水へ進出したコケやシダの祖先は雨や露の薄い水膜を利用して精子を走らせ、陸に上がった昆虫や爬虫類、哺乳類は水に頼らない内部受精を発明します。
こうして精子は“水泳選手”から“宅配便”へと用途を拡大し、ほぼすべての動物門で標準装備になりました。
しかし精子が自由に泳ぎ回れるようになると、卵子は種外の精子まで招き入れてしまう危険にさらされます。
そこで動物たちの卵に「門番」が誕生しました。
たとえば魚の卵殻には卵門(ミクロパイル)という一点突破口だけが残され、「ここからしか入れません」と制限をかけます。
例えば太平洋ニシンの研究では、海水中に放出された精子はほとんど動かず漂っていますが、卵の卵門付近に近づいた瞬間に活発に動き出すことが報告されています。
ゼブラフィッシュなど多くの魚でも、水に触れた時点で精子は活性化しますが、卵門近傍では運動がさらに活発化することが知られており、卵門周辺には精子を引き寄せる何らかの仕組みが存在すると考えられます。
つまり魚の卵門は唯一の門であるだけでなく、そこまでたどり着いた精子を元気にする因子が存在する可能性が示されています。
一方、陸に上がった哺乳類の卵は透明帯と呼ばれる糖タンパク質の厚い膜で守られ、「合わない鍵は溶かせません」と精子をふるいにかけ、鍵と鍵穴のように対応するタンパク質を持つ者だけが、次の世代へ進めるわけです。
精子も、マウスでは粘度の高い体液を長時間泳ぎ抜けるタフな尾を振り続け、ゼブラフィッシュではわずか数十秒で勝負を決める“一発屋”として一気に活性化するなど、性格も装備も対照的です。
このように、哺乳類と魚類の間で受精の方式は異なりますが、いずれも卵の周囲の構造(透明帯や卵膜)が「種の壁」として機能し、種の異なる精子が容易に卵に侵入できないようになっています。
実際、一般には哺乳類の精子が魚類の卵を受精させることは不可能だと考えられます。
しかしそれでも両者の精子には未だ共通点を完全には失っていません。
どちらの精子もカルシウムイオンの合図でスイッチが入り、どちらの卵も化学物質で「ここだよ」と呼び寄せる性質があり、どちらの精子頭部にも IZUMO1と呼ばれるタンパク質が存在します。
このように哺乳類と魚類は違いは深いのに根っこは驚くほど同じという、奇妙なアンバランスが存在します。
そこで今回、タルサ大学などの研究者たちは、哺乳類の精子は魚類の卵門を認識できるのかを調べることにしました。
もしできるとすれば、それは受精の過程にどんな共通点があることを意味するのでしょうか。?
哺乳類の精子は魚類の精子の玄関口を突破できるのか?
謎を解明するため研究チームは実験皿に用意したゼブラフィッシュの卵に、温度や培養液を調整したマウスの精子を加え、顕微鏡下でその挙動を観察しました。
すると予想どおり、マウス精子は魚の卵膜そのものには結合できませんでした。
しかし、しばらくすると精子の一部がゼブラフィッシュ卵の卵門がある極部に集まっていくのが確認されました。
精子は卵門の周辺にとどまるだけでなく、その小さな開口部に次々と進入し、卵膜の内部空間(卵膜下空間)にまで入り込んだのです。
マウス精子が魚の卵の門を物理的に通過しうることが示された瞬間でした。
この結果に、研究チームは大きな驚きを持って受け止めました。
第一著者のスマ・ガリボバ氏は「マウスの精子がゼブラフィッシュの卵門をくぐり抜ける瞬間を目の当たりにしたときは、信じられない思いでした」と振り返っています。
また実験では、マウス精子がゼブラフィッシュ卵に到達してから卵門に侵入するまで、およそ数十秒程度という短時間であることも示されました。
(※平均値は到達まで 48 ± 10 秒、侵入まで 24 ± 7 秒でした)
では、マウス精子はどのようにして魚の卵門を「探し当てた」のでしょうか。
その手がかりとして研究者たちは、卵門周辺に存在するとされる精子誘引物質に注目しました。
ゼブラフィッシュの卵膜表面を特定のレクチン(WGA-633)で染色する実験により、卵門の位置に糖タンパク質由来の物質が集まっていることが確認されました。
そこで卵膜のその物質を酵素(トリプシン)処理で除去すると、ゼブラフィッシュ由来の精子だけでなくマウス精子も卵門周囲にほとんど集まらなくなったのです。
つまり、マウス精子が魚の卵門を認識し近づくには、卵門部位に存在する何らかの誘引因子(研究では仮に「MP」と呼称)が必要であることが示唆されました。
さらに詳しく解析するため、研究チームはこの誘引因子が作り出す濃度勾配と精子の位置との関係を調べました。
その結果、卵膜上で卵門に向かうほど当該物質の濃度が高くなり、実際にマウス精子の数も卵門に近づくほど増加していることが確認されました。
