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アインシュタインの一般相対性理論によれば、重力は単なる「引っぱる力」ではなく空間と時間そのものをゆがめる存在として描かれます。
私たちが「時間は一定速度で進む」と感じるのは、あくまで日常の経験則にすぎず、実際には重力の強さや運動速度によって時間の進み方が変化することが実験的にも示されてきました。
たとえば地球上では、地表付近よりもわずかに高い場所へ原子時計を置くだけでも、重力の影響が少し弱まるため、時間の流れがほんの少し速まるのです。
では、こうした「重力による空間と時間の歪み」をさらに積極的に利用できれば、過去と未来がつながるような“ループ状の世界線”――つまり、始点と終点が同じ地点・同じ時刻に戻ってくる軌道を作ることは可能なのでしょうか?
一般相対性理論の方程式が示唆する答えは、理論上「イエス」です。
1949年、ゲーデルは一般相対性理論の方程式から、世界線の開始点と終結点が繋がっている閉じた世界線(時間的閉曲線)を可能にする解(ゲーデル解)を発見することに成功しました。
さらにこの発想を発展させ、巨大な質量を筒状にして高速回転させる「ティプラーの円筒」などの概念が提案されました。
これらは、回転による時空のゆがみや引きずりを利用して、未来の地点を過去の世界線に“つなぎ直す”ことで、タイムトラベルを実現できる可能性を理論的に示しています。
この理論では、大質量の物体が高速回転するときに、時空が特に強くねじれ、空間だけでなく“時間”までをも巻き込むように変形する可能性が想定されています。
これはしばしば「フレームドラッギング(frame dragging)」とも呼ばれ、回転体の重力場がまるで“回転する容器が中の液体をかきまぜる”ように、時間と空間の両方を引きずってしまう現象です。
この効果が十分に強くなると、世界線(物体の時空上の道筋)が過去と未来をループ状に結ぶ「閉じた時間的曲線(CTC)」を形成しうるのです。
イメージとしては4次元世界で球体をしていた粘土を棒状に伸ばしていって、リングを作るイメージに近いでしょう。
棒の端と端の部分が結ばれると、時空の始点が終点が重なります。
より具体的に言えば、2000年の1月1日と2020年の1月1日の時空がループしている場合、2019年12月31日の次の日は再び2000年1月1日になってしまうわけです。
このまま時間に沿って進むと同じタイムラインを何度も体験することになります。
そのためループ状で普通に時間に乗って進んでいくだけで、旅行者は過去と未来に何度も出会うことになります。
現実世界では、高速回転するブラックホールの周辺領域などで、このような奇妙な「閉じた時間的曲線(CTC)」が形成されるのではないかと考えられています。
ループする時空が安定すると、その中の歴史は永遠に循環します。
SFではタイムマシンの一部として、かなりの頻度で「回転する部品」が描かれていますが、回転が時空を過去と繋ぐとするのは理論的にも辻褄が合うのです。
もちろん、これを実現させるには負のエネルギーを持つ物質や膨大なエネルギー量など、現実的には極めて困難な条件を要するとされます。
しかし、一般相対性理論の数式の上では、回転する大質量天体や構造物が空間と時間を強引にねじ曲げ、同じ時刻に戻ってしまうループを生成するシナリオは排除されていません。
こうした研究は「通過可能なワームホール」の理論とも結びつき、活発な研究分野となっています。
ただ困ったことに、時間と空間を制御して過去と繋げることができたとしても、別の問題が起こります。
その問題は時空に関する欠点というより、むしろその中身に入っている物体や生命の活動に起因するパラドックスになります。
その代表と言えるのが「祖父殺しのパラドックス」と呼ばれるものです。
「もしこの閉じた時間曲線(CTC)の中で過去に戻って、自分が生まれる前の祖父を殺してしまったら、自分は存在しなくなるはずだ。だが、そもそも存在しないはずの“自分”はいったい誰が過去へ行ったのか?」
これはタイムトラベルを語るうえで、しばしば耳にする有名な思考実験です。
英語では “Grandfather Paradox” と呼ばれ、SFの題材としてはもちろん、哲学や物理学においても「過去へ干渉する」という行為がもたらす論理的矛盾を象徴する代表例として広く知られています。
実際、この発想は非常に刺激的で、私たちの因果律(原因と結果のつながり)に対する理解を根底から揺さぶります。
過去を変えれば未来も変わる、というのは直感的に当たり前のように思えますが、一方で「そもそも過去に戻る」こと自体が矛盾を生む可能性がある——これが祖父殺しのパラドックスの核心です。
タイムトラベルをめぐる物語では、しばしば主人公が過去を修正したり、歴史に介入したりして大騒動を引き起こしますが、現実の物理法則に照らしてみると、こうした「過去改変」が容易に認められるわけではありません。
ゲーデル解をもとに時間と空間については過去とのループを繋げられても、その中身が根本的な因果律に違反するなら、論理的破綻を起こしてしまいます。
こうして、祖父殺しのパラドックスは長らく「解決困難なSF的・哲学的パズル」であり続けました。
しかし、近年は量子力学と熱力学、さらには相対性理論をミックスした研究から、新たな視点でパラドックスに挑もうとする動きが高まっています。
そこで今回、ヴァンダービルト大学の理論物理学者のGavassino氏は「仮にCTC上を実際に旅できる宇宙船があったとしても、量子力学と熱力学が協調して、何らかの形で“矛盾”を回避してくれるのではないか」という仮説を検証することにしました。
ループする世界で「祖父殺しのパラドックス」を回避する方法はあるのでしょうか?
