古代エジプト人は「ヒヒ」を神聖な動物とみなし、知恵の神トートとして崇拝していました。

遺跡からはそんなヒヒをミイラ化した像がいくつも見つかっています。

その一方で、ヒヒはエジプトに生息していなかったため、彼らは「プント(Punt)」と呼ばれる場所から輸入していました。

しかしこのプントは記録上にこそ登場するものの、今までどこにあるのか全く不明だったのです。

まるで日本の邪馬台国みたいなものですね。

そんな中、独コンスタンツ大学(University of Konstanz)を中心とする国際研究チームは、ヒヒのミイラから採取したDNAを調べて、そのおおよその位置を特定することに成功しました。

それによるとプントは、アフリカの角”の一部であるエリトリアにあった可能性が高いとのことです。

研究の詳細は、2023年9月28日付で学術誌『eLife』に掲載されています。

目次

  • 記録にのみ登場する「プント」は一体どこにある?
  • ヒヒのミイラのDNA分析からプントの位置が判明か

記録にのみ登場する「プント」は一体どこにある?

プントに遠征したときの古代エジプト兵士の絵 / Credit: en.wikipedia

プント(Punt)にまつわる最古の記録の一つは、エジプト第5王朝(紀元前2498〜紀元前2345年頃)で作られたとされる「パレルモ石」に残されています。

それによると、紀元前2450年頃のサフレ王の治世に、大量の乳香やエレクトラム(金銀合金)、マラカイト(孔雀石)や没薬(もつやく※)を輸入するためにプントまで遠征していたことが記されていました。

(※ 没薬は熱帯産の低木コミフォラから取れるゴム樹脂で、黄黒色で臭気が強く、ミイラ製造の防腐剤などに重宝された)

パレルモ石 / Credit: ja.wikipedia

プントの最も詳細な記録は、エジプト第18王朝のファラオ・ハトシェプスト女王に捧げられた石碑の中で見つかっています。

ハトシェプストの一団は紀元前1493年頃にプント遠征を行い、高床式の蜂の巣のような家が立ち並ぶ村、あらゆる種類のエキゾチックな動植物など、プントの情景に関する貴重な記述を残しました。

そしてこのプント原産の動物の中に「ヒヒ」がいたことも記されていたのです。

この頃にはすでに古代エジプト人がプントからヒヒを輸入していたことが伺えます。

古代エジプトの遺跡から見つかったヒヒのミイラ像(BC1550〜BC1069年頃のもの) / Credit: The British Museum

その後、ラムセス2世(紀元前1303〜紀元前1213年)の治世にもプント遠征が行われていました。

現存するパピルスには貨物を積んだ船で紅海を渡ったことが記されており、これがプントに関して見つかっている最後の記録となっています。

しかし1000年以上にわたって交易が続いていたにも関わらず、いずれの記録にもプントが正確にどこに位置するかは記されていませんでした。

(あるいはプントの位置を記した地図はまだ見つかっていないか、すでに失われてしまったのかもしれない)

ヒントは紅海を下っていることですが、それでもアフリカ東北側のスーダン・エチオピア・ソマリアから、アラビア半島側のサウジアラビア・イエメンなど、該当する場所はたくさんあります。

紅海を下っていることは確か / Credit: google map

果たして、プントは一体どこにあるのか?

研究チームは、その答えをプントから輸入したであろうヒヒのミイラから探ることにしました。

ヒヒのミイラのDNA分析からプントの位置が判明か

コンスタンツ大の研究チームは今回、1905年にエジプト・ナイル川西岸で発掘されたヒヒのミイラから採取したミトコンドリアDNAを調べました。

このメスのヒヒは紀元前800〜紀元前500年頃のものであることが分かっています。

またミトコンドリアDNAは祖母から母親、母親から娘へと母系を伝って受け継がれるため、それを調べることで母系の祖先のルーツがどこにあるかを辿ることができます。

チームはこのミイラ化したヒヒのミトコンドリアDNAと、アフリカ大陸およびアラビア半島の一部に現生する6種のヒヒのミトコンドリアDNAを比較しました。

ヒヒミイラのDNAを現生する6種と比較 / Credit: Gisela H Kopp et al., eLife(2023)

その結果、ヒヒミイラのDNAは、紅海沿岸の平原や岩のない地域に生息する「マントヒヒ(学名:Papio hamadryas)」と最も近縁であることが判明したのです(図中の紫)。

さらに、マントヒヒのミトコンドリアには「G3X・G3Y・G3Z」の3つのサブタイプが確認されましたが、ヒヒミイラはG3Yに近いことが分かりました(上図の右側)。

これは地理的な位置でいうと、今日のエリトリア沿岸域に相当します。

ここからチームは、プントの正確な位置に関してある一つの仮説を立てました。

それはプントがかつてエリトリアに存在したアクスム王国の港湾都市・アドゥリス(Adulis)と同じ場所だったのではないかという大胆な説です。

アクスム王国は紀元前5世紀〜紀元後1世紀にかけて交易国として大いに栄え、アドゥリスは船が発着する港として有名でした。

アドゥリスはすでに遺跡としても発見済みです。

アクスム王国の位置(今日のエリトリア地域にあった) / Credit: ja.wikipedia

アドゥリスが歴史的に言及されるのは紀元前3世紀からで、その名前は古代ローマ人によって付けられたと言われています。

これを踏まえて研究者たちは、プントとはアドゥリスと呼ばれる何百年も前から古代エジプト人によって使われてきた別名だったのではないかと考えました。

研究者は「時代の流れの中でプントがエジプト人によって使われなくなったことで、その穴を埋めるために、古代ローマなどがアドゥリスとして新たに交易を始めたのかもしれない」と話しています。

一方で、この「プント=アドゥリス説」はあくまでも仮説の域を出ません。

同チームは本研究がたった一つのヒヒミイラに基づいているため、今後はより多くのヒヒミイラを対象にし、プントのより正確な位置情報を得たいと考えています。

ヒヒをかたどった知恵の神トートの像 / Credit: Gisela H Kopp et al., eLife(2023)

ちなみに今回のヒヒミイラの歯を調べてみると、エナメル質に形成不全が見られました。

これはおそらく2歳前後の若さで捕獲され、プントからエジプトまでの長旅の中で受けたストレスの結果かもしれないといいます。

このヒヒはエジプトの地で余生を過ごし、6〜7歳で亡くなってミイラ化されたようです。

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参考文献

On the trail of a great mystery
https://www.uni-konstanz.de/en/university/news-and-media/current-announcements/news-in-detail/einem-grossen-mysterium-auf-der-spur/

Mummified baboons point to the direction of the fabled land of Punt
https://arstechnica.com/science/2023/11/mummified-baboons-point-to-the-direction-of-the-fabled-land-of-punt/

Baboon mummy DNA from ancient Egypt reveals location of mysterious port city not on any maps
https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/baboon-mummy-dna-from-ancient-egypt-reveals-location-of-mysterious-port-city-not-on-any-maps

元論文

Adulis and the transshipment of baboons during classical antiquity
https://elifesciences.org/articles/87513

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 古代エジプトの「失われた港湾都市」の位置がヒヒミイラのDNAから判明か