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三徳山の最大の魅力は、荒々しい自然の地形と人の手が生み出した寺院建築の融合にあります。
険しい岩肌に沿って建てられた堂宇(どうう)が、長い年月を経てなお崩れ落ちることなく鎮座しているのは驚きです。
こうした山岳寺院特有の建築様式を「懸造(かけづくり)」と呼び、崖や急斜面に柱と横木を巧みに組んで構築するため、スリルと神秘に満ちた独自の景観をつくりあげています。
なかでも、今回の主役である奥の院「投入堂(なげいれどう)」は、修験道ゆかりの役行者(えんのぎょうじゃ)の法力で“崖に投げ入れられた”と伝承されるほど、不思議な場所。
実際に、どうやって崖の窪みに建てたのかが未だによくわからないという点でも、国宝に指定されるほどの希少性と歴史的価値を備えています。
懸造とはとは山肌や崖など高低差のある場所に建てられた寺院建築の様式です。
高低差のある場所に建てるため、垂直の柱だけでなく、貫(ぬき)と呼ばれる水平の横木を渡して強度を持たせてあります。
構造が強固なこと、山の多い日本に合っていたこともあり、懸造の寺院建築の数は日本全国で100軒を数えます。
懸造には大きく分けて懸崖型と投入型に分けられます。
懸崖型は高低差のある斜面に建てるため、長さの異なる柱の上に寺院を建てる様式、投入型は崖の中腹にある窪みに収まるように建てる様式です。
懸造で最も有名なのは京都にある清水寺の本堂ではないでしょうか。
俗にいう「清水の舞台」を支えているのがまさに懸造で、この懸造のおかげで斜面に見事な展望台となっている舞台が建っているのです。舞台のメンテナンスはこまめに行われています。
投入堂と同じ鳥取県の大山(だいせん)に位置する大山寺(だいせんじ)にも懸造の舞台があります。
大山寺の本尊は地蔵菩薩で最初は修験道のお寺として始まり、天台宗三代目円仁の教えに行者が帰依したことで天台宗に列することになりました。
大山寺は山門から急な石段を登る途中で懸造の柱を比較的近くに見ることができます。
山の斜面に沿って垂直で長さの違う柱を横木が支えていることがよくわかります。この懸造は本堂前の舞台を支えており、遠く弓ヶ浜半島を望めます。
この大山寺や投入堂のある三佛仏寺など、山岳信仰のあった地域は、戦国時代には3000人を数える僧兵がいたと伝わります。
鳥取県三朝町の投入堂がなぜ激レア建築なのか。その理由は、建てられている場所に秘密があります。
山岳信仰が元なだけあり、そこは険しい山の中。
そして修験道の聖地だけあって危険な道なき道を登らなくてはいけません。参道がまずレアなのです。
まず、独りでは見に行くことが許可されません。
思い立ったからといって、同行者がいなければ見に行くことはかないません。万が一遭難したら、ひとりでは救助を呼べないかもしれません。登山での遭難は意外なことに低山での方が多いのです。
そして、投入堂を見に行くためには入山届を出し、投入堂参拝登山料と山志納金を払う必要があります。そして輪袈裟を受け取って身に着けます。ここが第一の関所。
次の関所。そこでは履いている靴のチェックを受けます。山歩きに適した靴を履いていなかった場合、スニーカーであっても靴底がすり減っていればその場で脱ぎ、そういう参拝者のために準備されている「わらじ」に履き替えなければなりません。
わらじで登るのも修験者の気分が味わえそうではあります。
面倒な人は最初から山歩き用の靴を履いていきましょう。ちなみに30年前はこの履物チェックはありませんでした。ミニスカートにハイヒールで降りてきた女性を見たこともあります。
しかし、履物チェックが行われるようになりました。それはなぜか。
滑落の危険が伴うからです。つまり、下手をしたら遭難するからですね……。
投入堂は国宝ですが観光地ではありません。あくまでも信仰の対象なので、山岳修行のための参道に安全のための柵などありません(一部、鎖場あり)。ホームページには、当日に参拝登山が可能かどうかが掲載されるので確認しましょう。
登ってみるとわかりますが、まずまともな道がありません。
登り始めは「ホントにここ登っていくのか?」という急な、木の間を木の根っこにつかまって「かずら坂」をよじ登るスタイル。雨でも降った後なら泥んこになるでしょう。
ここで半分の人は後悔するかもしれません。これは獣道か?