実は、これまでの理論研究によって2つの解決策が提案されています。
1つ目は因果律の破綻を回避する方法で、
2つ目自己「無」矛盾(歴史修正力)によって過去改変を無効化する方法です。
後者の「自己『無』矛盾」では、何らかのメカニズムが働いて過去を変えようとする行為そのものを最終的に無効化します。
極端な例を挙げると、祖父を殺そうと銃の引き金を引いても、確率的介入により弾が発射されないアクシデントが起きたり、祖父に近づこうとするたびに偶然の事故に見舞われて姿を見ることすらできない──という可能性です。
つまり、「過去が変わりそう」な道筋があっても、物理法則がそれを阻んでしまうわけです。
Gavassino氏の新研究では、この「自己『無』矛盾」の可能性を、量子力学・熱力学・相対論という3つの理論を組み合わせて検証しました。
すると、量子力学的には「時間の終点を超えて始点に戻る際、初期状態と同じ量子状態に戻りやすい」ことが示唆されました。
たとえば、ループの最後で事故に遭ってボロボロだったとしても、境目を越えて初日の2000年1月1日にループすると、開始時と同じ状態に“復元”されるイメージです。
また、熱力学的な分析では、旅の前半こそ記憶や測定器のデータが積み重なる(エントロピー増加)ものの、後半では巻き戻りが起こり、ある地点でほぼすべてのエントロピーが初期状態に戻ることが示されました。
そうなると……記憶や情報の蓄積はエントロピー増加と密接に関わっているため、本来は不可逆とされる記憶形成すら後半で“巻き戻し”される可能性があるのです。
実際、Gavassino氏は論文中で、観測者がループ後半に差し掛かるにつれて得た記憶が量子力学的に“消去”されていくシナリオに言及しています。
これはSF的に言えば「過去の自分と会ったはずの記憶すら、最後には消えてしまう」ことを意味します。
もし祖父の殺害に成功していても、旅の後半では殺害の記憶や痕跡、祖父へのダメージなどがエントロピーの減少とともに消えてしまい、さらにリセットがかかると「祖父を殺害しようと出発した時」の状態へ戻り、最終的には「祖父は殺されなかった」という結果のみが残るわけです。
研究では、人間の記憶や行動を量子力学や熱力学の式で簡略化して表現していますが、全体としては非常に強固な結論に至っています。
すなわち、エネルギーレベルの離散化 → エントロピー逆行 → 記憶や痕跡の消去 → 状態リセットという一連のメカニズムを経ることで、祖父殺しなどの因果矛盾が「そもそも起こらない」というのです。
研究者たちはこれらの結果から、ループ全体にわたる歴史修正力(自己無撞着性)と境目でのリセットが「祖父殺しのパラドックス」を回避していると結論づけました。しかし、最も興味深いのは、このリセットの瞬間に潜む謎かもしれません。
ここからは、Gavassino氏の研究で特に印象的な事例として挙げられている「著者のいない本」と「根拠のない記憶」について見ていきます。
どちらも、私たちの“常識”を越えた不思議なイメージを抱かせるものですが、博士の論文によればCTC の世界では決して矛盾しないといいます。いったいなぜ、そんな奇妙な現象が起こりうるのでしょうか?
