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ラジャクマールさんをはじめ、世界の“記憶力チャンピオン”と呼ばれる人たちの多くが使っているのが、古代ギリシャからローマ時代にかけて受け継がれた「場所法」――通称「記憶の宮殿」という手法です。
これは、単純に丸暗記をするのではなく、家や通勤路など、自分がよく知っている空間に覚えたい情報を“置く”ようにして記憶するというもの。
イメージで言うと、「頭の中にある家に、一つひとつの情報が入った箱を並べていく」イメージに近いかもしれません。
たとえば、ラジャクマールさんは自分の寝室やキッチン、ベランダなど、日常的にイメージしやすい場所をいくつか設定し、その一つひとつに情報を割り当てるそうです。
もし10個の単語を覚えるなら、2つずつペアを作り、簡単な物語を想像してその場所に配置します。
「玄関に大きなバスケットがあって、そこにリンゴと傘が一緒に入っている」というように、頭の中で“ドラマ”を作るのがポイントです。
2つの単語が組み合わさった印象的な場面を思い浮かべれば、記憶が定着しやすくなるだけでなく、その物語の順番を追うことで、覚えた情報の順序も保ちやすくなります。
場所法が優れている大きな理由は、“空間の記憶”が私たちの脳と深く結びついているからです。
実際、著名な神経科学者であるエレノア・マグワイア氏の研究では、メンタルアスリートの多くが場所法を活用し、その際に脳の海馬(タツノオトシゴにたとえられる形状の部分)が顕著に活動していることがわかっています。
海馬は空間認識と記憶形成の要所とされる領域で、そこを有効に刺激できるのが、この「記憶の宮殿」というわけです。
さらに、この手法の魅力は応用範囲の広さにあります。
膨大な数字や単語を一気に覚えるような競技だけでなく、たとえば英単語を効率的に暗記したい学生さんや、プレゼンのポイントを忘れないようにしたいビジネスパーソンにとっても、大いに使えるテクニックです。
部屋のレイアウトや好きな街の地図、あるいはゲームのステージなど、頭に描きやすい場所ならなんでもOK。
大事なのは、その場所を自分で“しっかりイメージできる”ことと、そこに置く情報を“面白い”もしくは“意外”な形でビジュアル化することです。
たとえば、数字の「3」を“耳の形”として捉えたり、「水」を“波打つ青いカーテン”に置き換えたりするなど、連想を膨らませるのがコツになります。
こうしてできあがった自分専用の「記憶の宮殿」は、使い込むほどに精度が増していきます。
最初は部屋が数か所しかないかもしれませんが、練習を重ねるうちに、何十もの“ステーション”(情報を置くスポット)を自在に扱えるようになるでしょう。
ラジャクマールさんが膨大な数字を驚異的な速さで覚えられるのも、彼がこの宮殿を自在に行き来し、各場所に置いた情報をパズルのように素早くたどっているからです。
“自分の得意な空間”を想像し、そこに覚えたい内容を面白いイメージとして配置する――これが記憶の宮殿の基本です。
そして、その場所を順々に歩くように思い出せば、頭の中で情報をスムーズに呼び起こせます。
単なる魔法のように思われがちですが、その裏には脳の仕組みと長い歴史に裏づけられた確かな理論があるのです。
まるで夢のような技術ですが、私たちも少しずつ練習すれば、日常生活で“忘れ物知らず”になれるかもしれません。
記憶の宮殿は、古くから続く記憶術でありながら、現代の脳科学においてもしっかりとした裏づけがあるとされています。
中でも注目されるのが「海馬」と呼ばれる脳の領域です。
海馬は空間認識や短期記憶、長期記憶への変換などに大きくかかわる重要な部位で、先ほど触れたとおりタツノオトシゴにたとえられる形状を持っています。
私たちが部屋の中を歩き回ったり、街を探索したりするとき、脳の中には「場所細胞(Place cells)」と呼ばれる特別な神経細胞が活発に働きます。
これらの細胞は「自分が今どこにいるのか」「どの方向を向いているのか」といった情報を脳内にマッピングしてくれるのです。
その結果、私たちはスムーズに道を覚えたり、空間の配置を把握したりできます。
この「空間を把握する力」と「情報を覚える力」は深い関係にあります。
