古代ギリシアの天才・アルキメデス


彼は紀元前287年頃にシチリア島のシラクサで生まれ、紀元前212年に亡くなるまでに多くの数学的発見や発明を残しました。


アルキメデスといえば、入浴中に浮力の原理を発見して「エウレカ!(わかった!)」と叫び、裸のまま外に飛び出したという逸話で有名です。


そんな彼はローマ軍との間に勃発した戦争において、シラクサの街を守るための兵器開発を頼まれていました。


その中で生み出したとされるのが「死の光線(death ray)」です。


これは巨大な鏡で太陽光を集光し、敵船に照射することで炎上させるというもの。


歴史家は長い間、「アルキメデスの死の光線は実在したのか、また実在したとして本当に火炎を起こせたのか」と議論を戦わせてきました。


しかしここ数十年の研究で、死の光線は実現可能だったことが明らかになりつつあるのです。




目次



  • アルキメデスの知恵が買われた「シラクサ包囲戦」とは?
  • アルキメデスの「死の光線」を作ってみた!

アルキメデスの知恵が買われた「シラクサ包囲戦」とは?


アルキメデス(画ドメニコ・フェッティ、1620年) / Credit: ja.wikipedia

アルキメデスの生きた時代には、古代ギリシアとローマ軍との間で絶え間ない戦争が繰り広げられていました。


特に紀元前3〜2世紀半ばに3度にわたって起きた「ポエニ戦争」は、その最も大きな争いの一つでした。


これは一言でいうと、ローマ軍とカルタゴ(北アフリカに栄えたフェニキア人の国家)が西地中海の覇権をめぐって争った戦いです。


(ポエニという名称は、ローマ人によるカルタゴ人の呼び名)


第一次〜第三次ポエニ戦争の領土の変遷(緑:ローマ、オレンジ:カルタゴ)、イタリア南部にあるのがシチリア島 / Credit: ja.wikipedia

この争いにアルキメデスのいたシラクサも巻き込まれるのですが、第一次ポエニ戦争においてシラクサはローマ側と同盟を結んでいました。


ところが、シラクサは第二次ポエニ戦争においてそれを解消し、逆にカルタゴと同盟を結んだことでローマ軍に包囲されることになります。


こうして勃発したのが「シラクサ包囲戦」(BC214〜BC212)です。


ローマ軍と戦うにあたり、シラクサ軍はアルキメデスに街を守るための兵器開発を依頼しました。


有名なのは「アルキメデスの鉤爪(Claw of Archimedes)」です。


アルキメデスの鉤爪で沈没させられるローマ艦(1600年頃の壁画の一部) / Credit: ja.wikipedia

これは城塞の縁に設置したクレーン状の腕部の先端に金属製の鉤爪を取り付け、それを近づいてきた敵船に引っ掛けて持ち上げることで転覆させるものでした。


イメージとしては下図のように、クレーンに取り付けた紐を人と家畜で後方に引っ張って鉤爪のアームを持ち上げたと考えられます。


「アルキメデスの鉤爪」のイメージ / Credit: SnapJelly –Claw of Archimedes –Weird weapons episode 4(youtube, 2019)

そしてもう一つ、歴史家の間で大いに注目されてきたのが「死の光線(death ray)」です。


これについては2世紀の著述家ルキアノスによって、アルキメデスが鏡を用いて敵船に次々と火を起こし撃退したという記述が残されています。


しかしこれ以降の歴史家や科学者たちは、「死の光線」が本当に実現可能なのか大いに疑問を抱きました。


特に14〜16世紀のルネサンス期以降に熱い議論が始まり、フランスの有名な哲学者であるルネ・デカルトなどは「科学的に不可能だ」と反対の意を唱えています。


ところが、ここ数十年の研究で「死の光線」は実現可能だったことが示唆されつつあるのです。


アルキメデスの「死の光線」を作ってみた!


「死の光線」の仕組みは、現代の小学生でも十分に理解できるシンプルなものです。


簡潔にいえば、太陽光を一点に集光して熱を発生させるというもので、多くの人が虫眼鏡を使って厚紙に火をつける実験で経験済みかもしれません。


アルキメデスの時代にも、ピカピカに磨いた青銅の鏡を用いて太陽光を集光する技術はすでに存在しました。


城塞に設置した鏡で太陽光を集光し、敵船に火をつける / Credit: ja.wikipedia

この「死の光線」の実証テストとして初期のものが、1973年にギリシアの科学者チームによって行われています。


ここでは縦1.5メートル、横1メートルの銅で覆われた鏡70枚を設置し、約50メートル先のローマ軍艦に見立てたベニヤ板の模型に太陽光を照射したところ、ものの数秒で板に火がついたと報告されました。


ただ、この実験ではベニヤ板にタールが塗られていたため、実際より燃えやすくなっていた可能性が指摘されています。


そこで米マサチューセッツ工科大学(MIT)は2005年に、タールを塗っていない木製の模型船を用いて新たな実験をしました。


127枚の小さな鏡を使って集光する実験 / Credit: MIT –Archimedes Death Ray: Idea Feasibility Testing

MITのチームは、30センチ四方の小さめの鏡を127枚用意し、それらを円弧状に並べて、30メートル先の模型船に集光しました。


その結果、模型船の表面に斑点状の焦げ目が生じ、照射からわずか11分後に点火が確認できたのです。


照射から11分後に点火した! / Credit: MIT –Archimedes Death Ray: Idea Feasibility Testing

その一方で、空が曇り出した状態では10分間の照射を続けても点火が見られなかったという。


以上の結果からチームは、気象条件さえ整っていれば「死の光線」は十分に実現可能だったろうと述べています。


しかし研究者の中には、シラクサはシチリア島の東岸に面しているため、効果的に太陽光を集光させる時間帯は朝方に限られていたのではないかと指摘する意見もあります。


そのため「死の光線」がメインの兵器として機能した可能性は低く、火矢やカタパルトの方が実用的だったかもしれません。


ちなみに直近ですと、12歳の少年が自作した縮小版の模型セットで「死の光線」が実用可能だったことを発表し、児童科学賞を受賞しています(CSFJ, 2024)。


12歳の少年が「死の光線」の縮小版を自作し、実証テストを行った / Credit: CSFJ –THE POWER OF THE ARCHIMEDES DEATH RAY(2024)

他方で史実に戻ると、シラクサはアルキメデスの奮闘も虚しく陥落し、ポエニ戦争もローマ軍の勝利で幕を閉じています。


これ以降、ローマは共和制の本質を転換させ、本格的なローマ帝国として世界に冠たる最強国家となっていきました。


そして当のアルキメデスはシラクサ陥落後に、ローマ軍司令官のマルクス・クラウディウス・マルケッルスの命令に反して殺害されています。


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参考文献

12-Year-Old Builds Replica Of Archimedes’ Death Ray –And It Works
https://www.iflscience.com/12-year-old-builds-replica-of-archimedes-death-ray-and-it-works-72875

Archimedes Death Ray: Idea Feasibility Testing
https://web.mit.edu/2.009_gallery/www/2005_other/archimedes/10_ArchimedesResult.html

THE POWER OF THE ARCHIMEDES DEATH RAY
https://csfjournal.com/volume-6-issue-4-1/2024/1/7/the-power-of-the-archimedes-death-ray

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 太陽光で敵船を燃やす!アルキメデスの古代兵器「死の光線」は実現可能だった?!