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彼の証明はまず、数を線に沿って順に並べることからはじまりました。
まず1、2、3、4、5、6……という自然数を並べていきます。
自然数は人間が自然に数えられる最も単純な数の形で、指を折りながら1、2、3、4、5、6……と数えていける数のことを指します。
知っての通り、このようにして数えていける自然数は無限に存在します。
普通の人ならば、話しはここで終わってしまうでしょう。
それ以上考えることに意味などないし、考えたとしても何も結論など出そうもないからです。
しかしカントールは違いました。
カントールは自然数の次に偶数について考えます。
偶数は2、4、6、8、10……のように2で割り切れる数です。
そして偶数だけを線の上に並べても、その先は無限に続いていきます。
どちらも無限というわけです。
ですがカントールはここで「自然数の無限と偶数の無限を比べたら、どちらが多いか?」という無限の比べっこを思いつきました。
自然数も偶数も無限に続きますが、自然数が10個出現する間に偶数は5個しか出現しないのも事実です。
そうなると「自然数の無限は偶数の無限よりも2倍多く存在するのか?」という疑問が浮かびます。
もし数に果てがあるならば、その通りでしょう。
しかし無限が相手の場合は、単に2倍という話にはなりません。
そこでカントールはより目に見える形で対峙を行うことにしました。
具体的には自然数の1に対して偶数の2を対峙させ、自然数の2には偶数の4を対峙させていきました。
自然数と偶数を構成する数たちに、スクラムを組むようにガッツリと対峙させてみたのです。
するとこの対峙関係もまた永遠に、つまり無限に続くことがわかります。
自然数組1人に対して偶数組が1人を常に出せる状況です。
別の言い方をすれば、自然数組が戦力を1ユニットだけ増やすと、偶数組も同じペースで戦力を1ユニット投じられる関係が永遠に続いていきます。
「だからなに?そんな当然のことを言って何になるのか?」と思うかもしれませんが、面白いのはここからです。
カントールは、この1対1の「フェアな出しっこ」が永遠に続けられる場合、それら2つの無限は等しいと考えました。
「いや、そうは言っても偶数のほうが伸びが早いし10個に5個しか出ないんだから、先に弾切れになるのでは?」と考える人もいるでしょう。
しかしそれもまた、有限の世界の常識です。
限りがない無限を扱う場合、お互いの端を比べることは基本的にはできません。
つまり弾切れを気にする必要がないのです。
そのため無限の比べっこを行うとすれば、存在しない端ではなく、フェアな対峙ができるかを気にするべきだとカントールは考えたわけです。
実際、自然数の対決相手に、奇数や2分の1ずつ増加する分数、0.3ずつ増加する小数、1ずつマイナスされていく負の数を対峙させても、同じような対峙関係が発生しました。
(※1、2、3……という並びと1億、2億、3億……という並びでもフェアな対峙が形成されます)
「〇〇ずつ増える」というルールを互いに守っている場合、互いに手札は無限なので「弾切れ」は起こらず永遠に1対1の対峙が実現するのです。
このことからカントールは自然数、整数、偶数、奇数、分数などの可算数と呼ばれる種類の数の無限はどれも同じ大きさだと結論しました。
そして可算無限の大きさをアレフ0(ℵ0)と定義し、無限というものを考えるときの基準点にしました。
また可算無限(ℵ0)よりも小さな無限をみつけることができないことから、可算無限(ℵ0)は最も小さな無限であると結論します。
しかし数の中にはπや√2のように最後のケタが存在しない無理数も存在します。
そのため次にカントールは、最後のケタが存在する可算無限(ℵ0)と最後のケタが存在しない無理数を含む実数によって構成される無限(連続体と呼ばれる)を対峙させてみることにしました。
(※実数無限でもよさそうですが連続体と言われます)
すると無理数を含む実数からなる連続体は可算無限(ℵ0)よりも遥かに多いことが判明します。
最後のケタが存在しない数は「〇〇ずつ増える」というルールを無視できます。
そのため可算無限(ℵ0)が1人を出す間に無限人を対峙させることができるのです。
自然数と偶数という同じ可算数どうしの対決が1対1なのに対して、可算数と実数どうしの対決では1対無限になってしまうわけです。
端を比べる必要のない無限同士の対決ですが、どの場面をとっても1対無限となってしまう場合、大小優劣の関係が生じます。
そのためカントールは最も小さい無限を可算無限(ℵ0)であり、連続体はそれよりも大きな無限とし、無限に種類とランク付けができることを示しました。
普通の人ならば、果て無く続く向こう側に気がとられて「無限は無限だ。違いはない」と言ってしまいそうなところを、カントールは具体的な対峙関係を比べることで、無限のなかに種類をみつけたのです。
しかしここで疑問が浮かびます。
一番小さい無限が可算無限(ℵ0)で連続体がそれより大きいことはわかりました。
しかし両者の間には別の種類の無限が入り込む余地があるのでしょうか?