でもせっかく来たのだから進みましょう。ここを登ると腹がすわるというか開き直るので、獣道ぐらいの道であれば「おお、道があるじゃないか!」という感動も味わえます。
投入堂に着く前に他のお堂を経由します。こちらも懸造で、ここへ上るには鎖場という、太い鎖につかまって登る急版がありますが、その頃には「鎖がある!親切!」という気持ちになっています。
文殊堂など高いところからの景観もよく、しばしの休憩にもぴったり。でも気を付けてくださいね。そこは高所です。落ちたら遭難です。
文殊堂を過ぎたら「日本一見に行くのが危険な国宝」と呼ばれるのがわかるはず。
再び「ここ、ホントに参道か?」という場所が現れますが、びくびくしながらも前進。多分ですが、ここなら年間何人か足を滑らせて滑落していても不思議はないという気がします。ちゃんとした靴を履いてきてよかった、もしくは、わらじの準備に心から感謝する人もいることでしょう。
投入堂は役行者が宝力で投入れたという伝説から投入堂と名づけられました。では、役行者とはいったい誰なのでしょう。
役行者とは役小角(えんのおづぬ)という名で、飛鳥時代の奈良に生まれ、7~8世紀に活動していたと思われる修験道の開祖とされています
役行者が学んだのは断片的に伝わってきていた密教だったのでしょうか。それだけでも既に力のある人のような、ミステリアスなイメージです。
役行者はまた、呪法で鬼神を使役し、水汲みをさせたり薪をとらせたりしていたという言い伝えも残っています。
20代の頃には藤原鎌足の病気をその力で治したとも言われており、鎌倉時代には高い法力を持つ行者として伝記まで作られるほど、不思議の力を現す行者として讃えられてきたのでした。
そして三徳山三佛寺の投入堂は、この役行者がその不思議の力で崖の窪みに投げ入れたお堂ということで「投入堂」というわけです。
険しい参道を登りきると、やがて目の前に投入堂が見えてきます。
投入堂は凝灰角礫岩と溶岩との境界部にできた天然の小さな窪みに、すっぽりはまり込むように建てられています。凝灰角礫岩の急崖が足場。窪みに合わせた垂直の柱を横木が支えます。
お堂の上には安山岩溶岩の柱状節理が覆いかぶさるように張り出しているので、じっくり観察してみましょう。
柱状節理というのは溶岩や溶結した火砕流堆積物が冷えて固まる時に、体積が収縮してできた割れ目が六角形や五角形などの柱のようになって固まった岩石です。これだけでもダイナミックな眺めですね。
高い崖の途中にある窪みは柱状節理とそれ以外の岩石の境目にできたものです。窪みに建てられた小ぶりな懸造は、役行者が不思議な力で投げ入れたという言い伝えが本当かもしれないと思いたくなる佇まいの懸造です。
しかし、この垂直の柱を立てるための足場はどこに立てたのでしょうか。
これは未だに解明されていません。素朴なひとつのお堂が国宝になっている理由はここにあります。
どうやって投入堂を建てたのか。懸造の、あの垂直の柱を立てるための足場はどうしたのか。答えがわからぬまま全身が感動に包まれていきます。これが国宝の力……。
道なき道を苦労して登った甲斐があったという思いを抱きつつ、帰り道は元来た道を辿ります。首尾よくここまで登れたご褒美に、実は帰りは楽な道が用意されているということはありません。
帰り道も行きと同じ道で、行きと同様に危険です。遭難したら大変なので気を抜かずに降りましょう。山登りは下りの方が危険だといいます。
下りきれば山の中とはいえ、そこは普通にお寺です。静寂の中、さっきまでの苦闘は何だったのか。投入堂を見たのが夢だったのかというほどの環境の違いに、いっそすがすがしい気分になっているかもしれません。
投入堂は、実際にそこまで登ってみると役行者が投げ入れたと言われても不思議に感じないほど、崖の窪みに唐突に立っているお堂です。
そして「見に行くのが日本一危険な国宝」と呼ばれ道なき道をよじ登っていく、遭難の危険すら感じるところもある参道を自力で登らなければならないのです。
投入堂の参拝登山は「三徳山入峰修行」と呼ばれます。物見遊山ではなく修業だということを心して登りましょう。
日本国内に数ある懸け造りですが、未だ解明されないその建築方法の三徳山三佛寺にある投入堂。地震にも台風にも大雪にも耐え、しっかり崖の窪みに建ち続けている投げ入れ堂は、日本の建築史に謎のまま残り、現在に至っています。
参考文献
三徳山三佛寺 国宝投入堂ホームページ
https://www.mitokusan.jp/
ライター
百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。
編集者
海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。