前章で述べたように、CTC上ではエントロピーがいったん増加してから再び減少し、最後には初期状態へと巻き戻される可能性があります。
言い換えれば、ループのどこかでエントロピーが最小値をとる瞬間が必ず存在するわけです。
この最小エントロピーのイベント周辺では、通常なら「高エントロピー化(不可逆過程)によって生じる秩序の破壊」が起きにくいため、突然、きわめて秩序だった構造が“生成”されることがあり得ると考えられます。
世界からほとんどの記憶やデータが失われてエントロピーが最小値をとった瞬間、秩序だった書物のような情報が瞬間的に出現する条件が現れるわけです。
言い換えれば、通常なら「著者」という原因によって「本」という結果が生まれるはずが、この点では因果関係自体が途切れているために、まるで真空中の量子ゆらぎから粒子が出現するように、熱力学的フラクチュエーションによって、確率的に複雑な情報を持つ存在が出現できるという意味です。
熱力学的フラクチュエーションは、ランダムな揺らぎが発生する現象です。これは、システム内の粒子やエネルギーが偶然的に一時的な状態を作り出す自然の性質に由来します。
このような揺らぎは、特に小さなスケール(例えば分子レベル)で顕著ですが、大規模な系でも統計的に蓄積されることで異常な現象を引き起こす可能性があります。
CTC内では時間がループしているため、このようなフラクチュエーションが「待つ時間」が事実上無限に長くなります。
通常の宇宙では「完璧な紙の山が偶然現れる」のを待つのに膨大な時間がかかりますが、CTCでは時間が循環しているため、統計的に「いつか必ず」その瞬間が訪れることになります。
これを本の例に置き換えると、「一見すると誰も書いていないはずの本」がエントロピーの変化に伴い出現することがあるのです。
これは、物質やエネルギーがランダムに配置を取り直し、偶然的に「本の形状」という秩序だった構造を作り上げるからです。
「過去の因果関係なしに完成度の高い書物や記憶が現れるなんて、論理的矛盾ではないか」と感じる方も多いでしょう。
ところが、量子論的には不確率やゆらぎが存在し、統計的な観点から見れば確率が非常に低いだけでゼロではない現象は無数にありえます。
通常のマクロな世界では天文学的に低確率すぎて観測不可能ですが、CTCのような特殊環境では「短いループ時間での繰り返し」を経ることで、ごく稀な事象が生起してもおかしくないと考えることができます。
これと同じ現象が書物ではなく人間の脳で起きた場合、熱力学的なゆらぎによって偶然に組み合わされた神経細胞が、根拠のない記憶を形成する可能性があります。
“著者がいない本”: エントロピー最低点(あるいは巻き戻り)で因果的プロセスを経ずにモノが出現する
“根拠のない記憶”: 同様に不可逆的に蓄積されるはずの記憶が、一方では巻き戻され、他方では因果的根拠なしに立ち上がる
ここまでくると「あまりにも偶然(確率論的)に頼りすぎでは?」と思う人もいるでしょう。
著者不在の本や理由なき記憶が出現する理屈は、確かに通常世界では起こりにくい極低確率の現象です。
ただ、CTCが存在する空間では、エネルギーレベルの周期的束縛やエントロピー再帰のような独特のメカニズムが働き、通常以上に「低確率事象が繰り返し起きる」環境が整ってしまう可能性があります。
つまり、「偶然一度起きるかどうか」ではなく、周回ごとに同様の不思議な状況が繰り返される構造があるため、“ごく稀な事象”が思わぬ形で顕在化しても不思議ではない――という説明が成り立ちます。
もし、このような“無因生成”シナリオをSF作品に取り入れるならば、登場人物が「誰が書いたのかわからない史書」を発見して混乱したり、「突如として膨大な記憶をもつ謎の人物」が現れ、それが真実かどうか確かめようにも証拠が消えてしまう――といったストーリーが展開できるでしょう。
従来のタイムトラベルSFとは違い、「時を越えて直接的に過去を変える」のではなく、「CTC内で一時的に生じた秩序や記憶が幻のように現れては消える」構図は、ある意味でより不条理な印象を与えます。
しかし、それが量子統計力学と相対論の合わせ技でいえば説明不能でもないというのが、近年の理論研究の面白いところです。
もうひとつ興味深いのは、「CTC 上で年老いた自分が若い自分に会う」ようなSF的シチュエーションの行方です。
先に述べたように、もしCTCで異なる地点・時刻に実体として“別々の自分”が現れるなら、その出会いによるパラドックスが懸念されます。
ところが、新理論の示すところによれば、そもそも記憶や状態が巻き戻されるので、年老いた自分が若い自分と対話するような場面は物理的に持続しないと考えられます。
