アメリカのスタンフォード大学(Stanford)で行われた研究によって、開発中の抗がん剤「IDO1阻害薬」にはアルツハイマー病で失われたマウスの記憶を回復させる効果が示されました。

アルツハイマー病になると脳細胞の働きが鈍るだけでなく、逆にいくつかの化学反応(代謝)が過剰になることが知られています。

このような過剰な代謝はニューロンが栄養素を適切に利用するのを妨げ、脳回路の維持に支障をきたしてしまいます。

新たに開発中の抗がん剤「IDO1阻害薬」には過剰になった代謝反応を正常化させる効果があり、実験でもマウスの記憶が回復したとのこと。

研究者たちは同様の仕組みが人間でも有効に機能する可能性があると述べています。

研究内容の詳細は2024年8月23日に『Science』にて掲載されました。

目次

  • アルツハイマー病の脳とがん細胞の意外な類似点
  • アルツハイマー病では「代謝の暴走」が起きている
  • 抗がん剤でアルツハイマー病を治す

アルツハイマー病の脳とがん細胞の意外な類似点

アルツハイマー病になると記憶が失われるのは有名なはなしです。

ただ既存の医学では失われた記憶を回復させるのは極めて困難だと考えられています。

ただアルツハイマー病の患者がふとしたキッカケで昔の話を語りだしたり、歌を歌い出したりするという現象も確認されており、アルツハイマー病患者では記憶そのものが消滅しているのではなく、記憶を取り出せなくなっている可能性があります。

そこで近年では、取り出せなくなっている記憶を復活させるための薬の開発が勢いづいています。

今回は研究の概要をまず簡単な1コママンガで理解してもらいたいと思います。

もし興味が出ましたら、続く本文も読んでみてください。

抗がん剤にアルツハイマー病で「失われた記憶」を蘇らせる効果を発見! / Credit:clip studio . 川勝康弘

アルツハイマー病では「代謝の暴走」が起きている

私たちの巨大な脳は、かなりの大食らいであり、成人の1日の消費カロリーの20%を占めることが知られています。

脳には筋肉のような機械的仕事を行う組織はありませんが、脳内では無数の脳細胞の間で電気信号が飛び交っており、カロリーの多くはこの電気活動のために使われているのです。

筋肉で消費するエネルギーを現実世界の車のエンジンでたとえるならば、脳で消費されるエネルギーはPCのCPUに近いと言えるでしょう。

一方、これまでの研究により、アルツハイマー病患者の脳ではアミロイドβやタウタンパク質の蓄積をはじめとしたさまざまな異常が報告されており、その1つに、ある代謝経路「トリプトファン代謝経路」の暴走が含まれていると考えられていました。

代謝経路をわかりやすく言い換えば、細胞という工場にある、エネルギー生産ラインの1つと言えるでしょう。

つまりアルツハイマー病患者の脳細胞では、あるエネルギー生産ラインが制御不能の暴走状態に陥っているのです。

細胞が生きていく上でエネルギーは多いに越したことがありませんが、特定のラインだけが暴走してしまうと、他のラインに向かうハズだった物資がどんどん吸い取られ、細胞全体として正常な活動ができなくなってしまうのです。

詳しい解説:(左) アストロサイト (緑色) は乳酸を生成し、解糖遺伝子の発現は低酸素誘導因子 1-α (HIF1α) によって部分的に制御されます。十分な乳酸がアストロサイトからニューロン (青色) に転送され、ニューロンのミトコンドリア呼吸とシナプス活動に燃料を供給します。(中央) アストロサイトの IDO1 による KYN 生成が増加し、AhR と HIF1α の核シグナル伝達のバランスが崩れ、アストロサイトの解糖、乳酸生成、ニューロン活動の代謝サポートが減少します。(右) アストロサイトの KYN が減少すると、ニューロンの解糖と代謝サポートが回復し、アミロイドとタウの病状の重症度が軽減されます。 / Credit:Paras S. Minhas . Restoring hippocampal glucose metabolism rescues cognition across Alzheimer’s disease pathologies . Science (2024)

