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はじまりは、ごく簡単な疑問でした。
その疑問とは「本当に真空からエネルギーを取り出せないのか?」というものです。
私たちの存在する宇宙には、真の真空状態というものが存在しません。
空間を拡大すると、そこでは激しいエネルギー変動が存在しており、何もない場所から粒子が現れては消えていくという奇妙でエネルギッシュな世界が広がっています。
宇宙から見た地球の海部分は滑らかですが、実際に近づいてみると常に波立っているのと同じと言えるでしょう。
波が十分に高いエネルギーを持っていれば、水面の膜とは独立した膜を持つ粒子(水滴)が生成されることもあります。
このようなエネルギーのゆらぎがあるため、現在の物理学では真空には「ゼロ点エネルギー」が基底状態として存在すると考えられています。
基底状態とは、何も存在しなくても空間や量子が持つ状態のことを意味します。
SFなどではよく、このゼロ点エネルギーを抽出する発電装置が登場します。
現実世界に波のうねりを利用して発電する波力発電があるように、SF世界には真空の揺らめきからエネルギーを取り出せる装置があるからでしょう。
しかし、現実世界でそれを行うのは極めて困難です。
真空の揺らきは極めてランダムであり、結果として「負のエネルギーを持つ領域」が瞬間的に生成されます。
そのため、たとえ微小な真空から正のエネルギーを抽出できたとしても、次の瞬間には溜めたはずのエネルギーが同じ空間へ吸い取られてしまうからです。
そのため単に空間にコンセントを差し込むような、都合のいいゼロ点エネルギー発電は不可能となっています。
しかし堀田氏は2008年に、ある条件を付け加えれば、この真空の「ゼロ点エネルギー」からエネルギーが抽出できる可能性があるとする論文を発表しました。
その条件とは「量子もつれ」です。
2つの場に「量子もつれ」の関係が成立すると、一方を観測することで、瞬時に他方の変化をうみだします。
そのため上の図のように、A地点のゆらぎを観測することは、間接的にB地点のゆらぎを観測することにつながります。
またあらゆる観測にはエネルギーコストが必要であり、観測を行ったA地点の空間にはエネルギーが注入されることになります。
面白いのはここからです。
実は、この観測によってA地点に注入されるエネルギーを担保として、B地点ではゼロ点エネルギーの真空からエネルギーを借金することが可能なのです。
その様子を図にすると以下のようになります。
①まずA地点とB地点の空間(どちらも真空でゼロエネルギー)が量子的なもつれ状態にあるとします。
②次にA地点に観測を行い、A地点のゆらぎにエネルギーを流し込みます。
③そしてA地点に対して行った観測結果などにかんする情報をテキストメッセージなどでB地点に向けてで送信します。
B地点でエネルギーの取り出しを実現するには、A地点で行った観測結果や観測方法にかんする正確な情報が必要になるからです。
④最後に送られていたテキストメッセージをもとにB地点でエネルギー抽出を実行します。
するとB地点では不可能であると思われていた真空のゼロ点エネルギーのゆらぎから「正エネルギー」の抽出が可能になるのです。
このときB地点で抽出できるエネルギー量の限界は、A地点で注入されたエネルギー量に等しくなります。
⑤その後、エネルギーを搾り取られた反動として、B地点の量子場に負のエネルギーの励起状態が作られます(つまりB地点の真空がゼロ点エネルギー(基底状態)よりも低いエネルギー状態に変化します)。
(※ただしB地点から抽出できる正のエネルギー量は、A地点に注いだエネルギー量を超えることはできません。)
この一連の流れは、途中で抽出にかんする情報がテキストメッセージAB間で送っていることから、光速を超えるものではありません。
またA地点で注入したエネルギーをB地点で抽出するのですから、全体としてエネルギー保存則には反しません。
しかしA地点とB地点の間には、いかなるエネルギーのやり取りがみられないにもかかわらず、A地点に注いだのと同じ分だけB地点から抽出できる点、しかもその抽出がゼロ点エネルギーを源にできる点、さらに反動でB地点で負のエネルギーが励起される点は、驚くべきことでしょう。
私たち人間はA地点の空間とB地点の空間を個別のものととらえがちですが、宇宙にとっては同じ敷地内の出来事なのかもしれません。
2023年、カリフォルニア大学とウォータールー大学の研究者たちによって、量子エネルギーテレポーテーションの最初の実証が行われました。
この実験では真空の代りにトランスクロトン酸と呼ばれる化合物が用意され、分子内部の2つの炭素原子核(AとB)の間で量子エネルギーテレポーテーションのプロセスの再現が目指されました。