つまり小さな無限ランキングを行ったとき可算無限(ℵ0)が1位なのは確定ですが、連続体は本当に2位になるかという疑問です。
カントールは、連続体がℵ0の次に位置するℵ1と関係があるのではないかと考えていましたが、これに関する仮説(連続体仮説)は現在も解決されていません。
一方、その後の150年の間に数学者たちは、さまざまな無限の種類を発見してきました。
その結果、現在では弱い無限から強い無限へとさまざまな無限が階層状に存在していると考えられています。
このレベルまで達すると単なる「大きさ」という単純な概念だけでなく、モデル論的・証明論的な側面など多様な要素を基準としたヒエラルキーが構成されることになります。
こうした無限の階層性や構造性はHOD(Hereditarily Ordinal Definable sets:遺伝的に順序数で定義可能な集合)予想と呼ばれており、現代数学において重要な基礎となっています。
そしてこの考えを採用することで、数学者たちは、新たな無限の種類が発見されるたびに、それを既存の無限の階層構造のどこに位置づけるべきかを検討してきました。
しかし今回のウィーン工科大学の研究により、無限の世界に革命が起こりました。
現在、無限の大きさを階層的に整理する際、大きく3つの領域に分けられています。
1番下(第1領域)には、通常の集合論の公理に従う無限数が含まれます。
ここには、カントールが扱った自然数や実数といった「基本的な無限」が存在します。
1番上(第3領域)には、選択公理をはじめとする標準的な集合論の公理さえも崩壊させてしまうほど巨大な無限数が存在します。
研究者たちは、この領域を「カオス」と呼んでいます。
一方で、ほとんどの無限数は、この2つの間に位置する「第2領域」に収まります。
そこでウィーン工科大学の研究者たちは、「エグザクティング・カーディナル(exacting cardinals)」と「ウルトラエグザクティング・カーディナル(ultraexacting cardinals)」という新しい無限を階層の中に当てはめようと試みました。
すると驚くべきことに、それが不可能であることが判明します。
この結果は、従来のHOD予想に反するものであり、新たな無限が従来の無限の階層構造に収まらず、その枠組みを超える特異な性質を持つ存在である可能性を示しています。
物理学に例えるなら、相対性理論に従わない物体や、標準モデルを超える新素粒子に似た存在の発見に近い偉業と言えるでしょう。
この発見は、無限の概念が単に「大きくなる」だけでなく、予想外の飛躍やねじれを含むことを示しています。
研究者たちも「これらが今までの公理体系(第2領域)内で依然として他の公理と両立しながら最上部に位置するのか、あるいはカオス領域(第3領域)に隣接し、第2領域の上に新たな『第4領域』を築くのか、現時点では分かりません」と述べています。
さらに、この発見は数学を超えた分野にも波紋を広げる可能性を秘めています。
無限の理解は哲学においても極めて重要であり、これまで無限の階層構造は数学的真理へと至る重要な道筋として機能してきました。
しかし、今回の研究はその階段を揺るがし、無限に対する根本的な問いを新たに提示しています。
「無限とは何か」「無限の全体像を捉えることは可能なのか」といった問いは、哲学や物理学の視点を交えたさらなる探求を促すでしょう。
無限の物語はまだ終わっておらず、この発見は新たな章の幕開けを告げてるのかもしれません。
元論文
Large cardinals, structural reflection, and the HOD Conjecture
https://doi.org/10.48550/arXiv.2411.11568
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部