たとえばニューロンのまわりにいるアストロサイトは乳酸を生成し、それがニューロンに送ってエネルギー源として使用してもらっています。

しかしトリプトファン代謝経路が暴走するとこの機能が上手く働かなくなってしまい、ニューロンがエネルギー不足に陥ってしまいます。

脳のエネルギー不足は思考力と記憶力を低下させ、アルツハイマー病の病状をより重いものにしてしまいます。

がん細胞でも同じ「代謝の暴走」が起きている

興味深いことに、同様のエネルギー生産ラインの暴走は、がん細胞でも起きていることが知られいます。

活発に増殖を続けるがん細胞は常にエネルギーに飢えているため、エネルギー生産ラインの暴走を頻繁に起こします。

がん細胞は体を維持するための「正常な機能」を無視して増殖することが可能であり、いくつかのラインの暴走が起きても問題はありません。

また困ったことにがん細胞でトリプトファン代謝経路の暴走が起こると、免疫細胞(特にT細胞)の活動を抑制してしまうという非常に厄介な性質を持っています。

そこで開発中の抗がん剤はトリプトファン代謝経路で重要な役割をする酵素IDO1の働きを阻害することを目指します。

暴走する生産ラインの中で中核的な役割をしている歯車がIDO1だとするならば、そこに接着剤を流し込むようにして動きを鈍らせるのです。

こうすることでがん細胞は暴走しているエネルギー生産ラインだけでなく、免疫活動を抑えられる隠れ蓑も同時に失うことになります。

動物実験においてこの試みは非常に有望であり、IDO1阻害薬は抗がん作用を持つことが示されました。

(※特に免疫チェックポイント阻害薬と併用することで効果を高められました)

以上の2つの結果は、アルツハイマー病の脳細胞でもがん細胞でもラインの暴走を防ぐことが治療に繋がることを示しています。

そこで今回スタンフォード大学の研究者たちは開発中の抗がん剤がアルツハイマー病の治療にも役立つ可能性を調べることにしました。

もし抗がん剤として開発されたIDO1阻害薬がアルツハイマー病で暴走しているラインを抑えることができれば、脳細胞の機能を正常化させられる可能性があるからです。

抗がん剤でアルツハイマー病を治す

開発中の抗がん剤「IDO1阻害薬」はアルツハイマー病を治せるのか?

答えを得るため研究者たちはまず、アルツハイマー病を発症するように遺伝子組み換えされたマウスを用意しました。

これらのマウスの脳では人間と同じような仕組みでアルツハイマー病を発症するため、薬の効き目を調べるのに役立ちます。

ただマウスの記憶を調べるのに人間のようなインタビューはできないため、次善の策としてマウスに迷路を解いてもらいました。

迷路を解くには道順を「記憶」していなければならないため、アルツハイマー病マウスは健康なマウスに比べて迷路を攻略するのが困難となります。

次に研究者たちはIDO1阻害薬を投与し、再び迷路を攻略してもらいました。

するとIDO1阻害薬を投与されたアルツハイマー病マウスは記憶を蘇らせ、迷路攻略が大幅にスピードアップしていたことがわかりました。

Credit:Canva

この結果は、IDO1阻害薬がアルツハイマー病マウスの脳内でのトリプトファン代謝経路の暴走を抑えた可能性を示しています。

研究者たちは近い将来、IDO1阻害薬をアルツハイマー病の治療薬にするための臨床試験に臨みたいと述べています。

もともとは心臓病を治すのに開発され、現在はED治療薬となっているバイアグラ、もともとは高血圧の治療薬として開発され、現在は育毛剤となっているミノキシジルなど、当初とは異なる機能が着目され販売されている薬は数多く存在します。

IDO1阻害薬がアルツハイマー病治療薬として認可されれば、多くの患者の記憶を取り戻すことができるでしょう。

(※記憶の取り戻しができるという事実は、アルツハイマー病患者の脳内では記憶の消滅よりも、記憶を引き出すことが難しくなっていることが主な原因である可能性を示します)

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参考文献

Blocking a Brain Pathway Reverses Memory Loss in Alzheimer’s
https://neurosciencenews.com/kyrurenine-pathway-alzheimers-memory-27579/

元論文

Restoring hippocampal glucose metabolism rescues cognition across Alzheimer’s disease pathologies
https://doi.org/10.1126/science.abm6131

ライター

ナゾロジー 編集部

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 抗がん剤にアルツハイマー病で「失われた記憶」を蘇らせる効果を発見!