これは、卵門の誘引因子が精子を卵門へ導く化学的な道しるべ(キモアトラクト)として機能している可能性を強く示すものです。
また、マウス精子が卵門を通過した後の挙動についても重要な発見がありました。
魚類の精子には存在しない先体(アクロソーム)という酵素の詰まった「帽子」がマウス精子の頭部にはありますが、この先体が放出される先体反応は本来、哺乳類の精子が卵子と出会ったときに起こる現象です。
研究チームが先体部分に赤い蛍光標識(mCherry)を持つトランスジェニック・マウスの精子を使って観察したところ、ゼブラフィッシュ卵門を通過して卵膜内に入ったマウス精子の多くは先体が未反応のまま残っていることがわかりました。
つまり、魚の卵の環境ではマウス精子の先体反応が十分に起こらず、精子は酵素を放出しないまま内部に存在していたのです。
この理由は定かではありませんが、ゼブラフィッシュの卵は元来アクロソームを持たない精子に対応した仕組みを進化させてきたため、マウス精子に先体反応を促すシグナルを与えられない可能性があります。
事実、今回マウス精子は卵膜内空間に進入したものの、卵そのもの(卵細胞)との融合・受精には至りませんでした。
この点は「種の壁」の厳しさを示すものですが、逆に言えば卵門を通過するまでのプロセスについては種を超えて共通する部分があることが示されたといえます。
さらに注目すべきことに、マウス精子が魚の卵門を通過するにはCatSper(キャットスパー)と呼ばれる精子固有のカルシウムイオン・チャネルが不可欠であることも判明しました。
CatSperは精子のべん毛の活動性(ハイパーアクティベーションと呼ばれる力強い運動)を制御するタンパク質で、受精に重要な役割を果たします。
研究チームがCatSper1遺伝子を欠損した変異マウス(CatSper1 Nullマウス)の精子を用いて同じ実験を行ったところ、これらの精子はゼブラフィッシュの卵門にほとんど近寄らず、通過することもできませんでした。
つまり、精子が魚の卵門を見つけ侵入するためにはCatSperチャネルによる鞭毛運動の活性化が必要であり、その機能なしには種を超えた相互作用も起こらないことが示されたのです。
マウス精子が魚の卵門を通過した今回の実験結果は、一見すると奇抜に思えますが、受精という生命現象の普遍的なメカニズムを考える上で重要な示唆を与えています。
魚類と哺乳類は進化の系統樹で数億年も前に枝分かれした全く別の生物群ですが、その精子と卵が出会う仕組みに一部共通点がある可能性が浮かび上がったからです。
とりわけ、ゼブラフィッシュの卵門周辺に存在する謎の誘引因子「MP」をマウス精子も認識できたことは、精子側に種を超えて共通する受容体やシグナル経路が存在することを示唆します。
マテオ・アヴェラ博士(米国タルサ大学)は「この研究は、異なる種の間でも精子と卵が共通の“言語”で対話している可能性を示しています」と指摘します。
また「今後、魚類の卵門で精子を導く因子の正体を明らかにし、哺乳類にも対応するような類似の仕組みが存在するか調べる計画です」とも述べています。
実際、研究チームはMPの正体となる分子の解明や、マウスにそれに相当する遺伝子がないかの探索、さらに精子側の受容体候補の特定など、後続の研究課題に取り組む方針とのことです。
今回の成果は、種を越えた受精実験というユニークなアプローチから、新たな知見を引き出した点でも評価されています。
異種間での精子–卵相互作用を調べることで、通常の同種内では見過ごされていた重要なステップや因子を炙り出すことができるからです。
実験ではマウス精子が魚の卵門を通過したものの受精には至らなかったことから、受精の最終段階には強い種特異性が働く一方で、その手前の段階には普遍的な仕組みが潜んでいる可能性があります。
研究者たちはこのプラットフォームを活用して受精の新たなステップを解明し、将来的には不妊治療や生殖医療への応用につながる知見も得られるかもしれないと期待しています。
今回明らかになった「種の壁を越えた精子の旅路」は、私たちに受精の本質と進化の妙を改めて考えさせる契機となるでしょう。
元論文
Cross-species insemination reveals mouse sperm ability to enter and cross the fish micropyle
https://doi.org/10.7554/eLife.106303.1
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部