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私たちの脳は、体験をする前に抱く「期待」によって、その体験の内容が大きく変化することが知られています。
このような現象は、医療の分野でも確認されており、プラセボ効果やノセボ効果と呼ばれるものが代表例です。
プラセボ効果は、ポジティブな期待が治療効果を伴わなくても脳内で回復を促進する現象です。
例えば、「この薬は効くだろう」と期待して服用すると、薬自体に治療効果がなくても症状が改善されることがあります。
このとき、脳では前部島皮質や前帯状皮質など、感覚処理や痛みの軽減に関与する領域が活性化し、症状が改善されたと感じる仕組みが働きます。
報酬系と呼ばれる脳の神経回路が関与しており、特にドーパミンの放出が重要な役割を果たしていると考えられています。
ドーパミンが放出されることで、脳は報酬を予期し、満足感やストレスの軽減、痛みの抑制につながります。
この結果、実際には効果がない場合でも、脳が「良い結果が出ている」と解釈し、体験そのものがポジティブに感じられることがあります。
ノセボ効果では、ネガティブな期待が痛みや不快感を引き起こし、これらの感覚を増幅させます。
例えば、薬の副作用を過度に心配することで、実際には副作用がない場合でも、頭痛や吐き気などの症状が現れることがあります。
この際、脳内では前帯状皮質や島皮質など、痛みの感覚処理に関与する領域が活性化します。
前帯状皮質は痛みや不快感に対する情動的な反応を強化し、島皮質は身体の内的感覚を統合して不快感を増幅させます。
また、ネガティブな期待により、ストレスホルモン(ノルアドレナリンやコルチゾール)の分泌が促進され、身体が警戒状態に入ることで、痛みや不快感がさらに強まります。
さらに、Neurological Pain Signature (NPS) という脳の活動パターンは、痛みの感覚処理に関与する指標として知られています。
NPSは、侵害受容的な痛みの感覚に関連する脳の活動を示しますが、ノセボ効果では、ネガティブな期待がこの痛覚処理を強化する可能性があります。
前帯状皮質や後部島皮質など、痛みの情動的側面や身体感覚を統合する領域も関与しており、ノセボ効果によって不快感や痛みの経験が増幅されるのです。
このように、私たちの脳は「期待」によって感覚処理を大きく変化させる力を持っています。
ポジティブな期待が脳の報酬系を活性化させ、体験をより楽しく感じさせる一方で、ネガティブな期待が不快感や痛みを強調する役割を果たすのです。
こうした仕組みは、科学的にも多くの研究で裏付けられており、脳が私たちの体験にどう影響を与えるかについて理解を深める手がかりとなります。
今回、研究者らは「期待」が「辛さ」の体験にどのような影響を与えるかを明らかにするために、fMRIを用いた実験を行いました。
今回の研究では、辛い食べ物が好きな人と嫌いな人が、それぞれ「これから辛いものを食べる」という期待を持ったときに、実際の体験がどのように異なるかが調べられました。
研究者たちは、47人の参加者に辛いソースを食べてもらい、その際の脳の反応をfMRIで観察することで、辛さに対する期待が体験にどう影響を与えるのかをリアルタイムで分析しました。
fMRIは、脳内の血流変化を測定し、脳が辛さを感じる際に活性化する領域を観察するために使用されました。
辛い食べ物が好きな人は、「これからおいしい辛さを楽しめる!」というポジティブな期待を持ってソースを食べました。
このような期待を持つと、fMRIの結果では、脳の報酬系に関与する前部島皮質、背外側前頭前野、前帯状皮質が活性化し、辛さが「心地よい刺激」や「楽しさ」として感じられることが示されました。
これにより、通常の不快感が抑えられ、体験がよりポジティブなものに変わったと考えられます。
一方で、辛い食べ物が苦手な人は、「これから辛くて不快なものを食べなければいけない」というネガティブな期待を抱いていました。
このような期待を持つと、fMRIの結果では、前帯状皮質や島皮質が強く活性化し、辛さが「痛み」や「不快感」としてより強く感じられることが示されました。
また、実際に辛さを感じたときには、Neurological Pain Signature (NPS) も活性化し、辛さが通常よりも強く痛みや不快感として感じられる結果となりました。
これにより、脳は「これは嫌な体験だ」と捉え、実際の辛さがより苦痛に感じられるのです。
この研究は、同じ辛いソースという刺激でも、「楽しみだ」と感じるか「嫌だな」と感じるかで、脳が全く異なる方法で体験を処理することを明らかにしました。
辛いものが好きな人は、ポジティブな期待によって辛さを「楽しさ」や「快感」として捉え、脳の報酬系(前部島皮質や前帯状皮質など)が活性化します。
一方、辛いものが苦手な人は、ネガティブな期待により、同じ辛さを「痛み」や「不快感」として強く感じ、痛覚処理に関わる領域(島皮質や前帯状皮質など)が反応します。
今回の結果は、辛い食べ物を楽しむことにとどまらず、治療や痛みの管理にも応用できる可能性があり、今後の研究でさらに広がることが期待されます。
参考文献
Asymmetric placebo effect in response to spicy food
https://www.sciencedaily.com/releases/2024/10/241008144630.htm
元論文
The expectations humans have of a pleasurable sensation asymmetrically shape neuronal responses and subjective experiences to hot sauce
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3002818
ライター
岩崎 浩輝: 大学院では生命科学を専攻。製薬業界で働いていました。 好きなジャンルはライフサイエンス系です。特に、再生医療は夢がありますよね。 趣味は愛犬のトリックのしつけと散歩です。
編集者
ナゾロジー 編集部