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それを明らかにするために今回の研究チームは「支払い方法」と「消費行動」に関する過去40年以上の研究報告(世界17カ国、計1万1000人以上を調査した71件の研究)をメタ分析しました。
40年前にもキャッシュレス決済があったの? という人もいるかもしれませんが1980年代にはクレジットカードやデビットカードの利用が始まっています。
40年前の研究もあることからわかるように、キャッシュレス決済方法が消費者の支出行動に影響を与えることは古くから知られており、これは「キャッシュレス効果(cashless effect)」と呼ばれています。
今回のメタ分析では、キャッシュレス払いが現金払いに比べ、一貫して消費者の支出額を高くさせていることが判明しました。
またこの効果は、キャッシュレス決済方法の特性からは影響を受けないことが示されていて、スマホアプリやクレジットカード、デビットカードや後払い方式のどれであっても、現金払いよりお金をより多く使っている傾向が見つかりました。
ではキャッシュレス決済だと、支出が増えてしまう理由はなんなのでしょうか?
研究者たちは、この効果が起こる根本的な原因として「支払うことの痛みが減るからだ」と説明しています。
「支払うことの痛み(Pain of paying)」は1996年に初めて提唱された説であり、みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
これはごくシンプルな説で、私たちが現金で支払いをするときに「心理的な痛み」を感じているというものです。
現金で買い物をする際、私たちは財布から紙幣や硬貨を物理的に数えて相手に差し出さなければなりません。
人間は自らの損失を避けようとする生き物ですが、現金払いだと実際に形あるお金が自分の手から離れていく様を目にする必要があります。
これが「心理的苦痛」というネガティブ感情を引き起こすのです。
しかも、現金払いにおける「支払うことの痛み」は何も比喩的な例えではありません。
米ボストン大学(Boston University)が2017年に、現金払いをする消費者の脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いてリアルタイム観察したところ、心理的不快感の経験に関連する脳領域が実際に活性化することが記録されました(SSRN, 2017)。
つまり、私たちは現金払いをするたびに意識的にせよ無意識的にせよ、心理的苦痛を感じることで、現金払いでは支出を減らしたり、避ける行動につながりやすいのです。
これと対照的に、キャッシュレス払いはデータ上だけのやりとりなので、自分がどれくらい払っているかの実感が湧きづらくなっています。
そこではスマホやクレカをパッとかざすだけで決済が完了するので、形あるお金が手元から離れる様を見ることもありません。
こうしてキャッシュレス払いでは「支払うことの痛み」が生じにくくなるために、気が大きくなって、支出もどんどん増えてしまうと考えられるのです。
そのため分析の結果では、他人の目を意識したステータス目的の高額な買い物(顕示的消費)において、キャッシュレス効果は大きくなることが示されています。
これは例えば高級ブランドのバッグや時計の購入や、高級レストランで食事などを指します。
こうした問題は心当たりのある人も多いでしょう。
ただ、今回の研究ではキャッシュレス効果について、他に興味深い傾向も示されていました。
それが時間経過に伴ってキャッシュレス効果が弱まっていく現象です。
時間経過とともにキャッシュレス効果が弱まる理由は、人の支出に対する意識が慣れとともに高まるためだと考えられます。
キャッシュレス決済を利用し始めたばかりの頃は、便利さから支出が増えてしまいますが、慣れてくるとその利便性に対して意識的に支出を管理するようになる人が多いためだと考えられます。
現金に比べて消費の痛みは減るものの、結局は貯金額などは目減りしていきます。PayPayのようなスマホの決済だと決済履歴なども表示されるため、そこをチェックすることで支出額を自覚していく人もいるでしょう。
そのため、キャッシュレス決済に慣れた人は、自身の消費行動に対する意識を高め、支出管理がより注意深くなっている可能性があるのです。
つまり、消費者は非現金決済の影響を理解し、それに基づいて自己制御を強化していけるのです。
ただ、そうは言っても誰もが自己制御が得意なわけではありません。
そのため研究者たちも「支出を簡単に減らしたいなら、現金を持ち歩くのが有効だ」と述べています。
ちなみに日本では2024年7月3日から、旧紙幣の人物とデザインが変更された新札の発行が始まります。
千円札は野口英世から「北里柴三郎」へ、五千円札は樋口一葉から「津田梅子」へ、一万円札は福沢諭吉から「渋沢栄一」へとそれぞれバトンタッチされます。
北里柴三郎(1853〜1931)は、「近代日本医学の父」と称される微生物学者であり、破傷風菌培養の成功や破傷風菌抗毒素の発見を行い、伝染病研究所や慶応大学医学部を創設した人物です。
津田梅子(1864〜1929)は、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者として知られ、女性の地位向上と女子高等教育の普及に大きく貢献しました。
そして渋沢栄一(1840〜1931)は「日本近代社会の創造者」と呼ばれ、実業界で活躍し、明治政府では大蔵省の官僚として政策の立案に関わるなど、明治維新後の国づくりに大きく貢献しています。
お札のデザインが変わったとなると、物珍しさから手に入れて持ち歩きたくなる人もいるでしょう。
キャッシュレス決済には当然、スムーズな決済や衛生面のリスク回避など、さまざまな利点があるので手放す必要はないでしょうが、この新しいお札が出回るタイミングで、現金を持ち歩く習慣を取り戻してみると、知らず知らずのうちに貯金が溜まっていくかもしれません。
参考文献
Trying to save money? Our research suggests paying in cash – while you still can
https://theconversation.com/trying-to-save-money-our-research-suggests-paying-in-cash-while-you-still-can-231499
元論文
Less cash, more splash? A meta-analysis on the cashless effect
https://doi.org/10.1016/j.jretai.2024.05.003
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。