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似たような事例で、中国語(特に北京語や広東語)のような複雑なピッチパターンで異なる意味を表現する言語では、ASD児童は使用に困難を抱える可能性が示唆されています。中国語には1声〜4声( mā・má・mǎ・mà)のような明確なピッチパターンの違いがありますが、ASD児童はこれを区別することは出来ても抑揚のニュアンスを“意図”として読み取ることが苦手であり、これが会話のズレを生みやすくしているといいます。
この結果は、ASD児が方言を理解・使用しにくい理由として、言葉の意味や文脈に関する理解だけでなく、抑揚や語調といった音声の特徴そのものを聞き分けたり、適切に使い分けたりする能力にも困難がある可能性を示すものです。
多くの方言は語尾のイントネーションや微妙な抑揚の違いに意味が込められており、こうした感覚的な言語使用にASD児が困難を感じている可能性があるのです。
この2つの研究は、方言使用に関するASDの特性を、それぞれ異なる角度から掘り下げています。
また、ASD児が共通語に親しみやすい理由として「テレビやネットを通じて触れる言語が共通語である」点も無視できないと考えられます。ASD児童は、一方向的で繰り返し確認ができるメディアやネットの情報を好む傾向があります。そのため、自然に方言を使わず共通語のみを話すようになる可能性も否定できないのです。
ここまでの話は、ASD児童は方言を使わない傾向があるというものでしたが、逆にある年齢を境に方言を使わなかったASDの人が、地元の方言を話すようになったという事例も確認されるようになりました。
そこで2019年に、弘前大学の松本敏治教授と菊地一文氏はこの問題について新たな研究を実施しています。
この研究では、8歳から23歳のASDと診断された5名を対象とし、それぞれが方言を使用し始めた年齢と、その前後に見られた対人スキルの発達状況を、55項目からなる質問票を用いて分析しました。
その結果、5名すべてにおいて、方言使用の開始とほぼ同時期に、意図理解・会話力・模倣・共同注意といった社会的認知スキルの発達が起きていたとわかったのです。
特に方言を使い始めた時期の前後で、これらのスキルが集中的に獲得・発達していたことが確認され、研究ではこの点を「方言の使用が、単に言語形式の問題ではなく、対人スキルの発達と深く関わっている可能性」を示す証拠としています。
また、当人たちに行った自由記述のアンケートでは、方言使用のきっかけとして、「クラスメイトとの関係の変化」「集団活動への参加」「信頼できる他者との関係の構築」など、当人が安心して他者と関わることができるようになった環境の変化が影響しているという報告が多く見られました。
つまり、ASDの子どもたちが方言を話し始めるには、対人スキルの発達と、それを促すような環境条件の両方が関わっていたのです。
こうした事例を見ていくと、私たちが普段は意識することのない、言語の意味や役割が見えてきます。
方言は単なる地域ごとの訛りや言い回しのクセだと認識している人は多いでしょう。
しかし、ASDの児童が、方言で話すことを避けるという現象や、信頼して話せる相手を見つけたり、対人スキルが向上すると方言を使うようになるといった現象は、方言の使用が単に知識や習慣の問題ではなく、社会性の発達や対人関係のあり方と結びついていることを示しています。
今回の研究はASDの人たちに関する報告ですが、コミュニケーションの問題で悩む人達は大勢います。
こうした事例の研究は、私たちが意識していないコミュニケーションの裏に潜む疑問を紐解くのに役立つのかもしれません。
元論文
自閉症スペクトラム障害児・者の方言不使用についての理論的検討
https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/records/2487
自閉症の方言使用に関する事例的検討
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uekusad/11/0/11_5/_article/-char/ja/
Perception of Japanese pitch accent by typically developing children and children with autism spectrum disorders(PDF)
Click to access ShinoharaEtAl2023_ICPhS.pdf
https://y.shinohara.w.waseda.jp/assets/files/ShinoharaEtAl2023_ICPhS.pdf
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部