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普通に考えると、どうやってこんな複雑な競技が誕生して、世界に広まったのか不思議ではないでしょうか?
現在のような立体的な挙動をするスタイルのスケートボード文化の発祥は、1970年代に米西海岸の南カリフォルニアで人気が爆発し、そこから一挙に世界へと広まった事がわかります。
しかしなぜ南カリフォルニアでスケートボードが人気となったのでしょうか?
英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)はその最新研究で「干ばつ」が南カリフォルニアにおけるスケボー文化の台頭を促す最大の要因になったと説明しています。
「スケボー」と「干ばつ」は似ても似つかない単語に思えますが、両者は一体どう結びつくのでしょうか。
研究の詳細は、2023年12月12日付で科学雑誌『PNAS Nexus』に掲載されています。
目次
米西海岸のカリフォルニア州は昔から、サーフィン文化の中心地として知られています。
サーフィンはもともと西暦400年頃のハワイやタヒチで始まり、20世紀に入ってカリフォルニアに伝えられました。
1950年代には同地でサーフィン文化が大きく成長し、音楽やファッション、生活スタイルにまで強い影響を与えます。
61年に南カリフォルニアのホーソーンで結成された「ザ・ビーチ・ボーイズ」は、サーフィンをテーマにした楽曲を作り、世界にカリフォルニアのサーフィン文化を広めました。
ところが気候変動の激しいカリフォルニアは1970年代になって長期にわたる干ばつに見舞われます。
この干ばつは1000年以上の長いスパンで見ればそれほど例外的なものではありませんが、短期的には十分に大規模なものでした。
干ばつの影響は1977年に頂点に達し、その年のカリフォルニアは「20世紀で最も乾燥した年」となっています。
同州の水供給に不可欠なコロラド川とサクラメント川の水位は1977年に最低となりました。
農業分野では推定30億ドルの経済的損失が発生し、州の貯水量も77年に記録的な低さをマークしています。
これを受けて、州政府は節水のために自宅の裏庭にあるプールに水を張ることを固く禁じました。
これがスケートボード文化を拡大させる大きな契機となります。
庶民の感覚からすれば信じ難いでしょうが、カリフォルニアにはプール付きの自宅がたくさんあります。
これは第二次大戦後にアメリカが経済的な大繁栄を経験し、一戸建て住宅の建設ブームが起こったことがきっかけです。
その中で裏庭にプールが設置され、1960年代にはカリフォルニア州に15万以上のプールが作られたという。
特に南カリフォルニアでメジャーになったのが「腎臓型プール(kidney-shaped pools)」と呼ばれる形のプールでした。
これは学校にあるような従来の立方体プールではなく、腎臓のように縁や内壁が緩やかに湾曲しているのが特徴です。
このデザインは1939年にフィンランドのモダニズム建築家であるアルヴァ・アールト(1898〜1976)によって発明されました。
彼は池や湖の自然な輪郭からインスパイアされて、プールの内壁まで緩やかに湾曲させたのです。
そしてこれが1948年に、カリフォルニア州の造園家であるトーマス・チャーチ(1902〜1978)によって南カリフォルニアに持ち込まれます。
50〜60年代の南カリフォルニアの建設ブームではこの腎臓型プールが主流となり、全プールの60%を占めるまでになりました。
もうお気づきかもしれませんが、この腎臓型プールの形こそがスケートボードの練習場としてうってつけだったのです。
干ばつによる節水政策で空になった町のプールは、スケボー小僧たちの理想的な遊び場となりました。
加えて、もともとサーフィンをしていた子供や若者たちもこぞってスケートボードへの転向を始め、人気に火がつき始めるのです。
その中で、スケボー文化に革命を起こした伝説的なグループが現れます。
スケボー文化の革命は、南カリフォルニアの都市サンタ・モニカの海岸地区にある「ドッグタウン」から始まります。
70年代のサンタ・モニカは貧困と犯罪の温床となっており、中でもドッグタウンは街の多くが廃墟と化していました。
一方でドッグタウンには「ZEPHYR(ゼファー)」というサーフショップがあり、そこを溜まり場にしていた十数人のティーンエイジャーがいたのです。
彼らはZEPHYRを拠点としてスケートボード・チームを結成し、「Z-BOYS」と名乗ります。
Z-BOYSの滑りは今までのスケートボードの概念から大きくかけ離れていました。
これ以前はボード上での逆立ちやウィリー走行など、平面的で比較的おとなしいスタイルだったのに対し、Z-BOYSは垂直に跳ねたり飛んだり回転したりと激しくアクロバティックなスタイルを生み出したのです。
そう、彼らがやったのはサーフィンの波乗りを陸上で再現することでした。
そして彼らは1975年に、当時大きなスケボーコンテストだった「デル・マー・ナショナルズ」に登場し、60年代のスタイルを引きずる参加者の中で驚愕の滑りを披露し、賞を総なめにします。
彼らのスタイルは直ちにアメリカ全土に広まり、スケボー文化に革命を起こすことになったのです。
Z-BOYSの物語は、2005年の映画『ロード・オブ・ドッグタウン』として公開されました。
さらにスケボー文化の台頭は、科学技術の進歩によっても後押しされました。
1950年代にポリウレタンの工業生産が開始され、70年代までにスケートボードの車輪は従来のスチール製からポリウレタン製へと取って代わられます。
ポリウレタン製の車輪はスチール製に比べてグリップ力とタフネスが格段に向上しており、高速でのターンを可能にしました。
またそれだけではありません。
80年代に携帯型のビデオカメラが普及したことで、スケートボードの撮影と拡散が容易になり、アメリカを超えて世界中で人気を博すようになったのです。
このようにスケボー文化の爆発的人気は、背景に根強いサーフィン文化があったこと、干ばつによる節水、腎臓型プールの普及などの要因によって促されました。
研究主任のウルフ・ブントゲン(Ulf Büntgen)氏は「だからこそ、すべての条件が揃った70年代の南カリフォルニア以外では起こり得なかったのです」と話しています。
また同氏は「気候変動は常に懸念すべき問題ではありますが、私たちの研究は、局地的な気候変動が人間社会や文化に予期せぬ影響を与える可能性があり、すべての面でネガティブなものではないことが示されました」と述べています。
スケートボードは今やオリンピックの正式種目にまでなっていますが、もしもし70年代にカリフォルニアで干ばつが起きていなければ、日本史上最年少のオリンピック金メダリストは誕生していなかったかもしれません。
参考文献
How drought led to the rise of skateboarding in 1970s California
https://www.cam.ac.uk/stories/skateboarding
A Perfect Storm of Culture And Climate Gave Us Pro Skateboarding, Study Says
https://www.sciencealert.com/a-perfect-storm-of-culture-and-climate-gave-us-pro-skateboarding-study-says
The Rise of the Kidney-Shaped Pool—and Its Unexpected Impact on Skate Culture
https://www.dwell.com/article/kidney-shaped-pools-skateboarding-c3493888
元論文
Drought as a trigger of the rapid rise of professional skateboarding in 1970s Southern California
https://academic.oup.com/pnasnexus/article/2/12/pgad395/7462603
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。