実験では核磁気共鳴(NMR)を用いて炭素原子核Aと炭素原子核Bの両方を基底状態にすると同時に量子的なもつれ状態にされました。
基底状態は最もエネルギーが低い状態であり、それ以上、両方の炭素原子核AとBのエネルギーは下がることがありません。
またこの状態にある炭素原子核たちは量子ビットとしても機能します。
準備が整うと、炭素原子核Aに対して測定を行い、エネルギーを注入します。
次に測定から得られた情報をもとに炭素原子核Bからエネルギーの抽出を試みました。
(※実際には3番目の炭素原子核も補助量子ビットとして用意されました)
通常ならば炭素原子核Bも基底状態にあるためエネルギーの抽出などできません。
しかし驚くべきことに炭素原子核Bからは炭素原子核Aに注いだのに相当するぶんのエネルギーが放出されたことが判明しました。
また一連のエネルギーの出入りにかかる時間を測定したところ、わずか37.6ミリ秒であることが判明します。
通常の方法を使って分子内の炭素原子核Aから炭素原子核Bにエネルギーを送るには、その約23倍の862ミリ秒(約1秒)ほどの時間がかかってしまいます。
この結果は、通常とは明らかに異なる異常な速度でエネルギーの出入りが起きており、量子エネルギーテレポートが起きたことを示しています。
また同じく2023年にストーニーブルック大学で行われた研究では、IBMの量子コンピューターの量子ビットを使った実証実験が行われました。
この実験では2つのもつれ状態かつ基底状態にある量子ビットAと量子ビットBが用意され、量子ビットAのみにエネルギーが加えられました。
すると量子ビットBは基底状態にあるにもかかわらず、量子ビットAに注いだのに対応するエネルギーを抽出することに成功。
結果として量子ビットBのエネルギーは基底状態よりもさらに低下することとなりました。
これら2023年中に続けて発表された2つの実験は、量子エネルギーテレポーテーションの実証実験となります。
研究者たちは、量子エネルギーテレポーテーションの仕組みを使えば、量子ビットの冷却を効率よく行えるだろうと述べています。
また応用が進めば、手元に複数用意したもつれ状態にした空間Aたちにエネルギーを送り続けることで、遠隔地にある機体や装置は内部の空間Bから常にエネルギー抽出ができるようになるでしょう。
(※ただその場合、量子もつれ状態にあるペアを事前に複数用意しておく必要があるでしょう)
エネルギー源は真空そのものであるため、燃料タンクも必要ありません。
またゼロ点エネルギーより低いエネルギーを持つ空間を前方に作成できれば、カシミール効果によって前進することも可能かもしれません。
この場合、エネルギー抽出の対象となる空間Bはゼロ点エネルギーや基底状態からエネルギーを絞り出す「ゼロポイントエンジン」として機能することになります。
堀田氏らは現在、量子エネルギーテレポーテーションで抽出したエネルギーを電力の形で運用する新たな実験を行っており20年代後半の実現を目指しています。
さらに量子エネルギーテレポーテーションの研究は、宇宙の始まりを理解する助けになるかもしれません。
量子エネルギーテレポーテーション(QET)は増えてしまったブラックホールエントロピーS_BHを減らせる量子的な過程でもあります。これまで知られていたS_BHを減らすことができる物理過程は、ホーキング輻射放出のみでした。QETはS_BHを減らす第2の例になっています。 pic.twitter.com/PFNCcskyTj
—Masahiro Hotta (@hottaqu) November 4, 2018
量子エネルギーテレポーテーションでみられる負のエネルギーが絡んだ現象は、ブラックホールの事象の平面近くで起こる現象に似ているからです。
堀田氏はブラックホールのエントロピーを減らす源としてホーキング輻射のみが知られていたものの、量子エネルギーテレポーテーションも同じ効果があると述べています。
元論文
Experimental Activation of Strong Local Passive States with Quantum Information
https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.130.110801
Long-range quantum energy teleportation and distribution on a hyperbolic quantum network
https://doi.org/10.1049/qtc2.12090
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部