先に述べたようにこれまでの研究でも、メンタルアスリート(記憶力大会の常連選手)が場所法を使っている際に海馬が普段以上に活性化している様子が観察されました。
簡単に言うと、脳がもともと持っている“場所を覚える力”を利用し、そこに覚えたい情報を結びつけることで、通常の暗記よりも強力な記憶痕跡が残せるというわけです。
さらに興味深いのは、記憶の宮殿を活用する人々が、ただ思い浮かべるだけで実際に空間を歩くのと同じような脳の活動を示すこと。
私たちの脳は「イメージの世界」と「現実の空間」を意外にも近いメカニズムで処理していることがわかっています。
場所法によって家や道などのイメージをくっきり描くと、脳は“あたかもそこに実際にいるかのように”空間情報を扱おうとするのです。
こうした仕組みを踏まえると、“自分の頭の中にある空間”に情報を配置することが、いかにパワフルな記憶手段であるかが想像しやすいでしょう。
脳科学の最先端研究でも、海馬が記憶の形成と空間認知をつなぐ“架け橋”になっていることが示唆されています。
記憶の宮殿はまさに、この架け橋を最大限に活用した「人類の知恵の結晶」といえるのです。
驚異の記憶力を誇るラジャクマールさんは、誰でも実行できるシンプルなコツをいくつか教えてくれています。
まず最も重要だと強調しているのが「水分補給」。
喉が渇くと集中力が途切れやすく、頭の回転も鈍くなりがちです。
日常的にこまめに水を飲むことで、読むスピードを維持し、考えをクリアに保てるといいます。
実際、プレゼン前や集中作業の前にコップ一杯の水を飲むだけでも、頭がすっきりして能率が上がると感じる人も多いのではないでしょうか。
さらに、ラジャクマールさんは「心の中で音読する」ことの大切さを説いています。
大きな声を出して読まなくても、自分の脳内で“音”をイメージしながら進めると、速読と記憶を両立しやすくなるのです。
一方、口の動きに気を取られてしまうと、せっかくのイメージづくりが妨げられることも。
あくまで「頭の中で声を出す」ことに集中し、情報をどんどん取り込む感覚を養いましょう。
そして、量が多い情報を覚えるときには、「小分けしてストーリー化する」手法が有効です。
たとえば、長い単語リストや数字の並びを、2〜3個ずつまとめて“ちょっとした物語”に変換してみます。
「ネコがキッチンでラーメンを食べている」「本棚の上をテディベアが飛び跳ねている」など、少し突拍子もないくらいのイメージのほうが、脳には強く残りやすいものです。
すでにご存じのとおり、これを「記憶の宮殿」に配置していけば、さらに強固な記憶として結び付いてくれます。
世界のメモリーアスリートたちが共通して語るのは、「誰にでも記憶力を高めるチャンスがある」ということです。
短い訓練時間でも、場所法やイメージ化のコツを身につければ、普段の生活や仕事、学習をずっとラクにこなせるようになるでしょう。
ラジャクマールさん自身は「もっと多くの人にこの技術を広めたい」と、インドでの記憶力トレーニング施設づくりを目標にしているといいます。
私たちも日々のちょっとした暗記やアイデア整理の場面で、記憶の宮殿を活用していけば、忘れ物が減ったり、新しい知識をぐんぐん吸収しやすくなるかもしれません。
記憶力は特別な才能というよりも、“脳の仕組みを上手に使う”ことで、着実に鍛え上げられるスキルなのです。
これから脳科学の研究が進むにつれて、私たちの記憶の可能性はさらに広がっていくでしょう。
日常的な集中力アップから、学習効率の向上、ひいては高齢化社会における認知機能の維持まで――記憶術がもたらす恩恵は多岐にわたります。
「自分の脳力をもっと引き出してみたい」そんな想いを抱く人なら、今日からでも使えるヒントがきっと見つかるはず。
記憶の宮殿という扉を開き、あなたの人生をもっと豊かにする一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
参考文献
Welcome to the Memory League!
https://memoryleague.com/#!/home
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部