もし見かけ上は「もうひとりの自分」がそこにいたとしても、実際には“自分の未来”から来たわけではなく、CTC のエントロピー極小点で偶然出現した“別の存在”かもしれません。
それに、その人が本当に未来の自分だと信じる根拠は、ループ終盤でどのみち消えてしまうため、確証も得られません。
因果律の破壊を回避する代償に、全ての記憶は忘れられ、全ての痕跡も消えていくのです。
ここまでの議論を総合すると「CTC が実在し、タイムトラベルが行われたとしても、SF的な過去改変は起こりにくい」という結論に至ります。
むしろ、量子力学・熱力学・相対論が組み合わさることで、「ループを一周するまでにエントロピーや記憶が元に戻る → 結果的にパラドックスが表面化しない→リセット」という形に落ち着きます。
したがって、もし未来に技術が進んで本当にCTCを用いた時間旅行が実現した場合でも、その旅行者は自分が「過去へ行った」というドラマティックな物語を、人に語ることはできないかもしれません。
なぜなら、物語を語る前に、すべての記録や記憶がリセットされる運命にあるからです。
このように、理論上のタイムトラベル像は、エンターテインメントとはまるで違う、 “こぢんまりした世界”で完結してしまうのかもしれません。
SF的なイメージとは違い、「CTC を使ったタイムトラベル=自由に過去改変ができる」という単純な図式は、量子力学や熱力学の枠組みのなかではむしろ否定されるという結論に近づきます。
なぜなら、エネルギー準位の離散化やエントロピーの再帰的減少といった特性が、「過去の書き換え」を実質的に封じ込める仕組みを提供するからです。
こうした見方には、一見すると「せっかくのタイムトラベルが台無しではないか」という物足りなさもあるかもしれません。
しかし、よく考えてみると今回の発見は私たちの時間意識を守る保護機構の発見とも言えるでしょう。
「世界を大きく動かすことができない」という息苦しさを感じさせますが、同時に「宇宙の因果律は守られている」ことの証明でもあります。
CTC(閉じた時間的曲線)がもたらすインパクトは、祖父殺しパラドックスの解消にとどまりません。
現代物理学においては、CTC を通じて「因果律」「時間の矢」「量子重力」などの最も根源的なテーマを問い直す動きが進められています。
ここでは、理論面と観測面の両側から、いま研究者たちが何を探り、どこを目指しているのかを俯瞰してみましょう。
一方では「空間と時間の構造(重力)」を扱う一般相対性理論、他方では「ミクロな粒子レベルの挙動」を扱う量子論——この二大理論の統合は、現代物理学最大の未解決問題のひとつとして知られています。
時間そのものを幾何学とみなす相対論的アプローチと、確率的・不確定性に満ちた量子力学がどのように組み合わさるのかは、まだ理論的な枠組みが完成していないのです。
CTC はまさに、 “相対性理論 × 量子力学のせめぎ合い”が最も顕著に表れそうな舞台といえます。
さらに、近年はホログラフィー原理(ホログラフィック原理)と呼ばれる新しい視点から、ブラックホールや高次元時空の物理を探る研究が盛り上がっています。
ホログラフィー原理によれば、「高次元の重力理論」と「低次元の量子場理論」が等価であるとされ、ブラックホール内部の情報やエントロピー問題など、従来のアプローチでは理解しづらかったトピックに新たな光を当てています。
CTC の場合も、もし高次元空間や境界理論との対応づけを考えることで、時空のループが生じるメカニズムや、それを打ち消す機構がどのように実装されるのか、理論的に検証できる可能性があります。
たとえば、ホログラフィー原理においては「ブラックホール情報パラドックス」などの解決に向けて活発な議論が行われていますが、同様にCTC における自己無矛盾性も高次元時空の視点から検証できるかもしれません。
もし本当に時間旅行が実現するような技術が開発される日が来るかどうかは、まだわかりません。
しかし、その可能性を通じて、私たちは「なぜここに、こうして存在しているのか?」という問いを、別の角度から自問できるのです。
未来の物理学が“時間”と“因果律”をどこまで解き明かし、私たちの世界観をどう塗り替え、私たちの“時間”や“因果”に対する認識を変えていくのか──それは、ある意味で人類最大のロマンであり、同時に理論の深みを示すリアルな課題でもあります。
元論文
Life on a closed timelike curve
https://doi.org/10.1088/1361-6382/ad98df
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部