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小脳は自転車に乗れるようになったり、楽器を弾けるようになったりする運動学習に重要な役割を果たしていることが知られています。
小脳は自転車に乗るコツや楽器を上手く弾くコツのような、言葉で説明不可能な「コツ」にあたる部分を担当していると言えるでしょう。
(※アルツハイマー病の患者では例外なく小脳の活動が増強されており、大脳の失われ精神機能を小脳が代替していることも示されています)
また近年の研究により、小脳は運動学習の他に、ヒトやマウスにおいて攻撃性と関連しているとの報告が増えてきました。
そこで今回、東北大学の研究者たちは、マウスの争いと小脳の働きを調べる新たな研究を行うことにしました。
調査にあたってはまず、2匹のオスマウス(AとB)の小脳に電極が挿入され、オスマウスAの居住ケージ内部に、別のオスマウスBが投入されました。
すると予想通り、縄張りを侵害されたオスマウスAと侵入させたオスマウスBの間に、ケンカが始まる様子が確認できました。
ケンカは1分~数分に1回の頻度でおよそ10秒間にわたり続き、ケンカが終わるとしばらく休戦期間が訪れます。
またケンカ前とケンカ後の小脳の活動を測定したところ、ケンカ後には4-6Hzのシータ波と呼ばれる脳波が発生していることが判明します。
そこで研究者たちはケンカが始まったと同時に、マウスの小脳に電極を介してシータ波を送り込んだところ、ケンカの持続時間が有意に減少することが示されました。
この結果は、小脳を適切に電気刺激することができれば、争いを抑制できることを示しています。
ただこの段階では、小脳のどんな脳細胞がどのような仕組みで争いを制御しているかは明らかになっていません。
将来的に争いを抑制するシステムを人類の「治療」に用いるには、より詳細なデータが必要です。
そのため研究者たちは次の実験にとりかかりました。
私たちの脳内には、情報処理を行う神経細胞に加えて、同じくらいの数のグリア細胞が存在します。
このグリア細胞は、かつては神経細胞の間を埋めるだけのノリあるいは充填剤のような存在に過ぎないと考えられてきました。
しかし近年の研究により、グリア細胞には神経回路の状態を制御する力が存在することが判明します。
たとえば小脳においても、小脳の唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞も、グリア細胞によって覆われていることが知られています。
プルキンエ細胞はヒト脳内で2番目に大きな神経細胞として知られており、おびただしい分岐をした巨大な樹状突起を持っています。
東北大学でも以前から、この小脳の神経細胞とグリア細胞の間に強固な相互作用があることを複数回にわたり報告してきました。
そこで今回研究者たちは「小脳のグリア細胞をピンポイントに制御することができれば、電極よりも効率的に、マウスの攻撃性や暴力的な行動を抑制できるのでは?」と仮説を立て検証を行いました。
そのため検証にあたっては、マウスの脳の遺伝子を光によって活性化するように組み換え小脳のグリア細胞に光ファイバーが追加で差し込まれました。
(※電極に追加する形で光ファイバーが差し込まれました)
この方法は光遺伝学的手法「オプトジェネティクス」と呼ばれており、電気の代りに光を照射することで脳細胞の活性度を制御することが可能です。
また今回の研究では、脳細胞内のカルシウムイオンやpHに応じて蛍光が変化するように追加の遺伝子組み換えを行い、これらの物質濃度を蛍光の強さを介して測定しました。
こうすることで、小脳のグリア細胞をピンポイントに刺激するだけでなく、グリア細胞内部のカルシウムイオンなどの物質の動きも同時に追跡可能になります。
つまり電極を介した脳活動の制御と測定、光ファイバーを介したグリア細胞の制御、そして光ファイバーを貸したカルシウムイオンやpHの測定の3つを同時に行えるようにしたわけです。
(※カルシウムイオンは神経活動にかかわる重要なイオンとして知られています)
結果、グリア細胞に光を照射して活性化させたところ、電極を介してシータ波が発生し、ケンカの終了が早くなることが示されました。
また縄張り所有者のオスマウスがケンカで優勢にになると、グリア細胞内部のカルシウムイオンが減少し、逆に劣勢になるとカルシウムイオンが増加することが判明します。
つまり「グリア細胞でのカルシウムイオン増加➔グリア細胞の活性化➔小脳のプルキンエ細胞の活性化➔攻撃性の抑制」となるわけです。
逆にカルシウムイオンが低下するとグリア細胞の活性も低下し、プルンキエ細胞の活動が抑制されて攻撃性が上昇し、ケンカの場面で優勢につながると考えられます。
これらの結果は、小脳のグリア細胞の活動を操作することができれば、攻撃性を調整できることを示しています。
生存競争の視点からみれば「あえてケンカに劣勢になる仕組み」というと、不思議に思うかもしれません。
しかし適度に攻撃性を抑制して自他に「まあまあ落ち着け」という態度をとることは、社会性のある動物において、必要不可欠な要素となります。
人間においてもヒートアップした状態が適度に抑制されることは、個人間や組織同士の争いを避けるために重用です。
また同様のグリア細胞や小脳を介した攻撃性のコントロールは将来的に医療において役立つと期待されています。
たとえば、一部のヒト小児では人間関係を損なうほどの深刻な攻撃性を繰り返す行動障害が知られています。
また統合失調症患者においても、著しい攻撃性が問題を起こすことがあります。
これまでは制御不能な攻撃性はしばしば鎮静剤や麻酔薬を用いて強制的に抑えるしかなく、治療というよりは本人や周りの人々の安全を守る「拘束」や「保護」の側面が色濃くなっていました。
しかし小脳のグリア細胞を操作する脳インプラントや薬が開発されれば、攻撃性だけをピンポイントに制御し、争いを事前に防ぐことができるようになるでしょう。
研究者たちも「社会紛争のない世界を想像してみてください。小脳グリアの攻撃性を制御する能力を利用することで、平和な未来が現実になる可能性があります」と述べています。
参考文献
ケンカのゆくえはグリアしだい 小脳グリア細胞が攻撃行動制御に果たす役割を解明
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/12/press20231207-02-Glial.html
元論文
Glial tone of aggression
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0168010223002031?via%3Dihub
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。